2007年、日・中
監督:李纓
この映画に描かれていた靖国をめぐるさまざまな声や感情のポリフォニーが、今の日本の一側面であることは間違いではないだろう。映像で見ると、さまざまな政治的パフォーマンスのその有象無象さと滑稽なまでの喧騒は、強烈なインパクトをもっていた。
ただ、映画を見つづけているうちにわたし自身はとても冷めてしまって、自分は靖国にも象徴としての刀にも一片の感傷も愛着ももっていないのだなと思わざるをえなかった。靖国問題が心情的な同調や反発を引き起こしやすいテーマであることは分かってはいるし、映画もそうした側面を描いているのだろうけれど、問題の本質に切り込んだ作品といえるかどうかは微妙だと思った。
映画のなかでも出てきたが、当時物議をかもした小泉前首相の靖国参拝も、20世紀末以降、とくに9・11事件以降のアメリカの世界戦略の軍事的再編成に唯々諾々と従った前首相の、国内向けパフォーマンスにすぎないとわたしは思っている。靖国が戦前日本の軍国主義の象徴的中枢であったとしても、戦前のような軍事的独立性をもたない戦後日本の現実においては、同じ機能を果たしているとは思えない。しいていうならば、ねじれた現実のなかで、ある種の人々のプライドを慰撫する装置であり、同時に排外的な扇動を誘発する装置といった役割だろうか。映画がこの政治的モニュメントの屈折した側面にまで切り込んでいるとは、あまり思えなかった。
かといって、監督の中国人としての視点がどこまで反映されているのかも判然としないものがあった。刀匠と映画監督のあいだのディスコミュニケーションぶりは、恣意的な編集なのか、実際に延々そうだったのか知るよしもない。それが抑制が効いているとしてよかったとみるのか、不明瞭だと批判するのかは意見が分かれるところかもしれないが。
余談になるが、映画は今年の四月ごろにとても話題になったものだから、見ておこうという友人にずっと誘われていて、先日やっと見に行く機会をえた。レディースディの映画館は女性客が圧倒的に多いのが普通だと思っていたけれど、この映画に関しては客層に年配の方々(60~70代)がとても多かった。幼少のころに戦後民主主義の洗礼を受けた世代なのか、それとも戦前の大日本帝国に愛着をもっている世代なのか? 年代的には前者のような気もするが、どっちなのかは分からない。この映画は世代によって感想がずいぶん異なるのだろうな、という気がした。
(12. jul. 2008)