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旅行のお支度2

 旅行の準備でてんやわんやだ。今回はほとんど情報をオンラインで仕入れている。航空券、ホテル、保険は全部オンラインで申し込む。インターネット・カフェのあるところから、現地近辺の食堂まで全部調べられるんだよね。ほんとに便利。考えようによっては、旅行会社にやらせたほうがラクなのだが。
 いまだにスーツケースもだしておらず、身辺の準備はいっこうに進んでいない。今日と明日でするしかない。ホテルをおさえたといってもフランクフルトで一泊分とってあるだけだから、あとは現地で考えようという大雑把なもの。計画はあってなきがごとし。
 いちおう向こうでコンピュータをネットに接続できるグッズももっていく。モジュラー変換ジャックとか回線チェッカーとか。VAIOちゃんなので変圧器はいらないし。これがうまくつながれば、ネット・カフェには行かなくてすむんだけど、どうだろうなあ。ややこしいので、サイトは基本的にお休みにするつもりです。
なんだかすごい雨が降っている。春雨豪雨だ。お部屋のなかで洗濯物を乾かす。ストーブがんがんにたいてます。
 足の指のあいだにウオノメができて、最近とみに痛む。新しい靴のせいだと思う。薬局にいって、ウオノメ除去のバンドエイドがジョンソン・アンド・ジョンソンからでていたので買う。容器のデザインがけっこうかわいい。薬つきの丸いテープをはって、その上から立体カットのクッション・バンドエイドを貼り付ける。意外とナチュラルな付け心地。これでほんとに治るのかしらん。

プチ・ボケ

神戸に行く。梅田で旭屋と紀伊国屋をはしごし、買った本を阪急電車のなかで読んでいたら、降りる駅を乗り過ごす。特急だったから三宮まで運ばれてしまった。「今から三宮でまーす」とマツモトさんの携帯に連絡して、約15分の遅刻。ヤマダさんに「今から三宮でるなんて、大分サバよんだでしょ」とつっこまれる。なんでやねん。ラーメンの出前じゃないっつの。しかしヤマダ氏、会うたびに2チャンネラー化してゆく。どーせ特撮モノとかにはまってんだろと思いつつ、どのジャンルがおもしろいんですかと聞くと、「文房具」といわれた。文房具ぅ?
 今日はなんというか、ぼーとしていたのか、帰りの電車もまた特急に乗り換えるはずの駅を乗り過ごしてしまう。なんでだ? ニクコップンが効いてきたのか?
 帰りは古本屋さんによる。松浦理恵子の『裏バージョン』をゲット。やたっ! 『セバスチャン』の初版本もあったんだけど、別に初版マニアでもないので、まあいいやとあきらめる。でも探していた本はなかったので、仕方なくジュンク堂に向かう。遠いー。しかも西梅田あたりから四つ橋線沿いは人があまりいなくて、ちょっと不気味だ。
 本屋で目当ての本をもって、レジの近くで並んでいる人の後ろに並んでいたら、その人は別に並んでいるわけではなかった。あたしってバカ。今日はこんなんばっかり。 

旅行のお支度:耳栓

昨日は梅田に出て旅行の買い物をした。なによりもなによりも必要なのは耳栓。ただの耳栓ではなくて、NASAが開発したとかいうハイパーな耳栓がいるのだ。はじめて飛行機に乗ったとき、頭がわれるような耳鳴りがして、フライトの間中頭を抱えていた。まだこどもだったから、これはひどいトラウマになってしまった。国際線はまだしも、急激に高度をあげる国内線が問題で、おとなになってから飛行機にのってもやっぱり同じような目にあってしまった。
 ところがある日、耳鳴り防止用の耳栓を発見し、使い捨てで1000円近くするけど買ってみた。これをつけて飛行機にのると、耳の奥でキーンとかすかな金属音はするものの、頭が痛くならない。すごい!びっくり! うれしくて、窓の外の景色をフライト中ずっとみていた。国際線よりも国内線の方が雲の形も起伏にとんで、見飽きない。やっぱりNASAだわ。ほんとにあのNASAかどうか分からんけど、これを商品化するまでに尽力のあったすべてのひとに感謝よ。
 で、この耳栓。まさか売り切れたり発売中止になってたりしないよなーと不安になりつつ、百貨店の旅行売り場で無事発見速攻購入。ああよかった。遅めの昼食をとって、紀伊国屋でガイドブックを買いに行く。るるぶとかその手のチープなやつが欲しい。ついでに語学本のところでドイツ語会話の本を見にいく。いちおう持っているけど念のため。そしたらここで、全単語イラスト入りの旅行用会話集(単語集?)を見つけた。これすごい。カラフルですごく見にくい。ページを開いて外国人に単語と絵を見せる、というのが使い方らしい。たとえば駅を探しているときは、電車の絵を指しながら「ウーバーン!ウーバーン!(U-Bahn 地下鉄)」とやればいいらしい。うしろのページを見ていくと、「文化」の見開きがあって、「アインシュタイン、相対性理論: Einstein, Relativitaetstheorie」とか書いてあった。そんなムズカシイもんドイツ人にふることがあるんか? どーすんだよ指さし単語帳なのに〜。いやーこの本いいですね。あたし向けかもよ〜。つい買ってしまいそうになったけど、やっぱるるぶにした。

 例の風呂釜、電気屋さんの紹介で別のガス屋さんにきてもらったところ、まあ固いこといわずに、ということで、今の状態のまま風呂釜だけ直してくれることになった。やったー。値段一気に3分の1に下落。4月になったら直しにきてもらおっと。

葛湯

 一日中雨でした。最近夜はもっぱら抹茶葛湯。このトロトロとした食感がいいですね。
 こどものころ熱をだしたら、父がいつも片栗粉と砂糖で葛湯っぽいものを作ってくれた。一口二口食べるとすごく美味しくて、熱を出したときはいつも父に作ってくれとせがんでいた。少し大きくなってから思い出したように自分で作ってみたんだけど、加減がどうも分からない。ヘンな団子になってしまい、口にしてもまずくて食べられない。片栗はそうおいしい素材でもなかったのかもしれない。
 葛粉は奈良のみやげものとかでよく売っていて、まあこっちのスーパーでも買えるんだけど、奈良に行ったときに買って帰ったりする。葛はけっこういいお値段するのだ。これも水と砂糖で溶いて熱湯をいれて葛湯にする。ほんのり甘くて上品な味。

 おふろの見積書、どーんと届きました。もうこのまま放置しようかというくらいのお値段。今日はシャワーをやめて、熱めのお湯を張って、湯が冷めしないうちに一気にお風呂に入る。入り終わったらお湯を抜いて捨てる。ワンルーム・マンションのユニット・バスのやりかたですね。これから暖かくなるし、当分これでいこうかなあ。ほんとうに来年の冬まで放置する?

 この前会った友人からメール。「あなたと話をしたから、楽しかったのだと思う」という主旨。そういってもらえるとうれしいです。それから、件の超かっこいい中年男性にお送りしたお礼のメールにも返事をいただく。返事なくて当然と思っていたからうれしい。メールって返事しやすいんだろうなあ。文末に「東京にくることがあれば連絡をください。忙しくなければ会う時間はとれると思います」とのこと。忙しすぎる方なので、「忙しくなければ」に笑ってしまった。そりゃないでしょー。でもまあいいです。

お風呂壊れた

 前に夏場に風呂釜が壊れたときはずいぶん放ったらかしていたけれど、今はシャワーだけではイヤなので、即行ガス屋さんにきてもらう。そしたら、線が切れたどころか根本的に風呂釜を換えなければならないと宣告された。しかも、うちは渡り廊下を切り取ってむりやり風呂釜をねじこんであったので、今の基準だと違法になるらしい(ほんとうか?)。別に廊下の木が燃えたこともないし、屋根の波板が熱で変形したこともないし、ぜんっぜん問題ないのに、ガス屋は安い風呂釜はこれではつけられないという。高い風呂釜ならつけられるというが、値段を聞いたら、ふざけんな!のお値段だった。線を交換するだけと思っていたので、値段が一挙に100倍に跳ね上がったら誰でも怒るわ。 
 見積もりを出すということでガス屋は帰っていったが、そのあとで電気屋さんに電話して来てもらった。もしかしたら電気で追い焚きできる装置があるかもしれない。でもこの案ははかなく消えた。無理だってさ。結局、電気屋さんの知り合いのガス屋さんに見積もってもらうことになって、見積もり競争させるしかないのかー。しかもこっちの都合で3月は留守だから、4月に入ってからの工事になりそう。信じれんー当分シャワーだけだなんて。

お葬式

 お葬式でした。
 死者が祖父母の年代ならば、天寿まっとうということでご苦労様と、比較的気持ちも明るいのだけれど、まだ親の世代の方だと、少し寂しい。でも、見送られる者より見送る者が若くてたくさんいるお葬式ならば、やっぱり亡き人にはご苦労様といいたい。簡単な基準だけど、見送られる人がまだ若いと、どんな事情があったにせよ、胸が痛んでやりきれないから。
 わたしなんか親族というだけで故人とそう深いつきあいがあったわけではない。でも、親族だから最期までお見送りする。わたしなんかより、故人ともっと深い関係にあった人たちって確実にいると思うんだけど、親族でなければ最期までつきあうのは遠慮が先にたつかもしれない。そういうものかもしれないけれど、火葬場にまで行くと、ほんとうに最期まで見届けたという気がするから、なんだか不思議な気がする。
 こういう日は、記憶のなかにあるお葬式を思い出したりする。「ご苦労様」のお葬式より、やりきれない思いの残るお葬式のほうが、よく覚えている。小学校のときのクラスメイトの顔をひとりひとり覚えてはいないけれど、死んだ子はよく覚えていたりする。その子の時間はそこで凍結してしまっていて、それゆえにか、記憶の底に焼き付けられている。自殺した友達のお葬式は、その日の天気や空気の気配にいたるまで覚えている。
 死んだら忘れられる、というのは嘘かもしれない。死んでしまったら忘れられなくなる。

death

夕方からお通夜に行くまで、狂った予定の調整におわれた。お通夜ではなぜか乾き物が多くて、おなかはいっぱいだけど今ひとつ物足りない。帰りにスーパーで抹茶葛湯を買う。お湯をいきなりドバドバいれたせいか、ダマがいっぱいできて涙する。水で先に溶いておくべきだった。なんでわたしはこうも雑なんだろう。でもこれは体にやさしい飲み物なので二重マル。
 やっぱりこの時期のお通夜は寒くて、体が冷え切っている。お風呂に入ってあったまろうと、ガスの種火をつけていたら壊れた。よくわかんないけど、何かの線が切れたみたい。せっかく、せっかく、たっぷりのお湯でぬくもろうと思ったのに。また修理代かかるの? シャワーだけだとぜんぜん体があったまらないよ。今でもなんだか寒気がするというに。まったくもお。

 死というのは、生を終焉させるその時になってはじめて現れるものではなく、実は生そのものと分かちがたく結びついているものだと、昔のエライ人が言っていた。生が際だつためには、死への注視がなければならない。死を眼差すことが、混沌とした生の流れから、「生」を切り取る。だから、際たった生には常に死が寄り添っている。
 こういう考え方を、単に美的に文学的に消費するのではなく、もっと根本的なものとして理解したいと思う。それが具体的にどういうことになるのかは、説明できないままなのだけれど。 

take a walk

あんまり天気がよさそうなので、隣町の公園まで散歩に行く。途中で古本屋さんに立ち寄って、本を物色。大きな公園だから四方八方から人がきていて、すごく混みあっていた。疲れたので、マクドで休憩。あと、ここの公園にきたら絶対立ち寄るパン屋さんに行く。長ーいバゲットを買ったので、今日の夕食はパスタに決定。夕方からは冷え込みがきつくなってきた。パンの皮が噛み応えがあって、とてもおいしい。

 夜、親戚が亡くなったとの連絡が入る。自分の父親と近い年齢の方なので、まだ若いのに、という気持ちが先にたってしまう。しかしそれでも明日、明後日の予定を急遽変更しなくてはならない。あしたは朝からメールであちこちに連絡をいれなきゃ。出さなきゃいけない郵便物、書かなきゃいけない手紙、まだ未記入の確定申告(こんなはした金なのにわざわざ税金でとっていくなー)、まだかけていない海外旅行用の保険、あーもう。公園に行ってる場合じゃないって。 

世間知らず

友人と梅田で待ち合わせた。早めに行って買い物しようともくろんでいたけど、ぐずぐずしていてあっというまに待ち合わせ時間になってしまった。茶屋町に大きな雑貨屋ができていたのに、素通りになってしまう。残念。でも古本屋さんでスピノザの『エチカ』を半額で購入。当分積読になりそうだけど、新品同様だったのでうれしい。
 友人とは梅田の某エスニック料理店で夕食を一緒にした。夜景が見れて良い席だったんだけど、ここの店はどうも好きになれない。居酒屋に文句をいっても仕方ないけど、料理の作りがぞんざいだし、店員の態度も雑。お子様むけだ。

 この友人と会話をはじめたのはいいけれど、いきなり、バイト程度でロクに社会に出て働いたこともないわたしは「世間をしらない」ヤツなので、一度社会に出て働いてみるほうが人間的にマトモになる、みたいなことをいわれて面食らう。この手のことをいわれるのは初めてではないけれど、そういうことをいう人の「世間」って何?みたいに思う気持ちもあって、とりあえず反論する。でもこの「反論」がまた、ロクに「コミュニケーション」もできない「世間知らず」の印だというふうになって、わけがわからない。
 結局彼女は、仕事上つきあいのある役所関係の人間が非常に横柄なのに腹をたてているらしく、そういうのを全部「世間をしらない」という形で解釈しているようだった。ロクに人に頭をさげたこともないわたし(そんなことはないのですが)も同じ「世間知らず」なので、こっちに矛先が向けられていたんだと思う。現場のことをしらないわたしは、現場で苦労している人間の気持ちなど分かるはずもない、と。そりゃそうだけど、じゃあ「世間」を知っているあなたは、別の(もっと条件の悪い)労働環境で働いている人たちの気持ちが分かるんだろうか。自分の置かれている立場やものの見方から、世界はそれぞれ異なったように現れているだろうし、話をすることでお互いにそれを「知る」しかないんじゃないんだろうか。
 「議論」になるような話題をふっかけられて、「議論」しようとすると、「議論」しようとすること自体がわたしの主張を裏付けている、みたいにいわれたら、正直面食らいます。でもまあ、彼女とはそのあとも4時間くらい話をしていて、お互いが何を考えているかとか多少なりとも知ることはできたんだ、と信じたい。現場の人のはなしを聞くのは、わたしは大好きなんだけどね。

 ただ、わたしは自分が「世間知らず」であることは客観的にみればあたっているので、わたしと話をする人のなかにはこれからもこういう言い方をする人がでてくるんだろうな。相手がどうでもいい人だったら、「そうですね」で終わらせるんだけど、ちゃんと付き合いたい人だと、どうしても減らず口がでてくる。でも、口当たりのいいコミュニケーションに終始するような人とだったら、忙しい合間をぬってでも会いたいとは思わない。だからこの友達とは、また会うと思う。

下町

 朝方は雨がふっていたけれど、雨が止むとずいぶん春めいた一日になった。
 お昼ごはんを近所のお店に食べに行く。すし屋が隣に小料理屋を作っていて、そこを一度訪れてみたいと思っていたので、今日はそこに行く。狭い路地を入ったところにあって人目につきにくいせいか、昼の稼ぎ時なのに閑古鳥。でも所狭しと日本酒がおいてあって、ボトルキープもできるらしい。酒飲みの面々にはありがたいお店かも。ちなみにランチはポークピカタとサラダ、ごはんにおしんこ、お味噌汁と、きちんとしたメニューで650円也。すばらしい。三角形の錫の箸置きが可愛らしかった。これ欲しいなあ。気に入ったので、機会があれば夜に行ってみたし。ほんとにこの辺はお店のレベルが高いなあ。

 住んでいる所は高級住宅地でも郊外の新興住宅地でもなくて、非常に雑多に人が住んでいる町中である。地主もいれば貧乏人もいるし、外国人もいる。一人暮らしのお年寄りも多いし、マンションが林立しているから家族連れも多くて、こどももけっこうたくさんいる。隣の町まで行くと、金融ローンやスナックのお店が多くて、ちょっと治安が悪いかんじがするけれど、こっちの町は比較的住みやすい。
 わたしはこの雰囲気はきらいじゃないし、おいしいお店もたくさんあって、活気があるからいいと思う。でも友だちのリモくんは近所に住んでいるけど、この町がきらいだという。なにぶん東海地方の高級住宅街で育ったため、雑然とした町の雰囲気に神経がいらだつらしい。まあ、わたしに文句をいわれても困るんだけど、いちいち腹をたてていたら住めないって。ご本人の几帳面な性格も禍しているんだろうと同情はするけど、傍からみているかぎりは、けっこうなじんでいるから不思議だ。「住めばどこでも都です」とのたまった別の近所の知り合いは、どうやっても下町の雰囲気になじまない外見+生活スタイルだったので、人ってわからないもんだ。

 Elizabeth Harperを聴く。高めの声で、ときどき声がかすれるのがいいかんじ。