テッド・チャン『あなたの人生の物語』は、もういろんな賞をとっているので有名な本だろうけれど、わたしははじめて読んでとても感銘を受けた。どの短編もおもしろかったけど、とくに表題の「あなたの人生の物語」と「地獄とは神の不在なり」の二編がとてもおもしろかった。
「あなたの人生の物語」では、一つの現象でも見方が異なれば異なる説明の仕方があるという、こう言ってしまえば「当たり前」のように思われることを、とてもうまく物語のなかに織り込んであった。
ものすごく端折って自分なりの説明を書いておくと、物事を「X→Y(原因→結果)」の連鎖で理解していくか、「Y←X(目的←経過)」として、物事の目的や最終地点を最初に分かったうえでそこに向かって行為を遂行していくかという物の見方の違いがある。物語では、このちがいが人類と異星人との認識や思考パターンのちがいをもたらしているとされていて、そこを解析していくまでの科学者たちの試行錯誤が描かれている。
同時に、主人公の女性科学者が自分の娘との関係を「Y←X」の方式によって並行的に語っていたというのが、最後のオチで分かるようになっていて、この二重構造がとてもうまいなあと感心した。最後がどうなるかは最初に分かっていたとしても、そこにいたるプロセス次第では最大の幸福となるか最小の幸福となるかは分からない。母の語る娘との関係は最後に近づけば近づくほど(物語の中では「出発点」に近づくほど、だが)、切なくも希望にみちあふれていく。何とも言えずいい読後感だった。
「地獄とは神の不在なり」は個人的にはもう映画化決定!というくらいにおもしろかった。天使の降臨が天災のように起こる世界で、人々が神の意志を日常的に感じる世界が描かれている。
主人公ニールは神への信仰をもたなかったが、妻が降臨によって天国に召されてしまったがゆえに、もう一度彼女に再会しようと天国に昇天する方法を求めて苦闘する。妻の喪失という苦しみから逃れるために自殺することはできない。妻が地獄に行ったのなら迷うことなく彼は自殺をするだろうが、彼女が天国にいる以上、その手段はとれない。妻を奪った神を無条件に愛することができない主人公は、苦しみながらも最期には神を愛するにいたる。天国への扉が一瞬開くのだが、にもかかわらず彼は天国に行くことができず、妻と再会することはできなかった。
作者によると、ヨブ記への不満がこの作品の元にあるらしい。曰く、なぜ神は最後にヨブを救済したのか、と。同じ疑問はわたしも抱いたことがあって、ヨブへの壮絶な仕打ちが最後には何倍もの恩寵へと変わっていくところには違和感をおぼえた。ニールはヨブとはちがって、生きている間は神を愛することができなかったけれども、地獄へ堕ちてもなお神を愛しつづけている。地獄が神の気配をまったく感じることのできない場所であるにもかかわらず。救いがないにもかかわらず、ニールはもはや救いを求めて苦悩することもなく、ただただ神を愛するのだという。悲惨のなかにいるヨブよりもずっと悲惨で、ぞっとするような終わり方でもあるのだが、彼自身はもはや悲惨ではないのか? こちらは深い読後感で、とにかく印象深い作品だった。
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ミロラド・パヴィチ『帝都最後の恋』
ミロラド・パヴィッチの『帝都最後の恋−−占いのための手引書』を読んだ。
タロットカードをめくりながら対応する章ごとに読むもよしという、読者参加型の仕掛けが満載だったのだけれど、あいにくタロットカードをもってないので、順番どおりに読んだ。もういっぺん読み直したいというのが今の気持ち。さらっと読むだけでも十分楽しめるんだけど、もっと深読みすべき本じゃないかという気がしてならなくて、表層をたどっただけの今の段階では、感想も平板なものしかでてこなくて、とにかくもったいない気がする。
パヴィッチの邦訳はたった3冊しかないけれど、三谷惠子さんのあとがきを読むと、原語ではたくさん出版されているみたい。読みたいなあ。
あとがきに紹介されていたHP。
http://www.khazars.com/en/
日記らしきものもあるけれど、セルビア語でしょうかロシア語でしょうか読めません。英語版はちょっとずつ読んでいきたい。
『沈夫人の料理人』第2巻
第2巻買ってしまいました。が、、、、
お笑い化している!!
・・・いや、おもしろいんだけど、なんか方向性が思っていたのと違うというか・・・。
『沈夫人の料理人』第1巻
『沈夫人の料理人』という漫画を読む。
昔の中国のあるお屋敷を舞台に、奥様とその料理人との関係が料理を通して描かれる。奥様は食べることが大好きで、自分の舌を満足させてくれる料理人を犬のように可愛がっている。その可愛がり方は少々サディスティックで、無理難題をいいつけては、料理人を翻弄する。料理人のほうは、奥様に毎度毎度振り回されることに青ざめながらも、奥様のためにと美味い料理をつくろうとする。
二人の間には料理を通しての感情の交流がある。本来気の弱い料理人は、自分の料理を「分かってくれる」、気の強い美しい奥様を崇拝する。奥様は自分の言葉や態度に翻弄される料理人をみるのが楽しいし、いじめればいじめるほどうまい料理を作ってくるところにとても満足している。
中華料理のレシピも掲載されているのだけど、レシピも料理薀蓄や料理バトルもいらない。料理を通した濃厚な人間関係というものが読みたかったし、読み終えてそれなりに満足。おもしろかったので2巻買うかどうか検討中。現在4巻まで出ているようだけど、あまり長期連載化すると陳腐になってしまわないかちょっと心配。
『ルート225』
作家の藤野千夜さん原作の小説を志村貴子さんがマンガ化。どっちも好きな作家なので、迷わず購入。
絵柄や雰囲気は(あたりまえだけど)志村さん。どっかの姉と弟にそっくりで、気の強いお姉ちゃんとちょっとヘタレている弟がなんとなくオーバーラップするのが可笑しい。でもストーリーは、マンガというより小説の匂いがする。うまくいえないけど、短編小説を読んでいるようなかんじで、マンガを読んでいた。
なんだかよくわからないままに、「いつもとちょっとだけ違う世界」に飛ばされてしまった姉弟が、元の世界にもどろうといろいろ挑戦してみるんだけど、どうもうまくいかなくて、「またちょっと違う世界」にいつのまにか紛れ込んでしまう。すごく怖いわけでもないんだけど、知っている世界が少しだけズレていて、その違和感に始終つきまとわれる。こういう些細な感覚のズレや違和感を表現するのって、志村さんはほんとにうまいなと思う。クオリティの高い小品だと思う。
山本ルンルン『宇宙の白鳥』
山本ルンルン先生がだいすき。
『マシュマロ通信』をだいぶ前にアニメでみてファンになったのだけど、今回は『宇宙の白鳥』(うちゅうのスワン)3巻を一気読み。
しっかり者の星野コロナちゃんとマイペースな月島ランちゃんは、ふだんはフツーの小学生6年生の女の子だけど、実は「宇宙パトロール隊員」として日夜活躍しているとゆー設定。コロナちゃんやランちゃんの着ている洋服はどれもこれもすてきだし、宇宙パトロール隊員としては、まだまだ半人前なところも可愛すぎる。
読むとマイナスイオン発生するかんじで、癒されるのです。
『聖☆おにいさん』
中村光の『聖☆おにいさん』に爆笑させてもらいました。
世界宗教の有名な教祖イエスとブッダが下界ライフを楽しもうと、東京の下町らしきところで共同で下宿生活をはじめる、という設定。
お二方ともいちおう神様なのだが、そこらへんにいるヘタレなおにいさんと何ら変わらない行動がとにかくおかしい。
イエスはコンビニでジョニー・Dに似ていると女子高校生に騒がれたとかで、「21世紀にしてモテ紀の予感・・・」とつぶやいたり(この方はある意味21世紀間中ずっとモテつづけているとは思いますが。しかしモテ「紀」って・・・)、ブッダは漫喫で手塚の『ブッダ』を読んで「手塚スゲェ・・・・・」と思わず一人涙をこぼしたり。ボケとツッコミがコロコロ入れ替わる二人の掛け合いがめちゃくちゃおもしろい。祭りで御輿かついで「アガペー!アガペー!」の掛け声はないって〜。
元ネタはほとんど分かるのだけれど、分からんのもあって、「アナンダの肋骨ダンス」が分からない! 話のなかでも「天界あるあるネタだから下界ウケはしないよ」といわれているのだけれど、元ネタがあるんじゃないかと気になってしまう。で、手塚の『ブッダ』を読むことにした。しかしこれも手塚のオリジナル度が高いのであった。別人すぎるぜ。
『自殺自由法』
戸梶圭太『自殺自由法』を読む。
自殺自由法が日本に施行されてから、自殺(自逝)が個人の自由となる。行政が積極的に後押し、苦痛なしに死ねる施設をつくり、自殺したい人々を積極的に施設へと誘導する、という内容。以下、簡単な感想。
タイトルにもなっている自殺自由法というコンセプトがまず秀逸。ナチスのユダヤ人絶滅収容所やニュルンベルク法、安楽死問題などを思い出させるし、思考実験としてはとてもおもしろいネタだな、と思った。
でも内容に関しては、この法律に振り回される人間や社会のほんの一部しか描いていない。自殺したくもなるような環境や境遇にある人々や、それによってうまい汁を吸おうとする人間のギラギラした部分は書かれている。でもそこで終わってしまっている。ある意味、最後まで変化がなくてワンパターンだったので、最後のほうは飽きてしまった。風刺もさほど毒が効いているとも思えなかったし。
なんというか、コンセプトはいいのに、外堀しか埋めていないかんじ。もっと内堀を埋めた内容を想像していたので、物足りなく思った。たとえば、この法案が成立するまでの過程――自殺の権利をめぐっての刑法学者や法医学者や哲学者の議論とか、反対する学者がナチ時代のように亡命を余儀なくされたのか、あるいは粛清されたのか、法案成立をめぐっての政治家の動向やこのときの政権がどんな政体だったのか等々、もっと思考実験の程度を上げられるネタだったんじゃないかな、と思った。毒が効ていくるのはそれからかな。
映画評
「さらば美しき人」は、だいぶ前に書いて放置していた映画評。美しい兄妹の近親相姦を扱った超耽美映画なんて、ほんと堪能するばかりで気の効いたコメントなど書けやしない。野暮は承知でアップするけど、そういうわけで、書いている文章も中身はないに等しい。
それにしても、原作が16世紀エリザベス朝時代だというのは知らなかった。猟奇的というか、相当血なまぐさいものが好まれたのか。そういやカール・シュミットの『ハムレットもしくはヘカベ』はエリザベス朝の演劇を扱った本だった。政治事件の血なまぐささがダイレクトに演劇に反映している様子を描いていて、すごくおもしろい本だった。
去年はあまり映画を見る時間をつくれなかった。時間の使い方がヘタなんだろうなー、と反省。コンスタントに見ていくように調節しよう。
杉本博司『苔のむすまで』
杉本博司『苔のむすまで』(2005年)を読む。副題は「time exposed」。
あとがきに「自分が文章を書く人間である、などとは露ほどにも思ったことがなかった」とある。写真という表現をとってきた人が文章を書くと、こういうことを考えて写真を撮られてきたのだな、こういうふうに物を見、考える人なんだな、ということが伝わってきて、すごくおもしろかった。芸術的な感性と理知的なものとが同居していて、写真から伝わる雰囲気がそのまま文章にも現われている。
日本の歴史や古典、骨董、仏教、能などの話をつなげながら、「日本的なるものJapantum」とでもいうべきものの真髄にユニバーサルな方法で迫ろうとしているという印象を受けた。その古層を写真を通じてあぶりだしていく方法が、歴史学や考古学や民俗学にも通底するようで、とても興味深い。タイトルからは「君が代」を連想するが、最後の章は昭和天皇の写真ではじまっている。20世紀の歴史もまた作者の眼差しの射程に入り込んでいる。
「私にとって、本当に美しいと思えるものは、時間に耐えてあるものである。時間、その容赦なく押し寄せてくる腐食の力、すべてを土に返そうとする意志。それに耐えて生き残った形と色。創造されたものは弱いものから順次、時間によって処刑されていく。〔……〕
それらのあらゆる災難を生きのびながら、永遠の時間の海を渡っていくのだ。河原の石が、上流から流れ下る間に丸く美しい形になるように、時間に磨かれたものは当初持っていた媚や主張、極彩色や誇張をそぎとられ、まるで、あたかも昔からそこにそのようにあったかのような美しいものになるのである。
しかし、その美もつかの間に過ぎない。いつか色も形も消え失せる時がくる。この世とは、あることからないことへの移り行く間だ。時おりその間で、謎解きの符牒のようにものが美しく輝くのだ。」(193−194頁)
「時間」について語る口調の、刹那と永遠を同時に見据えたような哲学的な響きに、心惹かれるものがあった。
(2006.nov.22)