le cercle parfait
1997年 ボスニア、仏
監督:アデミル・ケノヴィッチ
出演:ムスタファ・ナダレヴィッチ
アルメディン・レレタ
アルミル・ポドゴリッツァ
90年代の後半だったか、ベルリンのクロイツベルクというトルコ系住民が多く住む町に足を運んだとき、案内をしてくれた人が、道端に座り込んでいた女性と子どもをさして、「あの人たちは難民だ」と教えてくれた。一瞬通り過ぎただけで、彼女たちがいつからそこにいて、いつまでそこにいたのかは知らないし、本当に難民だったのかもよく分からない。ただ、内戦によって生み出された難民が西ヨーロッパに大量に逃げてきているという事実報道と、道端に座り込むしかない二人の姿が重なりあって、東欧からバルカン半島にかけての民族紛争がほんとうにすぐ近くで起こっていたことなのだという実感をもった瞬間だった。
この映画では、旧ユーゴスラヴィアの内戦渦中のサライェヴォを舞台に、老いた詩人と孤児となった兄弟が、互いに見知らぬ者同士ながら、擬似家族を作りつつ生きていく姿が描かれている。
タイトルとなった「完全なる円」が何を意味するのか気になっていたのだが、作中、詩人がコンパスも使わずにぐるりときれいな円を作る場面がでてくる。「完全なる円」はそのまま、セルビア兵の無差別攻撃によって包囲されたサライェヴォの街と重なる。詩人は自殺願望と詩も紡げなくなるほどの深い絶望によってサライェヴォの街を離れようとせず、幼い兄弟は詩人の尽力にもかかわらずサライェヴォの街を離れることができない。「難民」になることすらできなかった、あるいは難民になろうとしなかった人々がいたのだということに、胸を衝かれる。内戦に巻き込まれた人々にとって、気がついたら、「完全なる円」の内側に閉じ込められていたという事態だったのだろう。自分たちが暮らしていた場所が、ある日、世界から隔絶された絶望の地と成り果てていたのだ。
1997年の作品で、撮影はまだ内戦の渦中で撮られたという。直接の戦闘シーンが描かれるわけではない。しかし、普通の人々が内戦下でどのように生活していたかがよく分かる。水の配給、闇市での物々交換、家中に隠しておく食料、燃え上がる建物、砲弾で崩れた家屋、炎上した車両、横転させた車や車両で作ったバリケード、背を屈め小走りに大通りを渡る人々、常に聞こえる銃声の音――いつどこから弾丸が飛んでくるか分からないという「日常」は、悪夢以外の何ものでもない。
そうした状況下で描かれる詩人と子どもたちのエピソードは、一つ一つが切なく、輝かしい。詩人自身の自殺するイメージが頻繁に繰り返されて、絶望の度合いが深まっていくにつれて、子どもたちの無邪気さや健気さが何ものにも替えがたいものとなってくる。秀逸な映画だと思う。ただ、わたしは多くを語ることはできない。感情の固まりが、見終わったあとにも胸のなかで疼いてる気がして、言葉にすることができない。
(09.jul.2005)
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