本屋さんの喫茶店

 今日梅田にでたついでに、BOOK1stの喫茶店に寄ってみた。ココすごくイイです。週末の昼時なのにガラガラで、間取りは狭いけど窓ガラスが大きくて明るいし、音楽もほとんど気にならない音量だし、椅子もふつうに座り心地がいいし、シンプルというよりは無愛想な空間だし、もしかして穴場? メニューがドリンクしかないのも、割り切ってていい。珈琲だけ三種類から選べたので、迷わず深入りストロングを注文。じつは濃い珈琲大好きなので(自分では面倒くさがって淹れないけど)。注文してからでてくるのにけっこう時間がかかったから、もしかしてちゃんと豆を挽いて入れているんだろうか。買った本をここで読んでいく、という本読みのための喫茶店になっているようで、ほかのお客も一人でふらりと立ち寄っている人が多いかも?(いやおしゃべりしている人たちもいたけどさ。) とにかく個人的には気に入りました。穴場です。そうよ穴場よ、だからあまり宣伝しちゃいけないのよ、なのにこんな文章アプしてどーするの?

季節がら・・・

 最近雨ばかりのような気がする。梅雨かとも思うけど、実は台風? おかげで、なんとなくカビっぽいような湿っぽいような気がするので(いや気がするどころか、ナメクジをよくみかけるのでそうなんだろう)除菌と掃除を念入りにすることにする。うちは古ぼけた家なので、虫が多い(←ものすごくイヤですが)。ほとんどおまじないというか願掛けというか虫封じというか、そんなかんじで除菌・掃除している。虫どころか、小動物も屋根裏をかけめぐる。夜な夜なトムとジェリー劇場が繰り広げられているらしい。・・・なんかヤな話題で書いてるなあ。もう黙って無心に掃除することにします。

梅田の本屋さん事情

 さきほど帰宅。お疲れな週末でした。とくに今日はずーっと雨で、疲れも倍増。お風呂を沸かそう、、、元気ないけど。
 帰宅途中、少し前に梅田でオープンしたばかりのBOOK1st.に寄ってみる。この本屋さんって、マンガとマガジンを売る店という印象が強かったんだけど、この店はジュンク堂に倣ってか、そこそこの品揃えをめざしているみたい。人も多くないし、天井も高いし、なんとなくオシャレだし、5000円以上で喫茶券をくれるし(ジュンクは一万円以上買わないとくれない)、気に入りました。でも文庫の品揃えはイマイチで、結局向かい側の旭屋書店にまで足を運ぶことになった。
 梅田でいちばん人が多い本屋さんは、ターミナルにある紀伊国屋だろう。でもこの店は正直いって好きじゃない。狭いのにいつも人であふれかえっているし、天井は低いし、冬場はのぼせるくらいに暑く夏場はぜんぜん涼しくない。最悪なのが、品揃えが悪すぎること。探している本はまずない。在庫もない。店内の検索で調べて在庫があると表示がでても、棚にいくとない。ムッカーが多すぎる。できれば利用したくないのに、ターミナルにあるからつい入って、いつも怒って出てくる。
 だから余裕があるときはいつも旭屋にいく。ジュンクもいいけど、一駅ほど歩かなきゃいけないので、ふらっと寄れない。旭屋はそんなにフロアが大きくないわりには、ほぼ確実に探している本が買える。いい店だ。でも今回からBOOK1stもすぐ向かいに出来たので、本屋の選択肢がふえてうれしいかぎりだ。ゆったり感や落ち着き感ではこちらのほうが新しい分だけ軍配があがる。今度ここのカフェでお茶をのもうっと。楽しみがふえてちょっとうれしい。

パッション

the passion of the Christ
2004年、米
監督:メル・ギブソン
出演:ジム・カヴィーゼル
モニカ・ベルッチ
マヤ・モルゲンステルン


 世界でもっとも有名な物語のひとつであるイエス・キリストの最期を扱ったもの。ストーリーは述べる必要もないだろう。まだ頭のなかが整理されていない状態のまま文章を書いているけど、かなり特異な映画だという印象を受けている。
 感想をいくつか。ひとつは、肉食文化圏の作品だなあと思ったこと。血しぶきと肉に食い込む鞭のシーンや釘の打ち込まれるシーンなどに、徹底した物質性と肉体性を感じた。殉教者の処刑場面がリアルに描かれていたりするキリスト教絵画を思い出したりしたけど、肉体に加えられる暴力の生々しさに、米・味噌・醤油で育っている人間には無理こういう描写!と少々悲鳴をあげそうになった。
 もう一点。聖書の記述を映像・服装・言語等々、細部にいたるまで再現しようとしている点や、12年の構想期間と30億円ともいう監督の私財で作られている点に、この映画を撮るためのギブソン監督の執念をひしひしと感じた。そのうえで、監督の主張を表現する映像そのものが、きわめてハリウッド的に作られていることが目をひいた。全編見せ場だらけというか、とにかくジェットコースターに乗っている気分になるほど飽きさせない作りになっている。モブシーンの熱気うずまく騒々しさに対して、イエスや弟子たちの回想、マリアたちのイエスを見つめるひたむきな眼差し、多用されるスローモーションといった静かなシーンが連続的にくりかえされる。メリハリが際立っていて、目を背けさせるほど残酷なシーンであっても目を背けることができないほどだ。Ecce Homo!がハリウッドのノウハウでもって効果的に映像化されているのだ。
 これはいったい何なんだろう、とあらためて思う。こういって誤解をまねかなければいいのだけれど、映画の主張にわたしはかなり原理主義的なものを感じた(わたし自身、教義や解釈のレベルで論じることはできないので、内容そのものよりも、この映画のもつ時代的意味に強く関心をもった)。事例として適切であるか不安だが、イスラム原理主義者たちが、金融システムやコンピュータを操ることで、テロ行為のグローバリズムともいうべき事態を展開していることを思い出した。そこには、ラディカルな宗教的価値観でもって現世秩序に徹底的に抵抗する姿勢と、最先端のテクノロジーやテクニックの融合という現象がおきている。ギブソンの映画にも、ある意味、こうした現象との類似的要素があるのではないかという気がした(あくまでも、ラディカルな宗教的価値観とテクノロジーの融合という意味に限定して)。
 ともあれこの映画には、ハリウッドのノウハウと、私財でこれを作ってしまえるような巨大な富を背景に、映画の内容そのものに解釈の余地をゆるさぬような、そういう迫力がある。「あれはこうでしかなかったのだ、追体験せよ!」と有無をいわせずに誘導されていくかんじがする。そう、まさに「追体験」なのだ(これはTDLなど、エンターテイメントに馴染んだわたしたちの身体に適合する形式だろう)。キリストの流した血と苦しみが人類の贖罪であるというテーゼを、物質的・肉体的な表現に徹することで「分からせてくれる」のだ。
 この映画は単なる「鑑賞」の対象としてすむものではないだろう。これほどキリスト教的なテーマを扱いながら、またそれゆえに日本の土壌では一般的に受容されにくいものでありながらも、エンターテイメントの枠を超えた反応を引き出してしまう点が興味深い。ここに、今の時代がどういう方向に向かいつつあるのか、介間見えるような気がするのだが…。
 ・・・あまりまとまっていないし、ニュートラルな立場などないよなと思いつつ書いてるから、どうも歯切れの悪い感想になってしまっている。自分がクリスチャンだったらこの映画をどう評価したのか分からない(この有無をいわせなさに、もしかしたら反発したかもしれない)。ただ、現代という時代のもつ特徴をこういう形で浮かび上がらせた問題作だとはいえるだろう。映画の枠組みをあっさりと越えていて、唖然とした。
(06.mai.2004)
映画を見た人・見る予定の人とただいまtopで意見交換中。
レス

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「パッション」

the passion of the Christ
2004年、米
監督:メル・ギブソン
出演:ジム・カヴィーゼル
モニカ・ベルッチ
マヤ・モルゲンステルン
 世界でもっとも有名な物語のひとつであるイエス・キリストの最期を扱ったもの。ストーリーは述べる必要もないだろう。まだ頭のなかが整理されていない状態のまま文章を書いているけど、かなり特異な映画だという印象を受けている。
 感想をいくつか。ひとつは、肉食文化圏の作品だなあと思ったこと。血しぶきと肉に食い込む鞭のシーンや釘の打ち込まれるシーンなどに、徹底した物質性と肉体性を感じた。殉教者の処刑場面がリアルに描かれていたりするキリスト教絵画を思い出したりしたけど、肉体に加えられる暴力の生々しさに、米・味噌・醤油で育っている人間には無理こういう描写!と少々悲鳴をあげそうになった。
 もう一点。聖書の記述を映像・服装・言語等々、細部にいたるまで再現しようとしている点や、12年の構想期間と30億円ともいう監督の私財で作られている点に、この映画を撮るためのギブソン監督の執念をひしひしと感じた。そのうえで、監督の主張を表現する映像そのものが、きわめてハリウッド的に作られていることが目をひいた。全編見せ場だらけというか、とにかくジェットコースターに乗っている気分になるほど飽きさせない作りになっている。モブシーンの熱気うずまく騒々しさに対して、イエスや弟子たちの回想、マリアたちのイエスを見つめるひたむきな眼差し、多用されるスローモーションといった静かなシーンが連続的にくりかえされる。メリハリが際立っていて、目を背けさせるほど残酷なシーンであっても目を背けることができないほどだ。Ecce Homo!がハリウッドのノウハウでもって効果的に映像化されているのだ。
 これはいったい何なんだろう、とあらためて思う。こういって誤解をまねかなければいいのだけれど、映画の主張にわたしはかなり原理主義的なものを感じた(わたし自身、教義や解釈のレベルで論じることはできないので、内容そのものよりも、この映画のもつ時代的意味に強く関心をもった。)事例として適切であるか不安だが、イスラム原理主義者たちが、金融システムやコンピュータを操ることで、テロ行為のグローバリズムともいうべき事態を展開していることを思い出した。そこには、ラディカルな宗教的価値観でもって現世秩序に徹底的に抵抗する姿勢と、最先端のテクノロジーやテクニックの融合という現象がおきている。ギブソンの映画にも、ある意味、こうした現象との類似的要素があるのではないかという気がした(あくまでも、ラディカルな宗教的価値観とテクノロジーの融合という意味に限定して)。
 ともあれこの映画には、ハリウッドのノウハウと、私財でこれを作ってしまえるような巨大な富を背景に、映画の内容そのものに解釈の余地をゆるさぬような、そういう迫力がある。「あれはこうでしかなかったのだ、追体験せよ!」と有無をいわせずに誘導されていくかんじがする。そう、まさに「追体験」なのだ(これはTDLなど、エンターテイメントに馴染んだわたしたちの身体に適合する形式だろう)。キリストの流した血と苦しみが人類の贖罪であるというテーゼを、物質的・肉体的な表現に徹することで「分からせてくれる」のだ。
 この映画は単なる「鑑賞」の対象としてすむものではないだろう。これほどキリスト教的なテーマを扱いながら、またそれゆえに日本の土壌では一般的に受容されにくいものでありながらも、エンターテイメントの枠を超えた反応を引き出してしまう点が興味深い。ここに、今の時代がどういう方向に向かいつつあるのか、介間見えるような気がするのだが…。
 ・・・あまりまとまっていないし、ニュートラルな立場などないよなと思いつつ書いてるから、どうも歯切れの悪い感想になってしまっている。自分がクリスチャンだったらこの映画をどう評価したのか分からない(この有無をいわせなさに、もしかしたら反発したかもしれない)。ただ、現代という時代のもつ特徴をこういう形で浮かび上がらせた問題作だとはいえるだろう。映画の枠組みをあっさりと越えていて、唖然とした。
(06.mai.2004)

「パッション」みてきました。

 GW最終日、「パッション」を観てきました。感想は忘れないうちにアプしたので、なんだか乱筆御免でかんじです。
 映画館超混み混み! 立ち見はごめんこうむって次の回の順番券をもらった。となりでやってた「エレファント」をみようかなあとも思った。これも見たい映画だ。でも「パッション」にしろ「エレファント」にしろ、結末がわかっている映画だけに、そのプロセスをどう描くかという点では共通している。しかも予想するだけでもかなりこたえそう、、、一日にこの映画二本は精神的にツライというわけで、「パッション」に絞りました。
 わたしは覚悟して見に行ったのだけど、いっしょに誘ったぱらさんは誘われて何気なくついてきただけなのに、延々血しぶきの飛ぶ濃ゆい映画をみせられて、内心「ぎゃー!」になってたみたい、、、悪かったよ。でも映画館のなかに小さな子どもがいたよ。泣いてはいなかったけど、映画の途中まで「ツマンナイー!」「コワイー!」「○☓∴☆*△‼‼」みたいなかんじで、ちょっとウルサかったかな、、、でも子どもにはキツすぎるよね、、、。

立ち読み

 GWの最初なので、無目的に難波にでかけてみる。
 ジュンク堂へ行くまえに、近いのでブックオフものぞいてみた。ここは狭いのに、1Fのマンガコーナーは超満員。すぐとなりが電脳タウン日本橋なので流れてくるのか、オタク率高し。冷房をいれてないのか効かないのか、とにかく異様な熱気で熱がこもりすぎ。全員に8×4義務づけるべし。
 2Fの文庫・新書コーナーはふつうに空いているのでここで物色、いいのがなかったので萩尾さんの『イグアナの娘』を立ち読み。大人のための残酷童話。つらい話だなあと涙して、ジュンクに向かう。岡崎京子の『うたかたの日々』を立ち読み。絵もうまいし、センスもいい。胸から睡蓮、って元ネタなんかなかったっけ?と気になりつつ、つぎに二ノ宮知子の『平成よっぱらい研究所』を読む。これイタイ、イタすぎる。いや、わたし自身は記憶を失うほど飲むことができない体質なので、クズのような酔っ払いにはなれないのだが、クズのような酔っ払いの後始末ばかりしてきた過去が走馬灯のように浮かんで、別の意味で涙なしで読めないよ〜〜。あまりにツラくなったので、途中で読むのを断念する。
 結果的に立ち読みばかりした一日だった。得るものは別になく頭カラッポになったかんじ。ま、そういうのもたまにはよかろうて。

風邪

 風邪っぽいなあと思っていたら、やっぱり風邪。喉の痛みにくしゃみ・鼻水、頭痛に発熱と風邪の症状のオンパレード。お医者さんにかけこんで薬をもらって、昨日はひたすら寝ていた。おかげさまでか、なんだか今日は痛みも和らぎ、明日からは普通に生活できそう。土日がつぶれてしまって、なにやら悲しいような損したような気もしないでもないが、まあスケジュール調整しなくてすんでよかったということにしておこう。

へヴィ

 つつじが咲き誇っていて、白色が目に眩しいほど。花を枕に寝てみたいけど、それだとなんだか死んでるみたいか。
 気候の不安定さゆえか、だんだん風邪らしき症状を呈してきた。ペパーミントの喉飴を買ってみる。気休めにしかならない。あいかわらず喉がいたい。ここ一週間ほど出ずっぱりだったので、知恵熱でもでそうなかんじ。