『誰も知らない』の感想のっけときます。
毎度のことだけど、映画を見ているときはダイレクトに感情がゆさぶられるから、涙ボロボロになることが多い。だからいつもハンカチは多目にもっていく。コメント書くときは頭を冷やして書いていることが多いので、自分でも意外なくらい渋めなコメントになったりする。この映画もそんなかんじだ。自分で読み直しても、ひねくれた文章ね、、、。
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街散策
『誰も知らない』を見てきました。予想していたよりよかったです。でも感想難しいね。
ともだちと一緒にいって、久しぶりに堀江のあたりをほっつきました。ランチに入ったお店がなかなかよかった。話もはずむし楽しかったです。映画みたあとは灼熱の心斎橋筋を南下して本屋めぐり。本好きの友人と一緒だと、時間を気にせず本を物色できていいなあ(って勝手にわたしが思っているだけで、向こうは「早よせい!」と思ってたかもしれない・・・)。
ともあれ、映画・カフェでランチ・本屋と、なんとなく小洒落たアイテムがそろっているではありませんか。自分を騙しているだけ?でもいーの、どーせアソビにいくならこういうのがいいよ(日本橋に新装開店したとかいうガンダム専門店に行こうと複数筋から誘われている。なんでやねん。同じフィクションでも「カフェでまったり」とかゆーほうがいいっての!)
映画
ヴィスコンティの『夏の嵐』を見ました。ちょっとでも別世界にひたって典雅な気分になれるかと期待したけど、なんかぜんぜんダメ。わたしの気分的には選択失敗。コメント書いても渋めになるだろうなあ。
夏本番だし、、、
8月は予定をほとんど入れずにおいたはずなのに、あっれー?というくらい用事がたてこんでしまっている。しかも、ちまちました用事が多い。段取りよくしなければ、あっというまに夏が終わってしまう。
とりあえず明日から旅行です。海に行ってきます。どうせ行くなら楽しんでこようとは思うのだけど、日焼けしたくない。プールとか海とかいい思い出ないから、考え出すと行くのがめんどうになってくる。あまり考えないほうがいいってことね。もう他のメンツのノリにまかせよう。でもそのまえに水着を買いにいかねばなりません。「ちまちました用事」ってこういうのなんだよね、、、。
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工事終了
やっと工事が終わった。時ならぬ大掃除で、週末はおもいっきりつぶれた。「改装」とかいうのもおこがましく、マイナスの状態にあったものをなんとか人並みにもどそうという工事だから、変化は地味といえば地味である。それでも、これで虫害・小動物害・人害が減るだろうから、やっと枕を高くして眠れるというものである。(まあ、ネズミの穴はふせげなかったので、台所の表に食べ物をおかないという方向でやるしかないけど。)
なによりお風呂がとってもきれいになった。これで、「なんか出てくるかも・・・」とびくびくして扉を開けなくてすむかと思うと、すごくうれしい。奮発して、洗面器だの椅子だの蓋だの泡立てタオルだのも買い換える。しかしとても狭いお風呂なので、あまり物をおかずに、なんとかすっきりバスタイムを楽しみたいなあ。
工事中につき銭湯通い
ここのところ家のなかがずっと工事中。窓も玄関もすべて全開で、大工さんが出たり入ったりして昼間はぜんぜん落ち着かない。ネズミの穴をふさいでくれと大工さんについでに屋根裏にのぼってもらったが、隙間がおおすぎて無理といわれた。うー・・・。もうネズミはしかたないけど、せめて猫の通り穴だけはふさいでほしいなあ・・・。
夕方にやっと一息ついても、そこから掃除が待っている。おまけにお風呂に手をいれてもらっているので、銭湯通いの日々である。銭湯は久しぶり、何年かぶり。水圧マッサージだのサウナだのいろいろあって、楽しいといえば楽しいけれど、あっというまにのぼせる。からだのぬくもり方がぜんぜん違う。でもなんだか落ち着かない。視力が悪いので、ぼやけてよく見えないせいもあるだろう。はやく工事おわらないかなあ。日常のサイクルが狂うと、何をしても手持ち無沙汰で居心地が悪いようだ。
損な性格
暑すぎて夏バテ気味です。しかも当分用事がつまっていて、映画もバーゲンも無理っぽい。気分転換する気にもなれないウダウダ・モードな日々が続いている。仕事をちゃっちゃとやりおえて、バカンス気分を先取りできればいいものを、いつまでも仕事をひっぱってしまう。これは性格だとはいえ、精神衛生上よろしくない。
そういうわけで、まず返事・返信の類を片付けなくてはならない。さっさと返せばいいものをいつまでも溜め込むから、ますます出しづらくなり、そのまま立ち消えさせてしまうこともある。これはダメですほんとにダメ。自分がイヤになります。
友人にもわたし以上にこの方面でだらしないヤツがいる。人様に貸した本だのレコードだのマンガだのビデオだのは、返ってこなくてもいいやというくらいに考えているので、わたしは別にいいのだが、友人はだらしないけど律儀なので、数年後に、グッズに恐縮プレミアをつけて送ってきたりする。
送られてきた側にしてみれば、そういやこんなの貸してたなあ、別にもうわざわざ返さなくてもいいのに律儀だなあと思うばかり。だからそんなに気にしなくていいよと鷹揚にかまえていられるのだが、じゃあ自分はどうなのかというと、数ヶ月単位で借りっぱなしになっているモノもけっこう部屋のなかに転がっている。借りたものは返さなくてはいけないと、わたしも一応思ってはいるので、返すときにはやっぱり恐縮プレミアを足しているかなあ、、、損な性格。
読書&ヨーグルト
今日の大阪は35度。頭クラクラ。あまりの暑さゆえ、ついにヨーグルトは常温発酵できるようになった。別にカスピ海でもなんでもないので(スーパーで買ってきたブルガリア)、今までちゃんと保温していたのだけれど、ほったらかしでもできてしまった。とってもラクチンでちょっと感動。食中毒の季節はヨーグルト菌の季節でもあった。発酵物バンバンいけます。
例によって逃避といえば逃避の読書。
ただいま住谷一彦『日本の意識』(同時代ライブラリー)を読んでる途中。固い本だけど、これおもしろい。河上肇、伊波普猷、柳田国男と、ビッグネームゆえ名前は知っているが知っているだけ、なわたしでも読んでしまえる。
筆者によると、 タイトルはDas Japantumの意訳。日本という「くに」に住む人々がこの「くに」について意識することがら、意識された存在、を意味するものらしい。オムニバス的に彼らの思想的エピソードが語られるのだが、これはもちろん意図された方法。
「本書は或る一つの思想が、日本「近代」が孕む何らかの問題を担うことによって、その問題を解こうと努める過程において、或る機縁で他の思想を担う人間と出合うことを通じて、つぎつぎと思想空間のなかでその問題の継承ならびに新たな展開を遂げていく、そして、その問題が孕む内容の多面性、多重性が自ずと開示される、そうした思想のダイナミズムを、いわば担い手である人間相互の絡み合い、結びつき、離れ去っていく「人間の鎖」(黒岩重吾)を追求することによって解明しようと意図するものである。」(242頁)
「出合い」がもたらす精神の火花をつなぎあわせ重ね合わせ、そうするなかである形象を浮かび上がらせるという手法だろうか。思考力の力強さと重厚さを感じさせられる。しかし、自分で書いててなんだが、ヨーグルト菌とずいぶん落差のある話ではあるにゃ。
ファイル交換問題の新局面?
ムーア監督の「華氏9/11」を、ムーアに批判的なウェブサイトがダウンロード可能にすることで批判しているらしい[via:CNETjapan]。これいろんな意味でおもしろいなあ。でも単純に考えて、これってムーア批判になってるの? 配給会社はあわてふためいているけど、ムーアにしてみれば、映画のテーマからしてできるだけ多くの人に映画を観てもらえるほうがいいんじゃないのかなあ? フィルムが届かないから日本でも公開の目処がたってないぐらいだし、、、なーんか逆効果のプロテスト行動になってるような気がするんですけど、、、。