映画メモ「から騒ぎ」

 ケネス・ブラナー監督の「から騒ぎ」を見る。シェークスピア原作でさすがにプロットはおもしろいと思うのだけれど、こういう演劇的な映画ってどうもついていけない。タモリのミュージカル映画嫌いに通じるものがあるのか、舞台みたいな映画ってなんだかなあ・・・。イタリアでとっているのか、建物や空気感はヨーロッパ映画みたいなのだが、役者もその演技もとってもアメリカ的で、そのへんのちぐはぐ感にもなかなか慣れなかった。でも話はサクサク進むし、どんでん返しも見事だし、とにかくアッカルイ話だし、もう最後はどうでもよくなったです、ハイ。
 

映画評「エマ」

 すっかり春めいていて、季節感が狂う。今冬は結局、ぶあついコートを出さずじまいだった。旅行とか行きたい〜。
 「エマ」をみた。ヴィジュアルがよいですね、この映画。アントワネット時代のゴテゴテした服装をみた後だったから、余計にドレスとかかわいく見えた。コスチューム物映画の鑑賞が続いています。
 「香水」は3月3日公開の模様。待ち遠しい。

エマ

emma
1996年 英
監督:ダグラス・マクグラス
出演:グウィネス・パルトロウ
トニ・コレット
アラン・カミング
ユアン・マクレガー
ジェレミー・ノーザム


 19世紀ロンドン郊外ハイベリーの美しい自然を舞台にした作品。何より、そこを歩くたおやかな女性たちが美しい。胸元から裾までまっすぐ伸びるドレープの美しいドレス、高く結い上げた髪、ほっそりとした首筋、無駄な装飾のないデコルテのラインなど、とても可憐である。こうした女性たちが、美しい調度品をそろえた室内に佇んだり、緑豊かな森の小道を散歩したり、畑でイチゴ摘みをしたりと、それはそれはロマンティックな風情が漂っている。おまけに話もうまい(さすがにJ・オースティンの原作がよいのだろう)。たいした事件がおきるわけでもないのに、人間心理の微妙なゆらぎがとてもうまく描かれていて、見飽きなかった。サロン的というのにふさわしい、品よくまとまった佳品というかんじだ。
 二十歳そこそこのエマは、身分が高く、容貌も整い、歌や絵画の腕もすばらしく、おまけに頭のキレも抜群で、結婚相手としては申し分のないお嬢さま。でも自分の結婚はそっちのけで、周囲の人物の縁組をするのが趣味という女の子。周りの人間を自分の思い通りに動かすべく策略練るのが三度の飯より好き!だなんて、けっこうタチの悪い趣味ではないかと思うし、エマみたいなタイプは正直苦手だけれども、まあそういうことは横においといて(グウィネスはハマり役ですね)。
 おもしろかったのは、19世紀の上流社会における「結婚」のもつ意味がよく出ていたこと。何より結婚は、当時の女性にとってはその後の人生を決める最重要事だった。このレールに乗れなかった人に対しては、周囲から品のよい哀れみの眼差しが注がれるという、かなりシビアな現実も描かれていたりする。
 さらに結婚とは、階級のバランスと人間性の双方を秤にかけて為される社会的行為に他ならないということもよく分かる。エマが友人のハリエットとエルトンのキューピッド役を勝手にやりはじめて、友人であるナイトリーに諫められるのも、階級や相性のバランスを欠いた縁組を勧めているという理由にあったりするからだ。
 全体的にお説教臭いといえばお説教臭いのだけれど、これは一種、女性向けのビルディング・ロマンだったのかなと思う。理想の結婚とは何か、賢い女性とはどのような人かというテーマを、エマという一人の女性を通して描いているともいえる。このテーマは、最後、エマとナイトリーの結婚で表現されている。
 彼女とナイトリーは「友人」同士として、耳に痛いことも時には相手に遠慮なく言う、そういう対等な関係にある。階級がつりあっているのは当然として、嫉妬や恋心も理性によって慎み深く抑え、最後はお互いの恋心を認め合っての結婚にいたる。階級のつりあいのみを重視した結婚でもなく、恋愛の情熱にかられただけの結婚でもなく、「分別」と「コモン・センス」を備えた人間同士の結婚が理想的な結婚なのだという、イギリス的な価値観を反映したものとなっている。そこに慎ましやかなロマンティック・ラブ・イデオロギーと女性の相対的な地位の上昇もこめられていて、「19世紀」「イギリス」の「女性」の価値観とはこのようなものだったのかと思わせられる作品だった。
(20.feb.2007)

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チョコレート菓子

 時節柄、チョコレートが世の中に氾濫しているのはよいが、最近はチョコレート大好き曲線もあまり上がらない。とはいえ、輸入食材の店でリンツの板チョコ(85%と99%)が一枚198円で安売りしていて、ついつい買い占めてしまった(←85%のほうね)。もう条件反射なのか? なんか情けない・・・・。ま、当分珈琲のお茶請けに悩まなくてすむか。
 でも、スーパーの店頭にずーっとおいてあるチョコレートも、今日は大量に売り切れいていてびっくりした。このまえまで大量に残っていたから売れないんだと思っていたけど、直前になるとすごく売れるものなんだねぇ。出来合いを買う気はないのだけれど、冷蔵庫には、前に作ったフォンダン・ショコラの残りの製菓用チョコレートとかココア・パウダーが残っているし、パンの材料を買うときにいっしょに購入した胡桃やかかぼちゃの種や干しいちじくもある。とりあえず何かは作れる。でも何を作るかが決まらないんだな。

映画『香水』

『マリー・アントワネット』を見に行ったとき、予告編で『香水−ーある人殺しの物語』が映画化されることを知った。小説をあまり読んでいないわたしだけど、この本はめちゃくちゃにおもしろかったのを覚えている。それに予告編で流れた映像−−ヨーロッパの街の広場に人間がひしめきあって、どよめいている場面−−をみて、これは絶対最後のアノ場面だ!と思い、その映像をみただけで、見に行くことを決定。
あ、公式サイト発見。
こちらは東京国際映画祭の紹介。
監督は、トム・ティクヴァなのね。『ラン・ローラ・ラン』の人ですね。

映画感想

 『マリー・アントワネット』を見てきた(ネタばれしてます、ご注意を!)。見終わったあと、キレイでかわいい砂糖菓子に囲まれてうっとりしたい!とか思っていたのに、気がつくと大衆中華料理店で、坦々麺と炒飯と餃子と甘酢肉団子と五目スープを食べていた。隣の席の女子三人組みが、どれだけ食べるの?というくらい注文をするグループで、それがなんだかすごく気になった。
 どうでもいい感想だけど、ルイ16世のオタクぶりがすごかった。コッポラ監督はあまりそこをつっこんで描く気はなかったみたいだけど。アントワネットが普通の女の子なのに政治家(王妃)にならなくてはいけなかったように、ルイ16世はオタクなのに政治家(国王)にならなくてはいけない人だったんだなー。職業選択の自由のないところは大変だな〜、と思った。

マリー・アントワネット

Marie-Antoinette
2006年、米
監督:ソフィア・コッポラ
出演:キルスティン・ダンスト
ジェイソン・シュワルツマン
リップ・トーン


 一言でいうと、思ったより毒がなかった、という感想になる。アントワネット視点で撮ることで一貫して、最後、彼女が誰もいなくなったヴェルサイユを眺めるというのはまあいいとして、え?ここで終わるの?という感は否めない。
 彼女が本質的には普通のお嬢様で、政治のイロハも分からずに大国フランスの王妃になった人物だと、『ベルばら』でもツヴァイクの『マリー・アントワネット』でもそんな風に描いていたと思う。だからコッポラが彼女のコケティッシュな魅力を前面に出す形で描いたのも、歴史的解釈としてはさほど無理はないと思う。
 ただ、いわば普通の女の子である彼女が、王朝外交のど真ん中に放り込まれ、栄華を一身に表現することを求められ、最期はギロチンで処刑される人生を送るという、天国から地獄へのその急降下ぶりが凄まじいのであって、ヴェルサイユを出てから以後の描写がひとつもなかったのが残念だった。そこを描かないアントワネットなんて、天真爛漫なのはいいけど、ヘタすりゃ空気読めないイタい人で終わってしまうって。せっかく前半生をパンクロックがかかるなかでファッショナブルかつガーリー・テイスト満載で気合を入れて撮っているのに、あれを晩年の彼女を描写するさいに、対比させるか追想させるかしてなんで使わないかったんだろう、もったいないな〜と思った。前半は挑発的に飛ばしているのに、後半しぼみすぎ・毒なさすぎ。
 それでも、しきたりとマナーに満ちた宮廷生活を描いたところなどは、とてもおもしろかった。王朝外交が後継ぎを産むことにどれだけ重点を置くものであるかもよく分かる(そういう意味では、王政というのはほんとに不安定な政治体制だわ)。映画の売りになっているファッションやスウィーツの目も眩むような鮮やかな色彩はまさに王朝絵巻というかんじ。赤・薄桃・青・黄・白・紫と場面を変えるごとにくるくる変わるドレスは見ているだけでうっとりする。フリルや花のついた帽子、風に揺れてゆっくり膨らむ絹のドレス、背中のほうにふんわりと垂れる首に巻いたスカーフ、口元を覆う扇子、高く結い上げた髪にさしこまれた羽、フリルとリボンをふんだんに使った靴――。
 映画をみて記憶に残るのも前半の豪奢な生活ぶりだったりするので、もういっそのこと、ここに集中してもっとラディカルな映画をつくってもよかったんでは? ルソー読ませて「自然回帰」しているようなトンチンカンなアントワネットなんか描かずに、「パンがないならケーキを食べればいいのに、ってンなことアタシが言うわけないじゃない(笑)」を地でいくようなキャラで通してほしかったかも。けっこう史実に忠実に撮ろうとしている分、なんかマジメで中途半端なんだよね・・・。ポスト・パンク、ニューロマ系の音楽選定が、キャラ設定とストーリーに合ってない・・・。ヴェルサイユ宮殿を借りて撮影したというのも、本物感を出すのには有益だけど、逆に歴史の重みとかフランス政府の圧力に負けて、いまいちハジけられなかった原因になっているのかもね。
(2007.feb.01)

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「女性は子どもを産む機械」

柳沢厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」発言。
 この人にとっては、自分の母親と妻と娘(いるとして)ももちろん「子産み機械」ですよね。自分の身内の「機械」はどれだけ少子化に「貢献」したんですかね? 「生産量」をとりあえず公表してよ。
 男女を問わずどんな人間も「母」から生まれるのであって、「機械」から生まれるのではない。言う必要もないくらい当たり前のことだと思ってたけど。ま、「機械」から生まれたのはご本人だけってことでオケ? その「機械」から生まれた人間(人間?)は、どんなにご立派な「家族像」や「教育理念」をお持ちなのかも、ぜひ語ってほしいところだ。
 この国の政治家と官僚は、いかに金をかけずに子どもを増やすか、そういう発想しかしないってことがよく分かるエピソードだ。国の舵取りをしている連中がそういうセコイ発想をしているかぎり、少子化は止まらないだろうよ。

時間浪費改善作戦

 現在煮詰まり中。
 忙しいハズなのに、ついついネットサーフしてしまう悪癖をしょいこんで早数年。無線LANの電源を切ったり、喫茶店に行ったり、試行錯誤はしたけれど、意志の弱さとエンジンのかかるのが遅い性格が禍して、相変わらず同じ悩みをしょいこんでいる(アホだ・・・)。年明けからは、「時間浪費サイトにアクセス制限をかける」という記事を読んで、invisibility cloakをダウンロードした。ついつい読んでしまうサイトを次々ブロックしていく。悪癖はそう簡単に直らないけど、それでもちょっとはマシになったかなあ? ニュースサイトはブロックしていないけど、googleの自分使用のコンテンツでタイトルをざっとみて、気になる内容を読むくらいならさほどの時間浪費にならないのでヨシとしよう。
 一段落ついたら、「マリー・アントワネット」見に行くんだ、、、(遠い目)。ああいうキラキラしたものには、ついつい目を眩まされてしまう。いわずとしれた少女マンガの王道中の王道だし、小悪魔・ロリータ・ガーリッシュ系の延長にもとれるし、ナチュラル指向ロハス系にも手を伸ばしているし、いろんな層から動員しそうだなあ。女子向け全方位外交映画ね。 

たまにはハンバーグなど食べたい

 オトメ日傘部部員なわたしは、普段かばんのなかに日傘(兼雨傘)を入れて持ち歩いている。でも冬はちょっと荷物減らしの対象にしてしまう。そしてそういうときにかぎって、雨に降られてしまう。普段持ち歩いているのになんで今日に限って〜と恨めしい。でも駅についたとき「善意の傘」が一本残っていた。「ラッキー」とばかりに飛びついて、開いてみると「おジャ魔女どれみ」ちゃんの傘だった(←どピンク)。だから残っていたのか・・・。がっくし。
 今日はハンバーグを作った。仕事帰りで疲れているし、肉団子にして簡単鍋にしようかな〜と思ったけど、やはり初志貫徹。玉葱・大根・人参で嵩をふやしてハーブ類と豚ミンチと合わせ、片栗粉でつないで形を作る。両面を焼いたら、シメジとトマト缶のトマトとバルサミコ酢のソースのなかで煮込む。水分飛ばしてある程度煮詰まったら出来上がり。適当に作ったわりには美味しかった。やっぱりハンバーグは分厚いのがいいねぇ。