フルメタル・ジャケット

Full Metal Jacket
1987 年 米
監督: スタンリー・キューブリック
出演: マシュー・モディン
アダム・ボールドウィン
ヴィンセント・ドノフリオ


 実はマシュー・モディンという役者さんがそのころちょっと気に入っていて、それでいそいそと観にいったのですね。だーいしっぱーい。主人公がマシューくんだったのだけど、印象にのこるのはあの教官とあのデブ新兵ばかり。みんなそうではないでしょうか・・・。うう、監督がキューブリックじゃないかー。そうと知っていれば、もうちょっと心の準備もあったもんだが、上映当時はなんも知らんかったんだもん。
 カルイ気持ちで観にいってエライ目にあったわけですが、まじめな話、「戦争って何?」という問に対するもっとも真摯な答えとして、「この映画を観よ」とはいえる。
 普通の人間は人間を殺せない。だから戦争するためには、人間を平気で殺せる人間を造りださなくてはならない。それがあの前半のシゴキ。その結果が、鼻歌を歌いながらベトナム人を射殺しまくるアメリカ兵。
 これはアメリカだけの問題じゃないし、ベトナム戦争だけの問題でもない。戦争の本質にまちがいなくあるひとつの側面だろう。その意味で、この映画は戦争映画のなかでも見るべき価値をもつ作品のひとつだと思う。
by kiryn (2001/10/31)

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ポーラX

Pola X
1999 年 仏・独・スイス・日
監督: レオス・カラックス
出演: ギョーム・ドパルデュー
カテリーナ・ゴルベワ
カテリーヌ・ドヌーヴ


 レオス・カラックスの映画「ポーラX」(1999年)は説明しがたい不安を観る者に与える。この映画はおそらく重層的に観ることが可能だ。だがなによりも第一印象は、きわめて政治的な映画だ、というものだった。
 主人公ピエール(ギョーム・ドパルデュー)は美しいお城に住み、新進気鋭の作家であり、著名な政治家を父にもち、美しい恋人との結婚を控えている。彼は申し分なく上流階級の人間であり、将来を嘱望された若者だ。そんな彼の前に「姉」と名乗る謎の女イザベル(カテリーナ・ゴルベワ)が現れる。ピエールは彼女に強く惹かれ、美しい恋人や家を捨てて、イザベルと彼女の友人、そしてその子供を引き連れてパリを彷徨うことになる。
 わたしが「政治的」と書いた理由は、イザベルが「東」から来たことにある。彼女は祖国の戦火を逃れてフランスに不法入国した亡命者なのだ。
 上流階級のなかで生きてきたピエールが、「東」からの亡命者たちを引き連れているがゆえに、それまでは無縁であったはずの社会の蔑視にさらされていく。街中のホテルには宿泊を拒否され、警官の姿におびえる彼女たちにとまどい、タクシーには乗車拒否されてしまう。美しかったピエールは視力をどんどん失って分厚い眼鏡をかけ、杖をついて片足を引きずりながら歩くようになる。書いた小説は出版社に受け取ってもらえず、最後には悲惨な結末が待っている。彼が女によって破滅していく姿は痛ましい。
 90年代の西ヨーロッパは、コソヴォやユーゴの混乱に悩ませられてきた。彼らは「東」の民族紛争に手を焼き、ときには空爆まで行い、溢れ出す難民の流入に悲鳴をあげてきた。けれども西ヨーロッパ社会の周辺部にその姿を現す難民たちはこの時代の、いや今世紀のひとつの現実を体現している。つまり、法の外部におかれた人間、というものを。   
 ピエールはあまりにも純粋に、社会のなかに区切られた境界線を踏み越えていく。彼はフランス社会のもっとも中心部にいたはずなのだ。それは、確固たる身分・教養・慣習・法・伝統の壁に囲まれた堅固なお城だったはずだ。彼はそこからあっさりと越境し、社会の底辺にまで堕ちていく。カラックスの映画は、およそ関わりのないはずの人間を運命の恋人同士にしてしまう。それは社会の中心部に上昇するシンデレラ物語とは異なって、不穏で流動的な社会の周辺部へと下降する物語だ。
 観る者が不安になるのは、境界線を踏み越える――それを選んだのか選ばされたのかはわからないが――主人公の破滅的生を通して、現代の社会に確かに存在する、社会の周辺部の不穏さを感じとってしまうからだ。一切の調和を拒むこの映画の衝撃力は、まさに私たちの生きる時代の暗部を鮮烈に切り取っているところから生じているのだ。
(Sunday, December 17, 2000)

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バグダッド・カフェ

Bagdad Cafe
1987 年 独
監督: パーシー・アドロン
出演: マレーネ・ゼーゲブレヒト
ジャック・バランス


 太ったドイツの中年女性がアメリカの砂漠のハイウェイにある寂びれたカフェに、ある日ふらりとやってきて…で始まる「バグダッド・カフェ」(監督パーシー・アドロン、1987年、独)は、安心して観ていられる。ジャスミン役のマレーネ・ゼーゲブレヒトの醸し出す人の良さと安定感は、この映画の魅力の一つだ。彼女のチャーミングさゆえに、砂漠の寂びれたカフェが運転手たちの集まるオアシスになるという設定も生きている。ジャスミンとカフェの主人であるブレンダとの心の触れ合いも丁寧に描かれていて、心地よかった。でもどこか寂しい気持ちが残っている。なんでだろう。
 ただの旅行者のジャスミンが、バグダッド・カフェに現れてからカフェは繁盛するようになる。しかし彼女は、そこになくてはならない存在になったとき、ヴィザ切れで帰国させられてしまい、盛況だったカフェはもとの寂びれたハイウェイ沿いのカフェに戻ってしまう。でも映画はそのあともう一度ジャスミンをカフェに登場させ、バグダッド・カフェは再び活気を取り戻す。
 観ていて寂しいかんじになってきたのは、ジャスミンが再び現れて何もかもうまくいく、というあたりからで、これはカフェで暮らす人たちの「夢」なのではと疑ってしまったからだ。「こうであればよかったのに」という登場人物の願望をわたしは観ているんじゃないかという気がしてならなかった。(でもそう考えれば、ジャスミンは最初の一日でうらびれたバグダッド・カフェとヒステリックな女主人のブレンダに嫌気がさして出ていったかもしれないし、もしかしたらそもそもジャスミンなんて存在しなかったのかもしれない、と否定していくこともできる。)
 最後のバグダッド・カフェの盛り上がり方はとくに何かに似ているなー、何だっけ?と考えていて、フェリーニのサーカスに思い当たった。どこか寂しくてノスタルジックなのは、現実には起こらなかった幻を観ているような気がしてならないから、だろうか。
(Sunday, January 21, 2001)

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ひかりのまち

wonderland
1999 年 英
監督: マイケル・ウィンターボトム
出演: ジーナ・マッキー
シャーリー・ハンダーソン
モリー・パーカー


 気持ちのいい秋晴れだから外を歩こうと思っていたのに、映画館に入ってしまう。気がついたら日が暮れていた。
 というわけで、マイケル・ウィンターボトムの「ひかりのまち」(wonderland、1999年英)を観ました。これが観たい!と思って観た訳ではないので、いっさいの先入観なし。宣伝文句にはやたらと「普通」の文字が目に入ってきて(普通のひとびと、普通の家族、普通がスバラシーetc)、おもしろいのかなーと半信半疑だったのですが、よかったです。
 ネタばれにならない程度に話を紹介すると……。
 映画の舞台はロンドン、時代はまさに現代、子育てを終えた一組の夫婦とそのこどもたちのそれぞれの日常生活を描いている。一番上の姉は小学生になる男の子を育ているシングルマザー、こどもの父親との間はすっかり冷え切っている。カフェで働くまんなかの妹は恋人探しに忙しく、一番下の妹は出産間近で幸せそうだけど、父親になるパートナーが突然仕事をやめてしまう。この三人姉妹をいちおう物語の中心に、話が進む。(「いちおう」と書いたのは、この一家族そのものを主人公というのがより適切かもしれないから。)
 とにかく起こる事件といっても、ちょっとした交通事故やこどもの迷子くらいで、映画的な非日常性はまったくない。だから観ている途中で、この映画はこんな調子でどうやって終わるんだろう?と心配になったくらい。でも終盤は、そういったちょっとした事件を展開させながら、ひじょうにうまくまとめている。こういった日常性を描ききる、しかも観客を飽きさせずに、というのはなかなかの手腕だと思う。小津安二郎の映画を思い起こしましたね。
 夜のロンドンを人びとがそぞろ歩きをしている様子、道端に散らかるごみ、カフェや夜おそく走る二階建てバスの中の雰囲気、散らかったこども部屋、汚れた窓ガラス越しに見えるマンションの立ち並ぶ風景、人びとの顔に刻まれた皺、母親の疲れきった顔――「普通」というのは、つまり、「わたしもその感覚を知っている」ということ。ひかりにあふれた夜の街を主人公たちがひとりで彷い歩くシーンは、マイケル・ナイマンの静かな音楽とともに、この映画の見所の一つだと思う。
(Saturday, November 04, 2000)

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ぼくのバラ色の人生

Ma Vie En Rose
1997 年 ベルギー・仏・英
監督: アラン・ベルリネール
出演: ジョルジョ・デュ・フレネ
ジャン・フィリップ・エコフェ
ミシェール・ラロック


 ドレスが好き、お人形さんが好き、好きな男の子と一緒に遊びたい――「でもあなたは男の子なのよ」。この言葉が何を意味するのか、自分の振る舞いでどうして家族が苦しむのか、どうして近所の人たちから白い目で見られるのか。まだ小さなリュドが、自分の行動によって起こる周りの反応に気づいていかなくてはならない、その哀しさに胸がつまる。
 まっすぐなリュドの心が萎縮しないような世の中であればいいのに、と思う。かつて「リュド」であり、今まさに「リュド」であり、これから「リュド」であることに気づく人たちが、心を萎縮させることなく生きていける、そんな世の中であればいいのに、と心から思う。
by kiryn (2001/10/9)

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僕たちのアナ・バナナ

Keeping the Faith
2000 年 米
監督: エドワード・ノートン
出演: ベン・スティラー
ジェナ・エルフマン
アン・バンクロフト


 エドワード・ノートンの最新作「僕たちのアナ・バナナ」(Keeping the Faith)を観た。いろいろ盛りだくさんで2時間たっぷり楽しめた。つくりは巧いしテンポもいいしセリフも歯切れ良くてカッコイイし、映画ネタもあちこちに散らばしてあって笑わせる仕掛けはたくさん仕込んでありました。
 ストーリーは、幼馴染のユダヤ教のラビとカトリックの坊さんがこれまた幼馴染のイケてるアナを好きになるという三角関係もの。今どきの若いニューヨーカーの青春物。ただ聖職者という設定のせいか、ちょっと説教くさいかなー、優等生っぽいかなー、おまけに終わり方はどうしようもなく陳腐だぜって感じです。楽しみつつもまじめに人生考えているんだよ、っていうメッセージがちょっとうっとうしかった(われながらイヤミな見方だなー)。でも同じ三角関係物なら「チェイシング・エイミー」のほうがおもしろかったかもしれない。こっちの登場人物たちのナイーブさのほうが、まだ共感できる(少女まんがみたいーと思ってたら、そのあとほんとに少女まんがになっててびっくりしたけど)。
 ただ、お気楽観光気分でニューヨークには行ってみたくなった。島の上ににょきにょき高層ビルが生えてるかんじがよく分かって、その辺の映像はおもしろかったです。
(Sunday, February 18, 2001)

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夏物語

contes des quatre saisons: conte d’ete’
1996 年 仏
監督: エリック・ロメール
出演: メルヴィル・プポー
アマンダ・ラングレ
グウェナエル・シモン


 数学専攻でもうすぐ企業で働くことが決まっているガスパール(メルヴィル・プポー)が、アコースティック・ギターを片手に、夏のリゾート地にやってくる。観光客で賑わう海水浴場や街中を一人歩き回るが、彼は来るかどうか分からない恋人レナ(オーレリア・ノラン)をあてもなく待っている。
 7月17日から始まる夏の日々、ガスパールは小さなレストランでバイトするマルゴ(アマンダ・ラングレ)と仲良くなる。民族学を専攻するマルゴは、どんな人間に対しても興味を示し、親しく打ち解けて話をすることができるけれども、ガスパールは集団が苦手で人となかなか打ち解けられない。女の子に対してもナイーブで、レナとの関係も友だち以上恋人未満な状態が続いている。「ぼくは愛されないと愛せない」と呟き、自尊心が高くて不器用な姿を垣間見せる。
 海辺や陽の照らす山道やお城のそばを歩きながら、マルゴとガスパールの会話が続く。
 マルゴは、美形なのにナイーブなガスパールにかなり好感をもつんだけど、ガスパールのほうは、今度は、セクシーなソレーヌ(グウェナエル・シモン)の積極的なアプローチにあっさりついていってしまう。あれあれあれ?というかんじで、軽ーいオトコになってしまう。そのあと、さらにレナが登場して、ガスパールはワガママでプライドの高いレナに振り回されるハメになる。マルゴとソレーヌとレナの三人に「ヴェッサン島へ一緒にいこう」と同じ内容の約束をしてしまうため、ガスパールはさらに窮地に立たされてしまう。
 結局この窮地は脱したものの、二兎どころか三兎とも得られないまま島を去ることになり、ガスパールは、女の子とうまくいかないのがぼくの運命だ、とうそぶく。でも、マルゴにあっさり、自業自得でしょ、と釘をさされてオシマイ。
 見ているうちに、マルゴに感情移入していっちゃって、マルゴの視線でガスパールの「もう!しょうがないわね」的な行動を追ってしまう。赤いビキニもかわいいし、美人ではないけど一番魅力的だった。
 ガスパールは黒髪ボサボサで顔がきれい。すごくかわいいかんじ。女の子たちはガスパールがまわりの男の子と毛色がちがうからついつい惹かれてしまうし、そういう気持ちもよく分かる。でもつきあうと優柔不断でへんにプライド高くてクセモノ。セクシーなソレーヌにふらふらと惹かれていくあたりは、おいおいってかんじだったけど、ソレーヌもまた気性が激しくて、竹を割ったような性格なので好感はもてる。いちばんわかんないのが、レナ。ガスパールの「理想の女性」ということで登場してくるんだけど、ぼてぼて歩くし喋り方はだるそーだし、ちょっとエラはってるし性格悪いし、ガスパールの趣味が悪いのか、単なるミスキャストなのか迷うところだ。
 でも「ラブコメ」なんて言葉で片付けるのはもったいないほど、主人公たちの心の動きが繊細な映画だと思う。映像も色合いが柔らかくて、やさしいかんじ。
by kiryn (2001/12/14)

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太陽と月に背いて

Total Eclipse
1995 年 英
監督:アニエスカ・ホランド
出演:レオナルド・ディカプリオ
デヴィッド・シューリス
ロマーヌ・ポーランジェ


 この映画、けっこう好き。あの寒々しい灰色の海辺にランボーがいたシーンがよかった。ランボー=ディカプリオというのがねぇ、という声もきかんでもないが、そりゃディカプリオだって、リバー・フェニックスがあんなことにならなければ出世できたかどうかわかんない役者だけど、この映画くらいいーじゃないかとちょっとだけ擁護。
 詩を書いていたときのランボーだけじゃなくて、詩をかかなくなったランボーまでちゃんと描いていたのがよかった。
 アフリカにわたって、商業活動をしていたらしい後年のランボーは謎にみちている。前半生の鮮烈で騒々しい生き方とちがって、その人生は砂漠の砂にうもれて沈黙している。
 どんなに劇的に変化した人だって、その変化は断絶面と連続面の双方があるはずだ。ランボーの場合はとくに、その双方を見たいと思う。彼のような生き様をした人は、存在そのものが詩だ。そういう人には、すなおに心惹かれる。
by kiryn (2001/12/19)

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チェイシング・エイミー

Chasing Amy
1997 年 米
監督: ケヴィン・スミス
出演: ベン・アフレック
ジョーイ・ローレン・アダムズ
ジェイソン・リー


 画面がいきなりいわゆるコミケとコスプレから始まる。アメリカ版おたく映画か?と思いきや、男A→love→男B→love→女(でもレズビアン)という三角関係恋愛モノだった(アメリカではオタクと恋愛は無理なく両立するのか?)。さくっと楽しめる映画だった。何の予備知識もなく映画館に入って、得したね楽しかったね、といいながら出てきたおぼえがある。
 たしか誰かがこれを原作にマンガにしていたはず。わたしはそこまで入れ込めなかったです。主人公の女の子が自分に好意を抱く男の子に対して、さんざん「I’m gay!!」とか涙ながらに叫んでたのに、話を追っていくと、彼女はべつにビアンでもなんでもなくて、結局あんた何なの?とツッコミをいれたくなったから。ちょっとイラッときてしまった。
by kiryn (2001/10/12)

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春婦伝

1965 年 日
監督: 鈴木清順
出演: 川地民夫
野川由美子
石井富子


 清順美学的にいえば、戦場における死とエロス、といったところの映画なのかもしれない。
 太平洋戦争中で、兵士相手の娼婦が日本軍のある兵士を好きになって、彼をずっと追いかけるんだけど、男のほうは女を突き放したり振り回されたり、といったストーリーだったと思う。最後は心中にはほどとおいんだけど、心中と見られる形で一緒に爆死。兵士は娼婦ごときと遊んでいるわけではないということを示そうとして自爆しようとするんだけど、結果的には、娼婦ごときと心中したふがいないヤツということで汚名をあびるという結末だった。
 正直、そんな皇軍兵士の心理の綾などどうでもよかった。ショックだったのは、あきらかにその娼婦たちが「従軍慰安婦」だったこと。主人公の彼女が上官にレイプされたり、兵卒が列になって部屋の外に並んで待っていて、自分の階級と名前を大声で叫んでから部屋に入ってくるシーンが驚きだった。
 この映画は告発の映画でもなんでもない。こういった場面は、おそらくある年代までの人たちにとっては、戦地における「日常」をそのまま描いた単なる風景にすぎないのかもしれない。けれどもそれがいっそう、今の時代には、犯罪性さえ感じさせてしまう。
by kiryn (2001/10/19)

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