先ほど飲み会から帰宅。
疲れきってますが、からだがタバコくさい気がするので、無理やりお風呂に入る。疲れているのに、こういう日はたいてい寝つきが悪い。あまりお酒を飲まないようにしたけれど、眠れそうにないので、これを書いている。
6時から11時半まで喋ってた。途中、4人のメンツのうち2人が鉄道オタクと判明。鉄道用語でまくりの謎な会話を聞いていたら眠くなってしまった。ぜんぜん分からん。ガンダムオタもかなわんが、鉄道オタとは接点皆無ということが分かった。
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雨霰
さっきまでものすごい勢いで霰(あられ)が降っていた。窓ガラスに当たる音もすごくて、あわてて窓を閉める。今日は少し肌寒い。風も強くて、空気がうなっている。これは春一番なんだろうか? まだ少し早いのかな。まさに三寒四温というかんじで、寒い日と温かい日が交互にやってくる。自分が外国に住んでいて、この時期に日本にやってきたら、天気に関してはいい印象をもたないだろうな。
Heute hagelt es und windet sehr stark. Ist es Haru-ichiban, erster Südsturm im Jahr? Frühling kommt ganz nah? Wenn ich im Ausland wohnen würde und in dieser Jahreszeit nach Japan kommen wäre, hätte ich keinen guten Eindruck des japanischen Wetters.
豆腐
久々に友だちとあって、ランチをいっしょにとった。彼女のほうが仕事をやめたので、平日の昼間でも会えることになったので。
「朱夏」というアジア料理のお店に、桶豆腐というデザートだか料理だか分からないものがあって、それが美味しそうだからそこに行こうと誘われた。行ってみると、レストランというよりはカフェのような食堂のような、という雰囲気で、気軽に入れるお店だった。ランチも予想より安かった。ただ桶豆腐が食べたかったので、聞いてみたら、夜だけのメニューだという。なーんだと思ったけど、雑誌にのったこともあるので、昼間でも出してくれるという。今から作るから30分まってくれといわれた。ええ、ええ、待ちますとも。
ところが30分以上たって、お店の人が「失敗した」と伝えにきた。で、今から作り直すか、もしくはお代はいいので失敗作を出してもいいかと聞いてきた。今から作り直すって、また30分かかるし、成功するかどうか分からないんだよねーで、失敗作を頂戴することにした。
ようするに、お豆腐が完全に固まらなくて、上の方が半透明の液体になってしまったのだな。でも下のほうは固まっているのがあったし、ランチを食べた後だったので、ちょうどいいくらいの量だった。おもしろかったのは、お豆腐にかけるトッピングが4種類全部スゥイーツだったこと。練乳、ピーナッツのソース、小豆のソース、黒タピオカ。これがおもしろかった。お豆腐って、しょうゆやぽん酢で食べることが多いし、デザート感覚で食べるという発想がなかったので、すごく新鮮だった。お豆腐は出来たてのヨーグルトみたいで、ほんのり温かくて甘い。お豆腐って作ったことないけど、作ってみたくなった。それで、甘いソースをかけて食べるの。
Mit Freundin ginge ich mittagessen. In eine asianische Restaurant gingen wir, weil wir das Gericht ‘Oke-Tofu’ essen wollen. Als dieses Gericht wir bestellten, sagte eine Köchin uns, dass wir 30 Minuten warten müssten. Natürlich warten wir nur 30 Minuten gern!
Nach mehr 30 Minuten ist sie gekommen und abgebeten hat, Oke-Tofu zu missraten.
Und sie fragte, ob sie Oke-Tofu noch einmal machte oder wir diese missgeratene Oke-Tofu ohne Kosten gegessen haben. Wir wollten noch 30 Minuten nicht warten, so entscheiden wir uns dafür, diese Tofu zu essen.
Ein vollkommene Tofu hat drei oder vier Portionen. Aber nach Mittagessen wurden wir mit nur einer Portion genug. Normalerweise esse ich Tofu mit Sojasoße, aber hier ißt man Tofu mit süßer Soße. Das fand ich sehr interessant und frisch!
カンディンスキー展
先週、京都にカンディンスキー展を観にいった。
カンディンスキーという人物はなかなかクセがあって、そう簡単に解釈させてくれない。無謀を承知で以下感想など。
カンディンスキーはもともと国民経済学とか勉強してる学者で、30歳すぎたあたりで絵描きになろうとしたらしい。学者肌ももちあわせていたせいか、彼のミュンヒェン時代の作品は、芸術を科学化しようという試みに見える。もしくは絵画で表現した「芸術社会学」? 人物や風景のもつ具象性をひたすら純化していくことで、対象のもつエネルギーや本質を浮かび上がらせる、ということか。20世紀初頭のドイツは、社会科学や人文科学の領域においても、自然科学に負けない科学性が追求された時代だから、その知的ムーブメントにカンディンスキーも位置づけられるだろう。
ただ、理論に走ればモンドリアンやデ・スティル方向の抽象絵画になるんだろうけど、カンディンスキーはそういう方向に行くわけでもない。彼らよりもう一枚二枚上手のところで思考していたのではないかと思わせる。彼の作風をあえていうならば、「永久に停止しない」ことではないだろうか。晩年にいたるまで、スタイルの確立はない。あえてそれをはぐらかし、ずらし続けていたように思える。
バウ・ハウスという工業製品化に熱中する人々のなかで教鞭をとりながら、カンディンスキーは絵画での表現に徹する。あたかも物理学に対する数学のようなものとして、絵画を想定していたのだろうか。けれども、そういいきってしまうのも自信がない。彼の絵画に現れるロシアの息吹はどこか土着的で神秘的で、ついつい、ドイツ・ロマン主義とロシア神秘主義の混在した要素にひきずられてしまうからだ。かといって、彼は、ロマン主義や神秘主義に傾倒しきった人物にもみえないのだな。このあたり、ほんとうに一筋縄ではいかないと匙を投げたくなる。
モスクワへの愛着を抱きつづけたカンディンスキーにとって、1905年革命、1917年革命の政治的激動が彼の人生に深く刻み込まれていないはずはないだろう。けれども、その困難さを、ダイレクトに絵画に表すような素直さはない。革命や戦争という一瞬で世界が変わるような体験をし、西から東へ、東から西へと亡命をくりかえした、そんなカンディンスキーという人物が見た人間世界は、極限にまで分解されることでしか表現できないものだったのか。彼の作品をみていると、20世紀という時代に人間がたどった運命を、あらためて考えさせられる。
ともあれ、「コンポジシオン」シリーズとモスクワ時代の作品が見れて満足している。ベルリンの美術館とミュンヒェンのレンバッハ美術館には足を運んであるので、これで彼の有名な作品の多くを生で見ることができたかなと思う。
(05.Jul.02)
音楽
知り合いからバッハのレコードを貸してもらう。
クラシックは、昔集中して聴いた時期があったけど、最近は時折思い出したように聴くぐらいになっている。昔ゆえ、MDではなく、ダビング・テープが山のようにある。
借りたレコードのうち、「ゴールドベルク変奏曲」は探せばダビングしたテープが見つかるはず。ちょっとなつかしい。「インヴェンションとシンフォニア」は、昔ピアノを習っていたときに最初の3、4曲練習して終わったものだった。指の練習の本かと思っていたけど、ちゃんとした曲だったのですね・・・。
でも、バッハはけっこう好きだ。硬質な音の響きが紡ぎ出す明晰さに魅了される。空間自体がクリアなものになっていく気がする。
Ich leihe mich von einem Bekannter CD von J.S.Bach aus.
Klassik Musik höre ich jetzt nicht so oftmal, aber früher höre ich gern. “Goldberg Variations” habe ich früher oft gehört, dann höre ich sie sehnsüchtig. “Invention und Symphonie” habe ich mit Klavier geübt. Damals dachte ich, dass das nur eine Etüde war.
Aber ich höre Bach gern. Ich meine, sein harter Klang lässt eine Klarheit aufkommen.
映画
キューブリックの超有名作品『時計じかけのオレンジ』をやっとみた。話のあらすじから、どうにも苦手なシーンが多いのではないかと敬遠しており、気分がのったときに見ようと先延ばしにしていた。でも見ずには死ねないという気持ちもあった。昨日やっと、見てもいいか、という気分になった。病み上がりで頭がぼーといていて、あまりなにもやる気にならなかったからかな。
映画は、やっぱすごかったです。ただ、昔の映画だからか、暴力シーンとか目をふさぐほどではなかったので、その点は安心した。当時ではかなり過激な映像だったんだろうけど。今の映画がいかにヴィジュアル的にも心理的にも残酷になっているかっていうことだろうか。
Kubricks Werk “A Crockwork Orange” habe ich mich schließlich angesehen. Ich weiss ungefähr diese Story, aber wegen Blutalität halte ich mich von dem Film fern. Doch ist es Verlust, den Film nicht zu sehen. Gestern bekam ich endlich Lust, den Film zu sehen.
Nun, den Film finde ich doch wahnsinnig. Aber er ist nicht zu grausam, wie erwartet. Ich beruhige mich. Ich glaube, damals war er sehr radikalen Bild. Im Gegensatz dazu werden heutige Filme villeicht immer mehr grausamer.
寒波
日中でも最高気温が1度という、まれにみる天気予報のとおり、今日はめちゃくちゃ寒かった。雪もちらほらちらついていた。あんまり寒いので外にでたくないけど、こういう日にかぎっていろいろ用事がたてこむのだな。
どうも風邪の症状がでてきたらしい。昨日寒いのに半身浴をしたせいだろうか。ボチャンしてもいい本ということで、中沢新一の『イコノソフィア』を読んでいたが、内容にまけずおとらず念仏みたいな話で、つい風呂場で寝込んでしまったせいだろうか。
Heute ist sehr sehr kalt! Gestern sagte die Wetterprognose, dass heutige Temperatur hochstens 1 Grad sei. Diese Prognose ist aber richtig!
Ich fühle mich erkältet. Ist das von dem Halbkölperbad verursachen worden, trotz der Kälte? Oder im Bad habe ich geschlafen, weil ich ein langweiliges Buch geslesen?
無題
「千と千尋の神隠し」を見ていた。実はつい最近ビデオで見たところなので、二回目になる。アメリカでやたら賞を総ナメしているけど、けっこうハリウッドっぽい作りだよね。だから受け入れられやすいのかな。海の中を走る電車にゆられていくシーンなどは、日本映画の雰囲気も感じられるけど。2月にはいると「もののけ姫」もテレビ放映するらしいので、これも見ようっと。
バーゲンもすっかり終わって店頭には春物が並んでいる。すみっこのほうに置いてある冬物で、灰色のセーターを買う。灰色といっても、白いような薄紫のような風合いで、なかなか色がおもしろい。ざっくりとした網目に首まわりがゆったりしたタートルのセーター。今はこの服を着ていると、とりあえず気分がいい。
Zeichentrickfilm “Sen to Chihiro no Kamikakushi” von dem Regie Miyazaki Hayao sehe ich fern. In letzter Zeit habe ich den Film schon gesehen. Der Film gewinnt in den USA viele Preise, aber der Film an sich sieht sich ähnlich Hollywood Stil, oder nicht?
Das wäre ein Grund, dass er in den USA akzeptiert ist.
In einer Geschäft kaufte ich einen ashgrauen Pullover. Die Farbe der Pullover gefällt mir gut! Er halte mich bei guter Laune!
表現主義
サントリーミュージアムに「ドイツ表現主義の芸術」を観にいく。「カリガリ博士」と「吸血鬼ノスフェラトゥ」も上映されるので、これは絶対観たかった。「カリガリ」はすでに何度かみていたけど、ムルナウの映画は初めてなので、すごく楽しみだった。映画のコメントはまた別にまわします。
さて、展覧会ではドイツ20世紀初頭から第一次世界大戦前後に現れた芸術運動ということで「表現主義Expressionismus」が取り上げられ、「ブリュッケ」「青騎士」「都市の絵画」と三点に分けて展示がなされていた。表現主義といわれても、どのあたりの芸術運動をどこまでそう呼んでいいのか、これまでよく分からなかったのだが、今回は分かりやすく整理してくれていたので、収穫ある展覧会だったように思う。
まずおもしろかったのは、表現主義の表現が1913年頃には様式の点では頂点に達していたということ。造形芸術から始まって、文学・演劇・舞踏・舞台美術に広がり、最後に映画・建築と波及していったらしい。「カリガリ」や「ノスフェラトゥ」といった表現主義的映画の最高峰は、他のジャンルからすると、10年前後遅れて頂点を迎えたことになる。
ドレスデンからベルリンに移動するなかで展開された「ブリュッケ」には、キルヒナー、シュミット=ロットルフ、ペヒシュタイン、ミュラー、それからノルデ、ロルフスの諸作品が収められている。ミュンヒェンを中心にした「青騎士」には、カンディンスキー、マルクを筆頭に、ヤウレンスキー、ミュンター、ヴェレフキン、マッケ、モーグナーの諸作品。それぞれの作品の共通項を見つけることは難しいけれど、公分母としては、描く対象を通して、自己の内面と向き合う側面が強いといえるだろう。もっといえば、「生」そのものという根源的なるもののがどこかに在ると考えられていて、芸術表現によってそれを探求するのだという意志がひしひしと伝わってくる。
根源的な「生」を求めていく背景には、当然、近代人、近代社会、近代的文化の在り方全てに対するプロテストがあるわけで、20世紀初頭のドイツの精神状況をよく現しているのだと思う。ただ、こういう二項対立的な把握に、わたし自身が納得し共感できるかというと、少し難しい。距離をおいて眺めているかんじだ。
一番突っ走っているのは、やはりカンディンスキーだと思う。「生」そのものは何か善いものとして描かれがちなのだけれど、カンディンスキーの抽象は、そうした価値評価すら許さないようなものがある。人間の根源というものを描いたとするならば、彼の絵にこそ、それは当てはまるのではないか。ほかに印象に残っているのは、ノルデの作品だ。生や自然の混沌としたものを描いて、色彩に惹きつけられた。
それから、時代的な区分で分けて、第一次大戦後に展開された諸々の作品――ベックマン、グロッス、ファイニンガー、グライヒマン――が紹介されていた。ダダもこの時期にかぶってくるが、表現主義の戦後の流れは、ダダからの攻撃が終わったあとに見えてくるということらしい。「新即物主義」とカテゴライズされる流れである。戦前にはあった「生」への探求や憧景は後退し、都市の猥雑さ、社会の狂気を描く方向へと変わっていく。とはいっても、たしかにグロッスやグライヒマンはその傾向が強いけれど、ベックマンやファイニンガーはまた別の方向に進んでいるように思えた。
絵画と作家たちの人生を通じて見えてくるのは、間接的ではあるけれど、第一次世界大戦とナチズムが与えた衝撃の大きさだ。戦死、亡命、自殺と続く作家たちの末路が、時代の重苦しさを物語っている。
ともあれ、今回の展覧会は、遅くにいったせいもあるけど、空いていてゆっくり観られたので満足しています。内容的にもおもしろかったしね。
風呂
最近、半身浴に凝っている。
最初に始めたときはなかなか汗が出てこなかったけど、今ではあっという間に汗が出てくるようになった。
湯船に水と本・雑誌をもちこんでいる。読んだ本は、今のところ全部、村上春樹の本。ドボンしてもいーや、ということで選択したのね。でも、村上サンの、軽いんだか神妙なんだか分からん文体は、湯船につかりながら読むにはもってこいです。
本はもっとふにゃ〜てなるかと思ったけど、意外と大丈夫。雑誌類はさすがにへにょ〜てなっているけど。ただ問題がいろいろあって、まずお風呂の照明が本を読むには暗すぎる点。それから、裸眼では字が読めないのでメガネをかけて入ると、当然曇ってしまってうっとおしい点。コンタクトをはめて入ったりするんだけど、これもまた面倒くさい。なんかいい方法がないものだろうか。
In letzter Zeit schwärme ich für das Halbkölperbad.
Am Anfang konnte ich nicht einfach schwitzen, aber jetzt kann ich in einem Augenblick in Schweiss gebadet sein.
Ich nehme ein Glass Wasser, Bücher und Zeitschriften ins Bad mit. Die gelesende Bücher sind alles Murakami Haruki, weil das mir nichts macht aus, auch wenn ich diese Bücher ins Bad falle. Aber es ist bequem, dass ich seine Bücher im Bad lese, weil seine Ausdrucksweise leicht und mild ist.
Nur habe ich einige Probleme. Im Badraum ist es zu dunkel, Bücher zu lesen. Und dann, ohne Brille kann ich nichts lesen, aber mit Brille auch nichts lesen, natürlich im Bad. Mit Kontaktlinsen bade ich, aber es ist auch lästig.
Hätte ich eine gute Weise eingefallt!