京みやげ

 祇園小石の黒蜜と飴玉、永楽屋の五穀饅頭と花見団子、原了郭の青紫蘇香煎に桜香煎、下河原阿月の三笠焼きと最中、それと矢絣模様のがま口財布などを買ってきました。京みやげです。雪ふる京都でゆるりと遊んできました。気持ちをきりかえて、思い切り観光に(とゆーか買い物に、しかも食べ物ばかり)徹したのでした。

チョコレート・ボンボン

 寒暖の差がはげしいのか、とくに夜の冷え込みがきつい。コタツから抜け出せないよー。むかし『あさりちゃん』というマンガで、寒いからとコタツをしょって這い回るかたつむりのようなあさりちゃんの姿があったような…あれを思い出すわ。記憶違い?
 ところで先日夜中に急にチョコレート・ボンボンが食べたくなった。理由なんかない。夜中のコンビニでは入手できず次の日にもちこしたけど、なお食べたい気分が続いていたので、近所のスーパーに走ってロッテの例のチョコレートを購入(スーパーに売ってるのはこれくらいなので)。緑の「バッカス」しかイメージになかったのだけど、ラムレーズン入りのもあったのね。普段は目にとまらないお菓子なので気がつかなかった。ラムレーズンを選んで、一口食べて、口のなかにラムレーズンの香りが広がって、やっと満足。でもこれかなり洋酒きつい。顔が瞬間的に火照ったよ。
 しかしなんでまた急にチョコ・ボンボンが食べたくなったんだろう? こういうことってたま〜にある、よねぇ?

嗤う伊右衛門

2003年、日
監督:蜷川幸雄
出演:唐沢寿明
小雪
椎名桔平


 いわずとしれた四谷怪談だが、京極の原作に忠実に作られた映画だった。蜷川演出で、さすがに画面の密度は濃く、監督の細部へのこだわりはひしひし伝わってきた。
 伊右衛門とお岩の愛を描いたものだが、愛が「純愛」として成立つには、愛以外のすべてを顧みないという要素が必要だ。この意味で、伊右衛門とお岩の関係は十分「純愛」として受け止められる。
 浪人という立場にあって、伊右衛門はすべてに執着しないことで己の矜持を守っている。お岩は醜く腫れ上がった顔を隠しもせず、容貌の美しさという女に課せられる桎梏をあえて無視することで、己の矜持を保っている。地位も家柄も美貌も不確かなものでしかない以上、それらに執着しないことは、魂の純粋さと義しさを確信できる方途となるだろう。それは虚勢かもしれないが、彼らの虚勢の張り方自体に精神的な強さを感じた。
 たしかに伊右衛門もお岩も、おどろくほど強い人間である。わたしなどは、逆にこの強さにたじろいでしまった。こうまで独立した個性をもつ者同士でなければ、唯一の執着としての愛は成立たないものなのか。少々とまどっているのだが、思うに、迷うことのない人間というものは、人間像としてみた場合さほど深みや謎や怖さを感じさせるものではない、という気もする。
 原作を読んだときはあまり気にとめなかったが、映画をみたあとでは、伊右衛門やお岩より伊東喜兵衛のほうが印象に残っている。まあ、正しい人間より悪い人間を描く方がおもしろいのはあたりまえかもしれないが。伊藤の妙につるんとした端整な顔立ちと何をみているのか分からない不気味な目は、『悪霊』のスタヴローギンを思い出させた(彼もまた美男子であるが、まだ若いうちにその顔に内面の退廃が表れていたという)。不遜と傲慢と貪欲ゆえに退廃し、どのような悪事を重ねようとも決して満足することがない人間は、その精神の根底の虚無を垣間見みさせるがゆえに興味をそそる。
 ただ映画の重心が伊右衛門とお岩におかれているせいもあるだろうが、伊藤の精神の虚無と飢餓を感じさせつつも、今ひとつ明確に伝わってこなかった。伊右衛門とお岩の愛も純愛すぎて、逆にわたし自身はおもしろみを感じなかったが、伊藤に関してもどこか物足りなさを残したままである。映像の細部へのこだわりに比べると、人間像そのものへのこだわり方は少し平凡ではなかったか。
(27.feb.2004)
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自転車

 『この世の外へ クラブ進駐軍』をみてきた。まだ感想はまとまってないけど、期待以上によかった、と思う。坂本監督の映画、ほかのもちゃんと見なくちゃ。
 今日はいつもは電車をつかっていくところを、自転車で行ってみた。片道約25分。大通りを通っていくと人がちょこまか歩いていて飛ばせないけど、一本横の筋に入れば人通りも少なく、右、左と足を交互に漕いでいればいつのまにか目的地に到達していた。なんだけっこういけるじゃん。真夏や真冬はきついだろうけど、気候がよければチャリ通もいけそう。
 でもって、ついでにレピシエで春のお茶三点セットを購入。「パピヨン」というお茶は自分用においておくけど、「サクラ」と「サクラ・ヴェール」はプチ・プレゼント用。ついでにチョコレートのお茶も買った。家に帰ってさっそくチョコ茶を飲んでみる。今日は充実していた。こう思える日はめったにない。

 とりたてて何事もなくリズミカルに時間が過ぎていく。木蓮の木にまだとんがったままの蕾がいっぱいついてて、これが咲き出すころには一気に春めいてくるのだろうなあと思う。写真にとりたいなと思っても、そう思うときにカメラをもっているわけではなく、その場を去りがたくぐずぐずしてしまう。そういえば、友人の結婚式から持ち帰った一輪のバラも、コップにさしたままだけど、そろそろ枯れてきた。咲きほこる状態もいいけど、枯れていくころに愛着を感じる。
 多少時間的余裕のあるときに映画をみたい、みにいきたい。明日くらいには思いきって街中にでるか、どうしよう。

 『嗤う伊右衛門』を朝一で見てきた。なかなか見ごたえがあって、見ている間中、涙ボロボロ。この日は一日中目が腫れぼったく、頭も重たかった。でも映画のせいと思っていたけど、もしかして花粉のせいもあったかもしれない。とにかく陽気な日が続いて、春めいている。ちょうどいいコートがなくて困るなあ。夜はそこそこ冷え込むし。
 帰宅途中、梅田で紀伊国屋で本を物色。ここで時間をかなりつぶしてしまい、お気に入りのパン屋さんに行ったときは8時をすぎかけていて商品があまり残っていない。あるものを適当に買ったが、梅田を西へ東へとウロチョロしすぎてヘトヘトになった。

『結婚の条件』

 ここのところ年始年末並の暴飲暴食の日々がつづく。先日京都で飲み会。基本的にそんなに飲めないわたしは普段は食にまわるのだが、酔っ払った不良中年ズの「自堕落な生活をやめられない、そんな自分に対する愛着と嫌悪」みたいな話がグルグルまわるうちに、わたしもキャパを超えて飲んでしまい、店をおいだされるころには二日酔い状態になっていた。二日酔いというのは次の日の朝にくるものかと思っていたが、そんなすぐにも来るものなのね・・・。でも酔っ払った不良中年はキップがいいので只酒になった。ラッキー、でも頭痛ぇ。
 小倉千加子の『結婚の条件』を読んだ。おもしろくて一気読み。知人が雑誌『STORY』の「創刊号」を「持ってない!?」と人にききまわっていた理由がやっと分かったよ〜(「秋保仁美さんの謎」という、『STORY』の禁忌コードにふれる話があるらしい。つまり「美貌と若さ」を「カネ」と交換した「結婚」契約が、40代に入ってくると確実に(女に不利に)バランスを崩しはじめて綻びだすという物語。でもオブラートにくるまれた語り方で、さっぱり意味が分からんのだという)。あと、サイバラの亜流とすらも思えないクラタマに、きっちりツッコんであったのも明快でよかったが、クラタマのその中途半端さが支持されている理由だとなると、それもそうかなという気がする。ともあれ、ここで挙げられている雑誌・本の類、ちゃんとチェックしたくなった。『VERY』とか圏外だから、今ひとつ「三浦りさこ」的生き方ってワカランのだわ。

ストレートヘア

 美容院に行った。いちどやってみたかった縮毛矯正パーマなるものをやってみる。時間とお金がかかるというのは分かっていたので、行くのに気合がいったのだな。
 仕上がりは上々、といいたいところだが、なにせ初めてのサラサラヘアなのでとまどうことのほうが多い。ボリュームがなくなって心もとないというか、北風がしみるというか、頭だけ夏みたいというか、よーするに寒い。人にも「頭だけ久保ちゃん」(←「1ヶ月1万円生活」の)とか「ビュティ」(←「ボーボボ」の。でもピンクではない)とかいわれた。…ま、いっか…そのうち慣れるっしょ。
 ところで「マトリックス・レボリューションズ」みたけど、イタタタタ〜てなったのはわたしだけ? 「リローディッド」でオラクルとアーキテクトとか出してきて終わったから、当然この路線で話がさらに展開することを期待してたのに、熱血パターンでおとしてきたかー。ザイオンのCG戦闘シーンみて満足する層もいるかもしれんけど、ここに力を割くのは、わたしからみると「ウォシャウスキー、逃げたな」てかんじ。おまけに最後はナウシカってか? 「リローディッド」で膨らませた話を展開する力量がなかったのか? 文句だけ書いて終わり。