altoids’s tablet

 街中にでるとすっかりクリスマス・モードになっていた。電飾でビルや街路が飾られていて、しばし見とれる。週末は人出が多く、梅田の地下街など人をよけて歩くだけでもたいへん。目的地の本屋によったけど、買おうと思っていた本がなかったので、しかたなく家路につく。
 途中でよったお店で、「お菓子10%引き」のはりがみが目に付いたので、調子にのって買い込んでしまう。最近はすっかりブラックチョコのとりこで、まだ食べたことのないセモアのデジール・ノワール、カカオ72%を購入。あと、かばんのなかにいつも放り込んでいるALTOIDSのペパーミント・タブレットがなくなりそうなので、今回はシナモン・タブレットを選んだ。
 歩きながら蓋をあけてみると、いきなり強烈なシナモンの香り。タブレットの色もサーモン・ピンクで、お医者さんにもらう薬でしかみないような色。いつもどおりペパーミントにしとけばよかったと後悔したけど、まあいたしかたない。食べていたらそのうち慣れるだろう。だいたいペパーミントのほうもそう美味しいものではないから、1、2粒たべたらもう結構という気分になる。無駄な衝動買いをおさえるためのおまじないのようなものなのだ。でも箱のデザインはかわいいので、やっぱりわたしにとってはお気に入りである。

映画ひさびさ

「2046」みてきました。とにかく無理やり隙間時間に駆けこんだ。殺伐とした日常をおくっているせいか、久々に別世界にトリップしたみたいで、個人的にはとっても満足。そういうわけで映画評はかなり甘め? そんなんでいいんか?という気もするけど、思考回路が溶けちゃったんでどうしようもないです。
ひるがえってみると、現実ってやるせないわ・・・。

2046

2004年、香港・中・仏・伊・日
監督:王家衛
出演:梁朝偉
章子怡
王菲


 今のところ、この映画の醸し出しているデカダンに思考回路が麻痺している状態である。映像は細部にいたるまでとても美しい。みているあいだ、ずぶずぶにはまりこんでしまった。デカダンの感性をもった監督としてヴィスコンティをおもいだしたりしたが、ヴィスコンティの場合、背後にはまだ規範的なものや規律的なものがあって、そこから堕ちていくところに頽廃美を見いだしているように思う。けれどもカーウァイの場合、そうした規範性はすでになく、ひたすら浮遊し越境し拡散していくような、イメージそのもののもつ美の力に殉じている気配がある。ヴィスコンティのもつマチズモを嗅ぎとってしまうから、どうもわたしはあの世界には入り込めないんだけど、カーウァイの映画はどっぷりはまってしまうヤバさを覚える。
 主人公チャウと彼のまわりに現れる女たちの艶やかでありながら猥雑な姿態、恋に戯れながら痛々しく傷つき、蝋燭の炎が一瞬強く燃えるように性的な匂いを放ちながら、すぐさま儚く消え去ってしまう脆さ、チャウの描くSF的未来に織り込まれたアンドロイドの少女的中性的な美――「2046」という記号の世界から列車は未来へとつきすすんでいるはずなのに、作家の視点はつねに過去へと向いつづける。彼の過去においてきた失意の恋の記憶は、未来の物語のなかでひたすらに美しく反芻されつづける。主人公が現実の世界でなんらかの選択肢の前にたたされると、かれはつねにそこから離れ、現実に捉えられることを避けていく。現実との折り合いをはぐらかし、イメージの世界をつくりあげてそこに浮遊する彼の姿に、タナトスに近づいていく感覚が浮き彫りにされているようにも思った。
 トニー・レオンも渋いが、チャン・ツィイーの痛々しい美しさや、フェイ・ウォンの儚げで人形のような姿態、折れそうな細い肩などにはもう理屈ぬきで見とれてしまった。ああもういちど見たいと麻痺した頭で思ってしまうような美しさ。ただし、一点だけ難癖をつければ、アンドロイドの恋の相手としての木村拓哉には違和感をいだいた。彼の醸し出す雰囲気がカーウァイの映画とまったく合っていない。木村自身にデカダン的なものが欠如しているからではないかと思うが、かなり重要な場面だっただけに不満が残る。
(19.nov.2004)
おまけのコメント

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Ralph’s World

ただいまお気に入りのRalph’s World, at the bottom of the sea. とってもポップで、ほのぼのします。歌詞もキュートで明るいね。
わたしはストレスがたまるとアルコールに走るのではなく、甘いものに走る性質のようだ。だからすぐ虫歯になるんだけど。もともとチョコレートが好きだけど、どんなチョコレートでもいいってわけではなく、値段と味のつりあうものをもとめて三千里てなことになったりする。常食にするとなると、一粒ン百円のチョコなど買ってられないし、かといって、ナッツだのクリームだの入ったチョコはお気に召さない。たまにはイロモノもいいが、やはり基本は板チョコブラック。プーランだのコートドールだのリンツだのいろいろ食い散らかしては、今日もお気に入りを探す旅に出るわけです。・・・でもストレスフルだと、何をたべても美味くないのかも、という気もしてきた、、、。

モール登場

 最近このサイトは雑草が生えまくっているなあ・・・。
 死ぬほど忙しかった10月が終わり、11月になったのですが、やっぱり余裕がありません。実は11月もいろいろ予定がたてこんでいたのだけれど、そういう気はしていたのだけれど、10月の時点ではスケジュール帳を見る気がなかったダケ。見たくねぇ〜てかんじで。これも一種の現実逃避ですね。
 しかしこんな愚痴を書いてても仕方がない。すきまの時間をみつけて、映画みにいこうっと。・・・月末かなあ。
 ところで最近のニュースといえば、隣町に大きなショッピング・モールができたことでしょうか。大きな書店とレコード屋が入っててうれしい。今まで街中で買っていた食材や洋菓子の類も買えるようになってうれしい。びっくりするくらい便利になったかも。

写本

なんだかかわいい「ラブリー写字室」。秋の夜長に美術鑑賞ときめこみたい、暇ができたら、というわけで、忘れないようにメモがき。あざらしさんちより引用させていただきました。

Piranesi

別のところにも書いたけど、このサイトはすごいということでトップにもメモっておきます。
opere di Giovanni Battista Piranesi
ピラネージの全作品が見られる。すばらしいの一言。新古典主義時代の古代ローマへの憧憬や傾倒が伝わってくる。ピラネージのこの教養と遊び感覚の融合がなんともいえない。

フリルな秋

 秋の気配がやっと感じられるこのごろ。しかし日中はまだまだ暑くて、買ったばかりのシャツに汗を吸わせてしまった。あー・・・。
 ふだんかっちりしたシャツなど着ないので、いざというときに着る服がない。一枚くらいきちんとしたシャツを持っておこうと思いつつ、いまいち買う気がしなかった。でも今年はフリルがはやっている。というか、フリルが過剰化しはじめている。そのせいか、かっちりしたシャツも妙にかわいくなっていて、いろいろ試着しているうちに買ってしまったのだ。胸元や袖口からのぞくフリルがフェミニンてかんじで、こういうのは好きかも。デコラティヴなものをモノトーンな服で抑圧するところに美を感じるわ〜。今お気に入りの、小さな真珠をつけた金色の薔薇ピアスに合わせるつもり。
 東京いってました。すきまの時間に東京のパン屋さんにいくぞーと思って、直前にばたばたと調べて行ったのだが、時間とか場所とかのかねあいで、結局東京駅丸ビル地下のユーハイムに行けただけ。まあこっちにはないパン屋なのでそれなりに満足。東京にはたまに行くだけだから、いろいろ店はあるんだろうけど、どこにあるのか何があるのかホントに分からない。地理感覚がないから仕方がない。東京人に案内してもらいたい気分。
 東京いくときにいつも泊めてもらう友人がいて、話がつきないので一晩中話こむ。これがとても楽しい。彼女がいうには、彼女自身のゲーム熱が高まるとわたしが泊めてくれと言ってくるらしい。最近ふたたびゲームにはまりだしていたからそろそろ来るんだろうと思っていた、といわれた。どんな第六感ですかそりは? そして全然分からないゲームの話が延々とつづいて、夜が更けていくのであった・・・。

デリダ

デリダ死去。巨星堕つの感があります。去年のちょうど今ごろサイードが逝ったし、ひとつの時代が終わったのかな、と思うことが多くなった。