cinemathek」カテゴリーアーカイブ

レジェンド・オブ・フォール

Legends of the Fall
1994 年 米
監督: エドワード・ズウィック
出演: ブラッド・ピット
アンソニー・ホプキンス
ジュリア・オーモンド


 「果てしなき想い」という日本語のサブタイトルがダサいですね。なんのためにあるのでしょう?
 ブラット・ピット演じるトリスタンとジュリア・オーモンド演じるスザンナを中心にした物語という触れ込みだったと思うのだけれど、話を盛り込みすぎではないかという印象を受けた。
 ざっとみても、南北戦争を経験して徹底した反戦家・反体制派になる父親(アンソニー・ホプキンズ)と彼に教育された3人の息子たちの親子関係、体制派になる兄(エイダン・クイン)と野生児の弟トリスタンの兄弟対決、トリスタンをめぐる女性同士の確執、放浪癖のあるトリスタンという男の内面的なありかた、等々、どれかひとつにしぼって映画を作ったほうが引き締まったのではないかと思われる。家族の対立や男女の対立も中途半端に調和してしまっているようで、物足りなさを覚える。大河ドラマですね。
 ブラピが最後にクマと戦うシーンは、「やっつけ?」てかんじのB級な終わり方で、これは笑った。
by kiryn (2001/12/28)

続きを読む

ローマの奇跡

Milagro en Roma
1989 年 コロンビア・西
監督: リサンドロ・ドゥケ・ナランホ
出演: フランク・ラミーレス
ヘラルド・アレンジャーノ
アマリア・ドゥケ・ガルシア


 ガルシア=マルケスの「聖女」という作品が原作。
 南米のどっかの国が舞台で、サルのおもちゃで遊んでいた7歳くらいの女の子が突然死んでしまう。父親が嘆きながら子供を埋葬するんだけど、何年かたって墓を開いたときに、娘がそのままの状態で棺のなかに横たわっているのが発見される。墓を開いたときに、一番最初に、娘の小さな足の裏が現れたのを見たとき、父親が半狂乱になって子供をかき寄せる。服は汚れ、髪や爪は伸びているけど、腐敗もせずに墓のなかで何年も眠っていた娘を抱いて、父親は「奇跡だ!」と叫ぶ。
 それから父親は「奇跡の認定」を求めて、眠ったままの少女をつれて、はるばるバチカンに向かう。法王とのアポイントはなかなかとれない。ローマの下宿で娘と日々を過ごしながら、結局彼は、南米に戻っていく。
 サルのおもちゃが偶然動いたとき、娘は目覚める。娘をかきいだく父親。
 でも原作では、娘は眠ったままだ。娘が「聖女」なのではなく、父親が「聖人」だったから、この奇跡は起こったのだと読者にひっそりと伝えられる。
 感想とかはヘタに述べないほうがいい映画もあります。これはまさにそんな映画。
by kiryn (2001/11/21)

続きを読む

汚れた血

Mauvais Sang
1986 年 仏
監督: レオス・カラックス
出演: ジュリエット・ビノシュ
ドニ・ラヴァン
ミシェル・ピコリ


 そのときの自分の抱えている感情や感覚に驚くほど共振してしまう映画がある。カラックスのこの映画は、わたしにとってはまさにそんな作品で、きわめて個人的な感覚と結びついてしまっている。(まあこれは、映画的にどうだったかというコメントが書けないということなのだが。)
 ある時期に集中的に何度もこの映画を観た。恋愛の不条理な力、とでも名づけうるものに支配されていたときで、この映画にあった「疾走感」に痛いくらい共振していた。いつ失速するともしれないような息苦しさを、何度も味わいたかった。
 ドニ・ラヴァンとカラックスはよく似ていたし、当時カラックスの恋人だったジュリエット・ビノシュも、カラックスにかなり影響を受けていたのではないかと思う。この三人の雰囲気はとてもよく似ている、と思っていた。
 ビノシュは寡黙で、ときどき息で前髪をふっと吹く。最後になってはじめて走り出していく姿も目に焼きついている。
 「ダメージ」あたりの作品で、ファム・ファタール役に「?」となってしまうビノシュだけど、今ではわたしも、彼女はちょっと田舎娘っぽい役の方がいいと思っているけれど、この映画だけはファム・ファタールなビノシュ、にしておきたい。
by kiryn (2001/12/15)

続きを読む

マイ・ビューティフル・ランドレット

My Beautiful Laundrette
1985 年 英
監督: スティーヴン・フリアーズ
出演: ゴードン・ウォーネック
ダニエル・デイ・ルイス
サイード・ジャフリー


 ロンドンの下町にコインランドリーが開店する。店主のひとりはイギリス人の男の子、もう一人はパキスタンからの移民の男の子で、恋人同士。イギリスって移民社会なんだな、とこの映画をみて思った。パキスタン系の男の子が、移民排斥のデモのなかに恋人の顔をみつけて、ショックを受けた、と淡々と語るシーンがある。その静かな非難を、彼の恋人は、言葉もなく、ただ顔を歪ませてじっと聞き入っている。心に残るシーンだった。
by kiryn (2001/10/12)

続きを読む

メトロポリス

Metropolis
1926 年 独
監督: フリッツ・ラング
出演: ブリギッテ・ヘルム
アルフレート・アーベル
グスタフ・フレーリッヒ


 資本家と労働者の対立、地下の工場で機械を動かす労働者、紅一点のマリアとロボット・マリア、ロボット・マリアが労働者たちに、機械を壊し、暴動をおこすよう狂ったように扇動する。マリアの陶酔しきった、エロティックなダンス、暴動を起こして水害事故をひきおこしパニックになる労働者たち――この熱をおびたストーリーが一切無音のまま展開する。もちろん1920年代の映画だから音がないんだけど、かえって強烈なまでの印象を与えられてしまう。
 文句をいえば、最後にマリアが資本家の息子と結婚してハッピーエンドになるのは、どうも解せない。ハッピーエンドにする必要なんかぜんぜんない映画なのに。
by kiryn (2001/10/31)

続きを読む

ムトゥ 踊るマハラジャ

Muthu
1995 年 インド
監督: K.・S・ラヴィクマール
出演: ラジニカーント
ミーナ
サラットバーブ


 この映画の何がすごいかっていうと、ストーリーが展開するかと思えばすぐさま強烈なダンスシーンが始まって、歌い踊り終わったころには、観ている方に前のストーリーをさっぱり忘れさせてしまうところだ。しかもスローモーションで踊っているのに普通の速さに見えるんだから、実際にはいったいどのくらい速く踊っているんだろう? 出てくるオッサンたちはみんな太ってるし、太っているのが美しいのかなあやっぱり? ああ美的感覚がちがう。しかもムトゥの出生の秘密って、なんじゃそらなストーリー展開。馬車でカーチェイスするときも、追いかける悪党どもがつぎつぎに馬車から投げ落とされるんだけど、「投げ落とされる」というよりは、自分からスピンかけて馬車から飛び出していっているようにしか見えないぞ。第一部と第二部に分かれていて、第一部が終わった後、ムトゥがいきなり「人生はドラマだ!!!」って叫んで「ちょっと休憩」という文字が入るのには、腹がよじれるほど笑いました。もう改行なしの一気書きコメントよ。
by kiryn (2002/1/2)

続きを読む

まあだだよ

1993 年 日
監督: 黒澤明
出演: 松村達雄
香川京子
井川比佐志


 わたしは内田百間のファンだ。幽玄的なのか幻想的なのか、なんとも説明しがたい曰くありげな小説が好き。とんでもないくらいの融通のきかなさと、はたからみるとカワイイと思わずいってしまいたくなるよな頑固さがおかしいエッセイが好き。ともあれ、長年のファンであったために、わたしなりの「内田百間像」みたいなものがあったわけですよ。
 黒澤監督の「まあだだよ」はこの内田百間を主人公にしたもの。黒澤+百間ということで絶対観なきゃと思って観にいった。わたしのイメージしていた百間と黒澤の百間は、共通点は皆無だった。だからといって別にがっかりというわけでもなくて、ふーん、黒澤監督にとって百間はこんなふうに解釈されたんだなと思っていた。先生と弟子の関係が中心だったから、そういうふうに百間を捉えたことはなかったから、新鮮ではあった。
 よく考えれば、実際の百間がどんな人だったかなんて、あたしは知らないんだよね。小説とエッセイからイメージしているばかりで。でもそれでいいんだ。
 映画のなかでは、香川京子の演じる奥さんと百間先生が住む小さな家を移しながら、四季がゆっくりと流れていくシーンが心に残っている。冬がとくにきれいだった。
by kiryn (2001/10/14)

続きを読む

メリーに首ったけ

There’s Something About Mary
1998 年 米
監督: ピータ・ファレリー
出演: キャメロン・ディアス
マット・ディロン
ベン・スティラー


 これぞラブコメ!てなかんじの調子いい映画。メリーの健康的な美しさに比べて、彼女にホレる連中は変態入りまくり。なんでこーもカルーく逝ってらっしゃる方々にホレられてしまうのか、メリーがかわいそうになるくらいだけど、過酷なストーカー受難人生を送ってきたわりには、彼女の朗らかさ・やさしさはぜんぜん廃れない。その強さがカッコいい。でもそれがまたヘナチョコで電波系なオトコを引き寄せてしまう?
 とにかく笑いました。アホばっかりです。  
by kiryn (2001/12/4)

続きを読む

ベルリン・天使の詩

Der Himmel ueber Berlin
1987 年 仏、西独
監督: ヴィム・ヴェンダース
出演: ブルーノ・ガンツ
ソルベイグド・マルタン
オットー・サンダー


 天使の視線から見たベルリン。天使は人々の心の声を聞くことができる。声はどの声もどこか寂しげだった。図書館に天使がたたずむなかを、人々の声が何重にもかさなって響き合っているシーンが好きだった。老いた詩人がポツダム広場を、ここにはカフェがあった、ここでみんな語り合った、と何もなくなった空き地を杖をつきながら歩き回る。天使はあとをついていく。すごく悲しいシーンだった。
 天使が恋をして人間になったとたん、画面がカラーになり、それまで聞こえていた声がパタッとやむ。それからブランコのりの彼女を探しに行く。後半はそういうふうに希望が散りばめられていた。まだベルリンが冷戦の象徴で、壁が崩壊していない頃の映画だったから。 
 今ではポツダム広場は再開発のどまんなか。詩人の郷愁などふっとんでしまっている。それも時代の流れか。なんだか不思議な感じがする。
by kiryn (2001/10/19)

続きを読む

ブラザー・サン シスター・ムーン

Brother Sun Sister Moon
1972 年 伊
監督: フランコ・ゼフィレッリ
出演: グラハム・フォークナー
ジュディ・バウカー
アレック・ギネス


 13世紀のイタリアで豊かな呉服商人の息子として育ったフランチェスコが、戦争体験や重い病気を経て、キリストの教えに忠実に生きようと決心し、両親を捨て、ぼろをまとい、はだしで壊れた教会を再建しようとする。この映画は、小鳥にまで説教をしたという聖フランチェスコの前半の生涯を描いている。
 キリストの指し示した道を歩もうとすることは、この世の富を捨て両親を捨て、心の天国をのみ糧にして生きることである。そのような道をすすもうとすると、当然、この世のさまざまなことがらと衝突せざるをえない。今でいえば、カルト宗教と実社会との軋轢と似たようなことが起こるわけである。
 高度に宗教的な問題性をもつこういうテーマは、扱うのがとても難しいのではないか。まじめに聖フランチェスコをとりあげれば、貧しさを徹底する人であったわけだから、映画的には地味なものになりかねない。しかし映画の興行性を無視せずに作ろうと思えば、見せ場も用意しなくてはならないし、物語も分かりやすくしなくてはならない。必然的に、陳腐な作品にもなりかねないわけである。
 このゼフィレッリの作品をみたかぎりでは、そういう陳腐さがどうしても目につくことは否定できない。富を否定せよ、と説く主人公を描きながら、映画的にはこれでもかといわんばかりに豪華な舞台装置や衣装が登場してくる。とくに最後の法王庁の場面はそうである。映画的には最大の見せ場でありながら、フランチェスコにその富を嘆き悲しませるというシーンに、居心地の悪さを感じてしまった。そのうえ、法王がフランチェスコをほめたたえることで彼を政治的に利用したことが、かえって、法王に自分を認めさせることに成功したフランチェスコの政治性のようなものも感じられて、どうにも後味が悪かった。
 ただ、映画の中盤までは、フランチェスコの精神をそれなりにうまく描いていたのではないかと思う。
 フランチェスコは、自分の信念を貫くためには親子の縁を切らざるをえず、広場で自分の服をすべて脱ぎ捨てて父に返し、裸で街を去っていく。また雪のなか、壊れた教会を再建しようと、仲間とともにひとつずつ石を積み立てていく。グラハム・フォークナーの迷いのない眼差しが、フランチェスコの信念のゆるぎなさと清廉な魂をみごとに表現していたように思う。またイタリアの美しい風景と、フランチェスコの口から語られる美しい言葉が重なり合って、静かな感動をよびさますものだといえる。
by kiryn (2001/12/6)

続きを読む