「戦争と芸術」展

 先日、京都造形芸術大学でやっている「戦争と芸術」展を見てきた。行ったはいいけど、ここの大学遠い〜。京阪電車終点出町柳からさらに電車に乗っていくなんて、、、おまけに京都は寒い!
 個人的には写真家の杉本博司氏を見に行くのを目的に行ったのだけど、展覧会のメインは防衛「省」が所蔵している藤田嗣治の戦争画だったよう。シンポジウムが始まったとき、キュレーターの人が、「防衛庁から防衛省に変わったのでとてもタイムリーな企画です」と言ったときに、横にいた学長とかいう人が「祝賀会です!」といった趣旨の発言をしていて、、、もしかしてわたしヤバイところに来たの? キュレーターが「ちがいます」と即効で否定していたけどさー。まあ戦争画というテーマ自体はおもしろそうで、はじめて聞く話も多くて勉強にはなった。
 杉本氏の写真は、「ワールドトレードセンター」「アインシュタイン・タワー」「マウント・タマルパス」の三点。個々の作品、とくにアインシュタイン・タワーの扱い方などはちょっとベタすぎる気もしたが、それでも白黒でわざと暈した撮り方をした作品群はどれも墓標めいていて、不気味で虚無的な美しさを醸し出している。このシリーズを全体を通して見るならば、「戦争」という現象の本質に迫っていく作品といえるのかもしれない。

ワンピ

 風が強くて外に出るのがいやな一日だけど、バーゲン・シーズンなので無理やりお買い物に行く。
 入った店で、店員さんに黒系のジャケットとスカート上下のスーツを勧められ、試着してみるとぴったりだった。最近の服は身幅が狭くピタッとしたかんじで作られているから、体の小さいわたしには助かる。でもこのスーツは今ひとつ自分のイメージに合わなくて、迷ったけれど断念した。同じ店にぶらさがっていた小豆色のワンピースは一目見て気に入った。でもサイズが合わないかなーと思ったけど、試着してみると全然OK。縦のラインが強調されて、スレンダーな印象になるのがうれしい。腰のところで緩く紐を結ぶのがアクセントになっていて、これがないとすごく地味になってしまう。ゴージャスなコートとあわせたいところだが、持ってないなー。
 新しい服のコーディネートを考えるのってなんでこんなに楽しいんだろう。壁にぶら下げてあるのを眺めては妄想がとまりません。
 

映画評

 「さらば美しき人」は、だいぶ前に書いて放置していた映画評。美しい兄妹の近親相姦を扱った超耽美映画なんて、ほんと堪能するばかりで気の効いたコメントなど書けやしない。野暮は承知でアップするけど、そういうわけで、書いている文章も中身はないに等しい。
 それにしても、原作が16世紀エリザベス朝時代だというのは知らなかった。猟奇的というか、相当血なまぐさいものが好まれたのか。そういやカール・シュミットの『ハムレットもしくはヘカベ』はエリザベス朝の演劇を扱った本だった。政治事件の血なまぐささがダイレクトに演劇に反映している様子を描いていて、すごくおもしろい本だった。
 去年はあまり映画を見る時間をつくれなかった。時間の使い方がヘタなんだろうなー、と反省。コンスタントに見ていくように調節しよう。

さらば美しき人

addio, fratello crudele
1971年 伊
監督:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ
出演:シャーロット・ランプリング
オリヴァー・トビアス
ファビオ・テスティ


 16世紀イギリスの劇作家ジョン・フォードの原作を、グリッフィが残酷で美しい物語へと映像化した作品。美しい妹の心を自分のものにすること以外、一切の望みも救いもいらぬと豪語する兄ジョヴァンニ、兄の眼差しを正面から受け止め、兄に心を捧げた妹アンナベラ、兄の愛人となったことを知らずに彼女を妻に娶った夫ソランツォ――この三者の関係が軸になって、物語は進む。
 兄は、妹を奪った男に嫉妬し、夫は自分に心を開かない妻に苦しむ。妹は、兄への愛ゆえに夫を拒むが、次第に傲慢で美しい夫に惹かれていく――。
 空気まで湿り気を帯びたような水の描写や雪景色など、映像がとにかく美しい。真っ白な息を吐いて野を駈けていくアンナベラ、なびかぬ妻の姿を見つけては後を追うソランツォ、窓枠にもたれながら雪の積もった大地を眺めるジョヴァンニ――陽が優しく大地を照らしていても、冬の朝のように凍りついた空気が張りつめている。いつ崩れるか分からない危うい関係は、妹の心の揺らぎを感じ取った兄のまなざしが狂気を帯びるにしたがって、いっそうその緊張を高めていく。
 それぞれの胸のうちに秘められていた狂おしいほどのパトスは、三者の交わりのうちにその激しさを増し、最後は血と死の匂いに充満するおぞましくも嵐のような結末へと導かれていく。すべてが死の静寂に打ち沈む場面で、死体のまわりを徘徊する犬の姿は、不気味なまでに救いのない死を描写していた。
 ……あまり多くを語ることはない。ただその破滅的な美に耽溺したいがために、ときおり見なおしたくなる映画になりそうだ。
(05.jan.2007)

続きを読む

 久しぶりに実家で弟と会った。何年ぶり?っていうくらい。久しぶりに会ってびっくりしたのは、考え方や行動パターンがよく似ていること。違うのは、向こうのほうが徹底していて迷いがないことか。
 たとえば、わたしはパンが大好きだけど、弟もパンが好きで、あちこちのパンやめぐりをしていた時期があったらしい。パン屋の情報交換で盛り上がり、わたしがパン焼き機でパンを焼いていることや小麦粉の種類の違いについて話すと、すごくノってきた。あと、レシピどうりに作らず、勝手に配合を変えてしまうところや、自分で料理をすると好きな味に調節できるからいいよね、という点で意気投合したりするところも、なんか似ていて笑える。
 弟の方が徹底しているなーと思うのは、自分流のレシピをちゃんとメモしていることと(全部データ化しているらしい)、試行錯誤がすごいこと(例えば、卵抜きで滑らかな舌触りのアイスクリームを作るための試行錯誤など。レシピ教えて!とお願い中)。あと、テレビの料理番組はすべて録画しているらしい(これは一部マネしようと思った)。
 仕事で忙しい母は料理に時間を割く人ではなかったし、父はまったく料理ができない人だったから、うちは料理好き・食べるの大好き家族というわけでは必ずしもなかった。だから、今二人で料理談義で盛り上がるのが、すごく不思議。弟は小さい頃、大きくなったら自分で稼いだ金で自分で美味しいものを作って食べたいと思っていたらしい。わたしはそこまで思わなかったなー。母は「悪かったね!」とそっぽを向いていたけど。

happy new year 2007

あけましておめでとうございます。
お雑煮とおせちでお祝いし、昼から住吉大社にお参りにいく。年末にがんばって掃除もしたので、家の中もピカピカ。スケジュール帳も新しいものに切り替えたし、しっかり活用して時間を有意義に使いこなしたい。よい年になりますように。

ビスコッティーノ

 生クリームとふわふわスポンジの「いわゆる」ケーキは好きではないため、ここのところ街中で大量販売しているクリスマスケーキにはまったく食指が動かない。それで、クリスマスに便乗して、ビスコッティーノとガトー・ショコラを焼いてみることにした。パンと同じで、口溶けのよい柔らかいケーキよりも、固くて味もがっしりしているケーキのほうが好きみたい。
 ビスコッティーノって、ミルクティやカフェオレにつけながら食べるとすごく美味しいので大好きなのだけど、作ってみて意外と簡単だったのでびっくりした。ちゃんとああいう固い仕上がりになった。今回は、オレンジピールだのアーモンドだのアーモンド・パウダーだのを買いに走ったので、下準備が面倒だったけど、そういうのは別に省いてもいいような気がする(ま、オレンジピールとかナッツ類があるから美味しいのかもしれないけど・・・すぐにレシピから逸脱するいつものクセが)。四角く焼いて包丁でざくざく切ってもう一度焼くので、型抜きする必要もなく、ほんとに簡単。
 ビスコッティーノも細長いお菓子だけど、最近は、ショートケーキ型やパウンド型よりも、細長い形に心惹かれる。チーズケーキとかスティック状になっていると、それだけでおいしそうに見える。そんなわけで、正方形の焼き型を買った。15cm四方を探していたけどなかなか見つからず、18cm四方で手をうった。まあ大は小を兼ねるでしょう。とりあえずこれで細長いお菓子は作れるハズ。あとは一辺3cmか5cmくらいの立方体のケーキをゴロゴロ作ってみたいなー。 

pallalink at PingMag

20061222-palla0-1.jpg
pallalinkのpallaさんのサイトがPingMag The Tokyo-based magazineで紹介中。英語と日本語のバージョンあり。
ついでに。
artist pick up: 吉村亜也子・Palla
from photography to moving images: Cityscape
at remo, Osaka
1/12(金)-2/18(日) 15:00-21:00 (open:木曜日ー日曜日)
500円

東京のパンやさん

 東京に行くときの楽しみは、関西にはないパンやさんめぐりをすること。下調べするのも楽しい時間だったりする。時間がないときは、いつも東京駅の大丸に入っているメゾン・カイザーで買う。とにかく買いこむ。そのまま新幹線のなかで夕食+次の日からの朝食パンになる(ちなみに、ここのメゾンカイザーの向かいにあるずんだ茶寮は関西では見たことがないので、めずらしさからずんだもちを買ってみた。エダマメの餡子の緑色がとてもきれいなのだが、お味のほうはどうもモッサリしているというか・・・なんか記憶に残らない味だった)。
 が、今回は、場所を調べたメモをはさんだガイドブックを持って行くのを忘れてしまった。いろいろ調べたのになーがっかり・・・と思って銀座にいったとき、調べたお店の名前の一つが「ダロワイヨ」だったことを思い出した。本屋で場所を調べてさっそく行ってみる。ダロワイヨという名前がいかにもおフランスな響きで、シラノよろしく、おなかのでっぱった自称詩人のパン焼き職人さんが焼いたパンがおいていたりしそう!と期待大だったのだが、普通に小洒落た店だった。でもパンはおいしそうだったので、いくつか買い込む。ついでにマカロンも色がきれいだったので、いくつか買い込む。不思議な食感でこれは美味しかった。
 あと宿泊したホテルのパンやさん「ル・コルドン・ブルー」のパンを買い、品川の駅ビルに入っていたDEAN & DELUCAでもパンを買う(ここで売ってたプチ・ガトーも美味しかった。広尾のお店だということだが名前忘れた・・・)。ホテルの部屋がパンだらけで、どこのパンだったかよく分からんようになった。

ビル・ヴィオラ展

 東京に行く機会があり、隙間時間に森美術館でやっていた「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」を見てきた。とくにルネッサンスなどの古典絵画を引用しながら、超スローモーションで絵画のような動画をつくっている作品群がすばらしい。
 古典絵画を動画にするという手法自体は、映画の『バロン』などにもボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」をそのまま実写化しているシーンが出てくるから、まったく新しいものではないと思う。でも、喜びの表情や嘆きの表情、苦悶に満ちた表情など、喜怒哀楽が微細に変化していく様子をじっと眺めていると、とても普遍的で複雑で深みのある何かに触れたような気持ちになってくる。「ラフト/漂流」という作品も見たが、突然襲ってくる災害=苦難に翻弄され、耐えぬき、助けあう人々の姿をスローモーションで見続けていると、これもまた不思議なくらい崇高な感情を覚えるのだ。時間を少し操作するだけで、「知っている」けれども普段は「気づかない」、そうした心の機微に触れるような作品群だったと思う。
 あと、中世の修道院の一日を思い出させるような作品も、昔話などの物語の世界に入り込んだ気分になっておもしろかった。決して開けてはならないという箪笥の引き出しを順々にあけていくと、水田があり、稲穂が実り、収穫をしているミニチュアの世界が広がっているという昔話を思い出したりした。