senso
1954年 伊
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:アリーダ・ヴァッリ
ファーリー・グレンジャー
一九世紀半ば、オーストリアに占領されたヴェネツィアで、伯爵夫人リヴィア・セルピエーリは、イタリア独立のために地下活動を続ける従兄弟ウッソーニ侯爵を影ながら援助している。愛国的なデモンストレーションは、ある晩、オペラ座でオーストリア将校たちを前に、イタリア国旗をあらわした三色の紙を天井桟敷からばらまくという形でなされた。この騒ぎのなか、ウッソーニ侯爵はイタリアを侮辱したという理由で、オーストリアの若い兵士フランツ・マーラーに決闘を申し込む。リヴィアはこの決闘をなんとか阻止しようとフランツに近づいた結果、彼と恋に落ちてしまう。
許されざる恋を扱ったメロドラマとはいえ、この映画には観客を恋愛物語に陶酔させるような魔法は何もかけられていない。美しい伯爵夫人が脇目も振らずのめりこんでいく相手が、祖国を支配する占領軍の、出身身分もさほど高からぬ一兵士である点は、許されざる恋の設定として納得はできる。けれども、この男は自らをしか愛さぬナルシストで、虚偽の申告をして軍隊を抜けようとする臆病者で、盲目的に自分を恋するリヴィアに罵詈雑言を浴びせかけるような卑劣な人間である。リヴィアが一途になればなるほど、二人の関係は空回りしてしまう。とくに、中盤から延々とつづく壮絶な戦闘シーンと対比させられることで、二人の恋愛関係はますます痛々しく陳腐な様相を帯びてしまう。
ヴェネツィアの街やオペラ座、貴族の豪奢な館といった舞台設定、鮮やかなオーストリア兵の軍服姿にリヴィアの美しい絹衣装と、ヴィスコンティらしい美学は十分に感じられる。けれども、退廃美をそれとして描ききるというよりは、監督の視線はどこかシニカルな気配を残している。フランツは美貌だけを頼りに生きる退廃した男だが、そうした人間を、軍事的なものに体現される「男らしさ」からの逸脱として断罪しているような面がみられる。また、最後、復讐の鬼と化したリヴィアが街頭でオーストリア兵士たちと戯れる娼婦たちのなかを通りすがる場面があるが、「娼婦と何ら違いのない伯爵夫人」という演出に、わたしなどはもうゲンナリしてしまった。痛々しい恋愛を大げさな状況設定のなかで語るから、主人公たちにも「粋さ」が感じられないし、退廃美の迫力のようなものも今ひとつ感じられないのだ。ちょっと消化不良気味、、、。アリーダ・ヴァッリは名演だと思うけど、その堕ち方の余裕のなさに、見ていてちょっとしんどかったのでした。
(16.aug.2004)
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