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ソダーバーグ版「ソラリス」、まだまだ続く!?

↓でまたもやコメントがたくさんついたので、もういっぺんこっちに移動します。(しかしもうそろそろネタは尽きるか?)
nozakiさん
>あの女優さん、リアルじゃない美しさでした。この点が二つの映画の根本的な、決定的な違い。
ここで明暗が分かれましたか〜。ソダーバーグ版の〈レイア〉はきっと人間臭いのですよ。恋愛中心ならあの〈レイア〉でもわたしは許せますね。でも蘇生のシーンは、絶対タルコフスキー版だなあ。
>最近『ノスタルジア』を久しぶりに見ましたが、この映画に出ているイタリアの女優さんもただならぬ美しさだと再認識しました。
なんとなく覚えているよーな、、、ルネサンスの絵画にでてくるみたな人でしたっけ。パンフをもう一度出してこよう。「ノスタルジア」の主人公は、わたしにとっては、インテリ・エグザイル・ロシア人の原型です。「鏡」の母の、あの物憂い眼差しも忘れがたいです。
sowさん
>「現代のCGを使って、タルコフスキー版ソラリスを再現してみました」じゃあ面白くないと思ってしまうんですよねー。
あのソラリスは映像的にどうでしょう? わたしは正直、印象に残りませんでした。ストーリーにおけるソラリスの位置づけの低さも関わってるかも。
>オタッキーというのは、全体的に見て「微妙に震えてる人」ではないでしょうか。多分それならスノーですね。
「微妙に震えている人」・・・た、たしかに。nozakiさんがお気に召さなかった人は絶対スノーですよ。スナウト→スノー。重要な役だと思うんだけど、入れ替わっているという時点で、「はぁ?」てなりましたわ。

ソダーバーグ版「ソラリス」のつづき!

 ↓でsowさんとのトークが長くなってきたので、こっちに移動します。ソダーバーグ版「ソラリス」について、あーだこーだと話が続いております。
 クリスとレイアの愛の関係にはソラリスの意味が希薄ではないのか、というわたしの意見に対して、sowさんは、二人の愛に焦点があたっている以上、ソラリスはあれでいいのではないか、というご意見でしたね。
 ついでに?sowさんバージョンの「ソラリス」を提案してくださいましたが、あれはソラリス視点ですね。ユニークな視点だと思います。作るの難しそうだけど。でも映画最後の謎めいた終わり方に対しては、ひとつの解釈になっているなあと思いました。
 たぶん、ソラリスの存在意味が希薄なのは、クリスの描き方に関係しているような気もします。彼はレイアとの関係をもう一度強いられるわけですが、どうもそこに没頭してしまったという感があります。むしろ、そのもう一歩先に、それを通じて、ソラリスとの対峙という側面が描かれていたらなあというところでしょうか。
 ・・・これって、タルコフスキー版にひきずられた解釈かなあ。

レム

 ↓にソダーバーグの「ソラリス」のレヴュー書きました(←cinemathekに移動)。いわゆるネタばれというやつなので、未見の方はご注意を。
 今日レムの『ソラリスの陽のもとに』を入手。ワクワク。しかし当分読むのは自粛です。嗚呼。

映画鑑賞

 ソダーバーグの「ソラリス」みてきました。
 ほとんど最初から最後まで泣きっぱなしで、冷房はそんなにきつくはなかったにせよ、映画館を出たころには、くしゃみと鼻水がとまらなくなっていた。ある一定の閾値を超えると、いつもこうなるのね…。
 もうこれはレムの原作を買うしかない!と思って、本屋さん2軒もはしごしたのに、なかった。すごく読みたい気分だったのに。せっかく本屋さんにきたのに何にも買わずに帰るのもくやしいので、ぜんぜん関係のない本を買って帰宅した。

スランプ

毎日判で押したような同じような日々が続く・・・。このままだとあっというまに今年も終わるに違いない。1年365日なんて短すぎる。1年1000日くらいにしてほしい。「今年もたいしたことせず終わったなあ」と反省するのが少なくてすむ。・・・などとクダラナイことを考えてしまう今日このごろ。少々スランプ気味。

イゾラド

 たまたまつけたテレビで、アマゾンに住む「イゾラド」=「隔絶された人びと」についての番組を見た。
 接触を試みた「文明人」のもちこんだ病気ゆえに、何部族もがあっというまに絶滅したのだという。今は、猛烈な開発の波が彼らの居住空間を奪いつづけているという。世界を均質化し平準化しようという動きは、独自の存在を消滅させていき、そのことによって、われわれの側もまた人間的な豊かさを失っていく――番組のメッセージのひとつは、こういうものだったと思う。
 番組のなかで中心になっていた一つが、ふたりの「イゾラド」だった。かれらが子どもだったころに、その部族は雷か襲撃か銃かによって、とにかく滅亡したらしい。かれらはたった二人きりで森のなかで生きてきて、80年代に推定年齢30才前半で、「保護」された。2000年前後?に保護区で静かに生きる彼らの姿がカメラに映し出されるのだが、それは、世界から隔絶されてたった二人で生きる人間の姿だった。
 かれらは、ひたすらに矢を作る。けれども、その矢で狩をするわけではない。弓すらないのだ。かれらは子どものときに部族から切り離されたため、狩の仕方を習うことはなかったらしい。
 どれほどの傷を心に負っているのか、言葉という手段が断ち切られている以上、外部のものが想像するための手がかりは少ない。ただ、かれらが矢を作るのは、その不安を、傷を宥めるための行為なのだということだけは、分かる。
 矢をつくるという行為をとおしてのみ、かれらは今は亡き部族へとつながり、外の世界を、文明を、拒否しつづけている。そのことは、自分たちの部族の言葉を喋るけれども、外の世界の言葉をおぼえようとはしなかった彼らの態度にもあらわれている。かれらはその言葉を外の人間に教えようともしなかった。
 
 すべてを平準化していく時代にあって、その波にのみこまれようとしない在り方とは、「隔絶」という形でしか現れないものなのか。そして外の者は、その隔絶を尊重することしかできないものなのか。整然とならべられた大量の矢が、彼らという存在に刻み込まれた傷痕と、ふたりだけの世界に閉じたまま消滅していくことを選んだ彼らの意志とを、垣間見させているように思った。

散髪

 夏に向けて、髪をさっぱりと切りにいった。いったんショートにすると、ショート以外の髪型ができない。
 うちの近所は美容院が飽和状態なので、複数の美容院にいきつけて、サービスカードなどをうまく使いまわしている。一つのところにいきつけても、美容師さんもすぐに店を代わっているし、わりきって、安い値段で切ってもらったほうがいい。
 でも今回いったところの美容師さんはけっこう好きかも。気立てのよいお兄さんで、いろいろ親身になってくれて、悪くない。

美術

 もう忘れそうなので、簡単にメモっときます。ブリヂストン・ミュージアムでレオン・スピリアールト展を見たのですね。何げなーく見にいったんだけど、これがすごくよかった。
 スピリアールト(1881−1946)はベルギーの画家で、どこの流派にも属さず作品を描いたらしい。とくに1910年前後くらいの作品が気に入った。海辺に佇む少女たちを描いた一連の作品があって、モノトーンの写真のように、光と影を描いていて、一瞬ファッション写真をみているような気にもなる。でも即物的なところは全然なくて、輪郭を浮かび上がらせるだけの少女たちの姿は、幽玄の存在であるかのように、どこか得体がしれない。ポストカードもほとんどこの辺の作品ばかり買ってしまった。
 ほかの作品は、キリコとかを思い出させるような画風もあって、「シュルレアリスムの先駆」というのも、なるほどなあというところでした。
 うーん、超カンタンメモ。