教会

 こどものころ住んでいたところは、やたら福音教会があってスウェーデン人の宣教師一家が近所に住んでいたりした。公園で遊んでいると若い白人のお兄さんが切手をあげるからといって、子どもたちを集めていたりもした。わたしも切手をもらい、そのあと何回か、寺子屋みたいなかんじで開かれていた英会話教室に行った覚えがある(今思えば、これはモルモン教徒の布教活動だったかもしれない)。それで、どういういきさつがあったのかはぜんぜん覚えていないのだけれど、いつしか近所のこどもたちと一緒に日曜学校に通うようになっていた。たぶん一年かそこらくらいしか通ってないと思うのだけれど、殊勝にも献金したり賛美歌を歌ったりお祈りしたりしていた。小学校二、三年生くらいのときのことだ。
 聖書のおはなしがイラストになったカードを毎回もらえて、それを専用のノートに貼りつけていく。こども向けに分かりやすくなってはいるんだろうけれど、聖書の話はなかなか物語的にもおもしろくて、今でもよく覚えている。クリスマスのときには景品で、かわいらしい男の子と犬の陶器のろうそく立てをもらった(でもそのあと、これを友達の誕生日プレゼントに使いまわしてしまった)。
 四年生のころにはもう教会に行かなくなっていた、と思う。いつのまにかその教会はただの空家になり、壊され、マンションになった。
(Thursday, April 26, 2001)

小さくてなにが悪い

 二度目に会った人とお久しぶりですーと挨拶。 次に返ってきた言葉が、「こんなに小ちゃかったですか?」だった。別にあれから縮んでないぞ。あたしってそんなに小さい?
 そういえばリモくんとイッポリートと話をしていたときも、最初は、アタマ小さいですよね、とかなんとか言われてて、必ずしも悪い気はしない物言いだったのが、いつのまにか
「kirynさんて小ちゃいですよね」
に変わっていた。それだけならまだしも、そのうち
「身長何センチなんですか」
「体重何キロなんですか」
「なんでそんなに小さいんですか」
というシツコイ質問に変わってきた。あのね、それって理由を尋ねられて答えられる質問だろーか?
 あたしってそんなに小さい?とねじこむと、リモくんの彼女が168センチあるらしい。それ平均的にもかなり高いほうでしょー。それがものさしなら、世間には小さい人多いじゃないよ。しかもムカツクことに、リモのやつがさいごに言い放ったのが
「ドイツいったら苦労しますよ」
だった。おまえなー。

ヴェネツィア

 ヴェネツィアは不思議な街だ。そんなに多くの街をみているわけではないけれど、この街ほど人を惹きつける街は知らない。
 最初に感じたのは、寂しさだった。他の街に比べて、ここには、住んでいる人たちの気配がなかった。サン・マルコ広場に向かう通りにもヴァッポレットにも、観光客しかいない。井戸のある路地のほうに目をむけても、女たちが立ち話をし子どもたちが遊ぶ姿など、見ることはなかった。まるで書割のなかに迷い込んだようで、自分の足元が覚束ないような気がした。 それから類まれな美しさ。サン・マルコ広場からサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会のある島を眺めると、青い海の上に浮かぶその白い姿も、夕闇に暗く浮かび上がる姿も、今まで見たこともない美しさで、ただ岸辺に立ち尽くすばかりだった。
 翌朝めざめたのは、教会の鐘が遠くから鳴り響く音によって、だった。窓から見える空はまだ薄赤く、ヴェネツィアの建物が暗いシルエットのなかにぼんやりと浮かんでいた。冬の朝でバルコニーに出ると、寒さに身が引き締まった。鐘の音はいっそう大きくなり、辺りには水の気配が立ち込めていた。 ただ、静かで儚げな印象だけではなく、この街には視覚的なダイナミックさもある。ヴァッポレットに乗ってカナル・グランデを下っていくと、両岸にぎっしりと並んだ建物が通り過ぎていく。ポンテ・リアルトをくぐる辺りから、川幅が広がり、目の前に一気に海が広がる。これは、おもわず歓声があがるほどの爽快さだった。
 今考えても、この街のすべてを知りたいとは思わないし、ここに住みたいとも思わない。ただ、また訪れてみたい。惹きつけられる。たぶん、この街には「秘密」がある。少なくとも、そう思わせるほどの力がある。軽妙なくせに底知れない
(Monday, April 02, 2001)

ハリボ

 ドイツに旅行していたリモくんが帰ってきて、みやげといって「ハリボ」なるものをもってきた。かわいくないこどもの絵がついたビニール袋から、おかしと推測できるのだが、みたこともない形態のブツである。黒い細いゴムみたいなものがぐるぐる渦巻に巻かれてあって、直径5センチくらいの円盤になっている。ちゅーとのばして食べると教えてもらったとおりに、ちゅーとのばして口にいれてみた。ゴムとコンブとのど飴と油を混ぜたような味。ウェーである。飲み込めなかった。袋にハリボが10個くらい入っていて1.95マルク(約100円)。値札つけたままもってくるなよ。安いみやげ〜。ウケをねらうのはいいけど口直しのフォローもほしいっての。
(Tuesday, March 27, 2001)

突然、ヴェネツィア?

 水道局の人がきて、水道料金の領収書を見せながら、メーターがあがりすぎているからお宅は水漏れの疑いがあるという。見るとマジすか!?ってなかんじの料金請求。いつもの4倍。しかも来月請求分のメーターはさらに膨れ上がっていて、いつもの8倍の請求がきそうな勢い。
 しかし、こんなになるまで気づかなかったくらい、どこに異常が発生しているのか分からない。昔、電気窃盗という裁判があったらしいが、水が窃盗されてたんじゃないのか? なにがなんだかわからないまま、非常事態なので水の元栓を閉めた。以来、汲み置きの水で生活している。
 あとで水道局の人がきて、畳をあげて水漏れの場所をみつけてくれた。どうも台所が水漏れしているようで、戦前から使っていたらしい鉛管が古すぎて破れているらしい。応急措置でなんとかなるレベルを超えているらしく、大規模な工事が必要だという。
 そういうわけで、うちの家の床下は今水浸しらしい。しかし、何にも知らずに生活している間に、床下ではどんどん水があふれていっていたのだなあ。そのうち沈むんじゃないのか。まるでうちだけヴェネツィアに建っているよう。
(Saturday, March 17, 2001)

天然招き猫

 煮魚定食でカレイの煮付けを食べる。身の半分が卵だった。しかも厚みが4、5cmはある。ごはんお代わり自由で2杯も食べてしまう。大根と薄揚げの煮物もしっかり味がついていて美味しかった。お昼の定食だから安くって、これでなんと600円也。おトク、おトク〜。
 店の前にはいつも猫が店番していて風流な店だと思っていたら、餌をもらおうとスキあらば店のなかに入ってこようとする野良ちゃんだった。店の人が、あ、また入ってきた!といっては冷蔵庫から余り物の食べ物をだして、すいませんねえといいながら外に誘導していく。わたしは猫好きなので、その猫が足元に擦り寄ってきたときはウレシクてツンツンつついてしまった。天然招き猫と名づけよう。
 そういえば、近所の喫茶店には飼い犬が店番しているところがあるんだけど、この犬がまた大きさ的にはビクターの犬サイズで、店の入り口のガラスにぺたっと張り付いているものだから、はっきりいって入れない。キミは商売のジャマをしとらんかね?
(Saturday, February 24, 2001)

節分祭

 近所に節分祭で有名なお寺があって、毎年この季節には大勢の人が御払いをしてもらいに訪れる。寺の周りから駅にいたる道には所狭しと屋台が並び、車も入らないように警察が通行規制する。朝から晩まで4日ほど続くので、にぎやかなことこの上もない。うっかりいつものくせで自転車に乗っていくと、人ごみにのまれて身動きできなくなってしまう。お寺のほうでは、山伏みたいな格好した人たちが、護摩をたいて何やらお経を唱えてはほら貝を吹いている。厄払いをしてもらう人が、山伏さんに勺で肩のあたりを叩いてもらう姿も見られる。狭い境内にびっくりするほど人があふれていて、いつもの数倍は広いお寺に見えるからふしぎだ。天気のいい日には我が物顔で歩いている鳩たちも、この期間だけは避難しているのか姿をみない。
 祭礼のあいだは、普段の町の姿がすっかり変わってしまうのがおもしろい。道は通行規制しているからいつもの道が使えなかったり、休耕している畑が緋毛氈をひいた一大食堂に早変わりしていたり、スーパーの入り口が屋台に覆われて申し訳程度に見えているだけだったり、八百屋なのにこの期間だけ厄除け饅頭を売る店に変わっていたりする(←まるでもともと和菓子屋みたいだったように饅頭を売るおばちゃんたちがおかしい)。駅近辺のお店はどこも満員御礼で、もう寺町みたいな状態である。ちょっと離れたところには消防車や警察の車が待機していて、なかに警官がぎっしり詰め込まれていたりして、びっくりさせられる。
 これだけ人が繰り出すのをみるとさぞかし効験あらかたなお寺なのかと思うが、なんせ近所にあるものだからいまいちありがたみがない。とりあえず厄除け饅頭と天津甘栗とベビーカステラを屋台で買って食べる。なんか最近食い気ばっかし…。
(Monday, February 05, 2001)

なつかしアニメ〜?

 ガンダム・ファンが急に増えたような気がする。というか、まわりにいるやつが、ガンダムを語らせたらオレ止まんないよ?とか、ガンダム名言集いえるよ?みたいな連中だったりしたことに最近気がついた。こどもの頃に見て大いに感動して、大人になって小金がたまって、ゲームソフトとかを買って、あらたに感動しているらしい。ザクが後ろからガーと突っ込んできてそれがものすごい迫力で云々といわれても、なんのことやらさっぱり、でございます。
 ガンダム見てたけど、ストーリー性があったからおもしろかったけど、そういう「なつかしさ」は別に感じないなあ。じゃ、おまえにとって影響をうけたアニメは何なんだ、と問いかけられて、うーんと考え込んだ挙句、「バビル二世」と答えた。あの、砂漠で学ラン着てたやつ?といわれて、そうそうと答える。学ランはどうでもいいんだけど、砂漠に住んでて、言葉を喋る黒豹を「しもべ」にしているというシチュエーションがよくない? ほかのロボットとかは美的にいただけない形態だったしアホっぽかったけど、あの黒豹は賢そうだった。でもちょっと心配性で執事みたいな性格だったような気もする。その辺はもう少しクールなしもべに改造して……いや改造してどーするんだ。
 なんにせよ、オレにガンダム語らせたら連中は、目を輝かせて語りはじめたりしてとにかくうっとおしいので、今度から無視する。ガンダム禁句にする。
(Monday, January 15, 2001)

眩暈

 はっきり覚えてはいないけど、たぶん5歳くらいのとき、じぶんは永遠にこどもであるような気がしていた。5年間生きてきてさらに5年生きるとすると、それはわたしにとっては倍の長さの年月なのに、父や母は5年生きても30数年+5年、祖母にいたっては60数年+5年にしかならないのだ。こっちは今まで生きてきた年月のまったく倍も生きるというのに、おとなにとってはほんの数年がすぎるだけというのが、なんだか不思議だった。
 5歳のわたしが10歳のわたしを想像するのは、眩暈のするようなことだった。わたしはいずれ10歳になるかもしれないけれど、今まで生きてきたのと同じ長さをさらに生きなければ10歳にならないのだと思うと、それは気が遠くなるような長さだった。一日も一つの季節も一年も、とても長かったから。
 こういう眩暈の感覚はこどものときはしょっちゅう感じていた。病気になって昼間から布団に寝かされているとき、なんとはなしに天井の木目をじっと見ている。そのうち木目模様がぐにゃりと空間をはみだしてくる。それは吐きそうになるくらい気持ち悪い感覚だった。いったんそういうことがあると、いやなくせに、やみつきになったようにその感覚を呼び戻そうとする。それで、ぼーと天井の木目をみつめて遊んだりしていた。
 10代のころにはそういう遊びはしなくなったように思う。もちろん、年月の感じ方も、こどものころのようには長くなくなった。
(Monday, January 08, 2001)

お正月の過ごし方

 お正月には凧上げて〜独楽を回してあそびましょ〜♪ でもこのお正月は読書三昧で過ごすのです。図書館でいっぱい借りてきたものね。トルストイでしょードストエフスキーでしょーメルヴィルでしょーエーコでしょーって、こんなに読めるか!っていうくらい。でもテレビを見ない分、読書と映画鑑賞に時間を当てたいデス。お正月映画はけっこういいものがテレビ放映されるようだし。
 映画といえば、kirynはドイツ語を習っているのですが、年末の授業のとき、先生のコッパー氏がドイツ映画のビデオを貸してくれた。1944年のナチス時代の作品で、世相の暗いムードを吹き飛ばすために作られたコメディだ。戦意高揚物ではなくてコメディというあたりが驚きだったんだけど、随所随所がやっぱりナチっぽいんですね(ワイマール時代のギムナジウムが舞台なんだけど、ワイマール的な教師は軟弱で怠惰、ナチの党員になっている教師は規律正しく清潔、みたいな)。
 まあ、ともかくそのビデオをコッパーが貸してやるというから(←多分もって帰るのが面倒くさい)、どうしよかなあと思ったんだけど(←多分見ない)借りることにした。で、
“Danke schoen. Ich lerne Duetsch noch mehr aus diesem Videofilm.” (ありがとうございます。このビデオでもっとドイツ語勉強します)
と殊勝にも言ったのに、
“Aber dieser Film wurde in der Nazizeit gedreht. Moechtest du militaerisches Deutsch lernen?” (でもこの映画はナチ時代の作品だよ。キミは軍国主義的なドイツ語を覚えたいの?)
って笑われた。く〜。いっそのこと「軍国主義的なドイツ語を喋る日本人の女」、というあたりを狙うか?
(Monday, January 01, 2001)