オペラ

 オペラのレコードを借りてみた。昔みた映画『カストラート』のレコードは持っているけど、本格的なオペラはぜんぜん無縁の世界。初挑戦です。
 名前を聞いたことがあるという理由で、ジュゼッペ・ヴェルディとジャコモ・プッチーニを借りた。「アイーダ」とか「椿姫」とか「リゴレット」とか。「蝶々夫人」とか「トゥーランドット」とか「トスカ」とか「マノン・レスコー」とか。タイトルは聞いたことある。
 まずプッチーニの「蝶々夫人」から聞き出したのだけれど、「すごくウルサイ」ことが分かった。ちょうど食事時で、落ち着いてごはんを食べられない。ガマンして聞いていたけど、超音波のような高音に耐え切れずに消してしまった。前途多難。
 あとでもう一度挑戦してみた。独唱しているものとか、これなら聴きやすいという曲があることも分かった。よかった、なんとか聴けそう。好きな曲ができるといいなあ。

プチ・ダイエット−お菓子断ち−

 ただいまカモミールのお茶を飲んでいます。気分的にまったりしています。最近昼夜逆転気味の生活だったので、ちゃんとした生活リズムに戻したい。でも夕方ごろにお昼寝したので、眠くないの・・・。
 現在プチ・ダイエット・モード。どの辺が「プチ」かというと、お菓子類への依存体質を変えたいなあと思っている点(こういうのもダイエットっていうよね?)。とにかくわたしは、間食と食後に必ずといっていいほど、珈琲orお茶と甘いものを食べている。食べるつもりがなくても、お茶や珈琲を入れると甘いものを食べてしまう。もう条件反射になっているし、お茶請けの備蓄は切らしませんという、自慢にもならない状態。でも煙草やアルコールと一緒で、砂糖も中毒性が高いらしい。わたしは完璧、砂糖依存体質だと思う。これを何とかしたいわけです。
 とはいっても、絶対禁止はつらいので、いくつか抜け道も作っている。今のところの抜け道は、
・当分はお菓子を食べる回数を減らす
・お菓子の代わりになるものを探す
というもの。
 夕食後のお菓子は、カプチーノのみでガマン。ミルクの甘みを堪能することにする。
 お菓子の代わりは、これはいくつかお試し中。ひとつ狙いをつけているのは、大豆をそのまま煮ただけのおやつ(一袋あっという間に食べてしまうのはどうかと思うが、、、)。あと、みつまめ用の寒天ね。それから果物あたりでしょうか(果物って皮むいたり面倒なのよね。でも今はマンゴー好き。おいしすぎ)。
 ほんとはチョコレートが大好きだけど、これから夏だし、チョコ離れするにはいい季節だと思うので。・・・いつまで続くか心元ないけど。

仕事のペルソナ

 ひとつ抱えていた仕事が一段落ついて、ほっとしている。でもまたすぐ次の仕事に取り掛からなくてはならない。
 こう書くと、なんだか忙しい人みたいだが、わたしごときを「仕事人間」とはとても呼べない。ただ、仕事がないと、ロクでもないことしか考えないということがやっと分かってきたのだ。ヒマだとほんとに何もしない。忙しいほうがかえって、隙間時間をつくって、映画でも見ようかという気になるようだ。だから、ウソでもいいから、仕事人間のペルソナをかぶることで、無気力の泥沼に落ちないようにしたいのだな。・・・ちょっと脅迫的だなあと、われながら思うが、「仕事のない状態」というのは、精神衛生上かなりツライというか・・・。「ニート」という曖昧模糊とした言葉があっというまに流通してしまったけど、時代の空気にはマッチした言葉だったとは思うしね。
 ヒマだと、「わたしって何?」みたいな考えがどうしても湧いてくる。でも、だからといって、「自分探し」をしてもたいしたものは出てこないというのが、わたしの個人的な実感ではある。何か「確たる自己」があるというのも幻想でしかないと思う。その発想はどこかクローズしていると思う。「自己」を確認する手がかりは、他人のなかにしかないんじゃないかという気がしている――とても朧げなものしか映さないにしても。
 仕事の相手とは、お互いにペルソナをかぶった関係だから、距離をおいた付き合いになる。その距離を通して、「仕事らしきものをしている自分」の姿がぼんやりと感じられる。いい仕事ができれば、自分は捨てたものではないと思えるはずなのだ(逆もあるけど)。そういう風に考えると、先がどうなるか分からないし、どう転ぶか分からないし、わたし自身がコケる可能性もあるんだけど、とにかく来た仕事はできるだけ引き受けるほうがいい。自分は捨てたものではないと思えるチャンスは、そこにしか転がっていないような気がするから。

目にかかる費用

 ワンデイ・コンタクトレンズに切り替えて、4ヶ月。ストックが切れてきたので、また眼科に行ってきた。ソフトコンタクトは目の乾燥がすごいので、ハードのときより目薬をさす回数が増えた。目の疲れは一緒なんだけど、あまり充血しなくなったので、やっぱり目にはいいのかな。ただ、何度も医者に行かなくてはならないのが、だんだん面倒になってくる。で、今度は3ヶ月分まとめがい。これで当分行かなくてもいいだろう。
 しかし、わたしはいったい目にどれだけ出費しているのだろうか。小学生のときから目が悪くなり、毎年のように眼科検診に引っかかった。そのたびに、医者にいって再検査だったし、度の進みも速かったので、眼鏡もしょっちゅう買い替えなくてはならず、よく母を嘆かせた。目が悪くていいことなんか何一つないよ。
 お医者さんを出たあとの空いた時間はカフェに入って、最近持ち歩いているモバイルでお仕事しました。どこでもできるっていいよね、というか、いつでもどこでもできるようにしたいのです。木の椅子が固かろうが、隣のおばちゃんトークがやかましかろうが、へっちゃらな自分になりたいのです。でも昨日のお店は照明が暗かった・・・。禁煙席の有無と照明の明るさは最低限クリアしなくてはならない条件かもしれない。

W杯予選突破

 おや、今日のGoogleはフランク・ロイド・ライトになっていますね。誕生日は1867年6月8日だそうです。このまえはダ・ヴィンチになっていたのを覚えている。Googleのお遊びの基準はどのへんになるんだろう。記念日と芸術家?
 昨日はサッカーは見てました。バーレーン戦は夜中だったので寝てしまったんだけど、次の日会った人たちは全員見ていたから、ちょっと話題に入れなかった。ちょっと後悔した。われながら愛が足りないとは思う。普通にゴールデンタイムにやってくれるとありがたいです。
 とにかく、ドイツ行き決定で、先にわたっての楽しみが増えたのは何よりです。ちょうど1年後ですね。

ラ・トゥール展

 国立西洋美術館でやっていた「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」展について、せっかく見たので少しだけメモしておこう。
 George de La Tour(1593-1652)、17世紀、フランスに攻め入られて亡国の危機にあったロレーヌ公国を中心に活動した画家、らしい。
 実は美術館はとても混んでいて、深く瞑想するようなラ・トゥールの作品を落ち着いて見れる状態ではなかった。比較的空いていたのが、同時に展示されていたジャック・カロ(Jacques Callot 1592-1635)の版画作品。こちらは戦争の惨禍と残酷さをダイレクトに描写しているものだった。何十人もの人間が大木に吊るされている場面など、初期近代のヨーロッパの現実を生々しく伝えてくる作品だった。ジョルジュ・アガンベンの『ホモ・サケル』を思い出した。戦争の惨禍のなかで、人間の生はいかに剥き出しの状態におかれてしまうものであるか、考えさせられるものだった。ラ・トゥールの作品はカロの作品とネガとポジの関係にあるようだ。その作品に戦争の影は直接は現れていないけれど、隠蔽された形で反映していたように思う。
 ・・・物理的にきちんと見れなかったという事情もあるけれど、どうも今回はカロの作品のほうがインパクトが大きかったみたいだ。

映画

映画みたの久しぶり・・・。無理やり見る時間つくらないとダメですね。しかも頭が疲れているときに癒しを求めて見ようとするから、どうも無難な作品ばかり選んでしまう。大御所映画監督の映画をちゃんと見たいのだが、気合がぜんぜん足らんです。
でも鈴木清順の「狸御殿」はぜったい見たい(自分に向けて宣言しておこう)。