忘年会

 昨日は(も)忘年会だった。中華料理で、次々運ばれてくる料理を食べていたら、おなかがパンパンになる。しまった、食べすぎ・・・。でも白アスパラガスの蟹あんかけが美味しかったよー。ところで、年配のおじさまは断っても断ってもお酒をグラスについでくださる。手酌で飲むと言ってるのに。おかげでやっぱり飲みすぎたよ、まったくもう。帰りの電車内では本を読む元気もなく、ぼーと揺られて帰ってきた。家に帰って珈琲を飲んでから寝る。眠られなくなるかなあと思ったけど、眠れたみたい。カフェインの効果とは一体?

美、あるいは。

「美しいものとは、人がじっと注視できるものである。何時間ものあいだ、見つめていることのできる一基の彫像、一枚の絵。」――シモーヌ・ヴェイユ
 なるほど、と思った。目が離せないもの、じっと凝視めてしまうもの、たしかにそれは美かもしれない。
 では目を逸らしてしまうもの、注視しがたいものとは、醜だろうか、苦だろうか、それとも悲だろうか。それらは目からは逸れてしまうが、心には焼きついて離れないようなものかもしれない。

ヘッセ『メルヒェン』

 最近お気に入りの喫茶店をみつけたような気がする。前からしっていたお店だけど、休日はいつも混んでいたから入ってみようとは思わなかった。でも平日の夕方は、お茶の単品の値段が安くないせいか、空いている。禁煙席があるのもうれしいし、紅茶がポットサービスでくるのもうれしい。入り口付近の四人がけの広いテーブルに座って、本を読んでから帰る。
 隣の人が近かったり、音楽がうるさかったりすると、本が読めない。わたしはきっと集中力が足りないんだと思う。
 ヘッセの『メルヒェン』を読んだ。タイトルから想像するのとぜんぜん違ったけれど、とても美しい文章が連なっていて、なんだか泣けてくる。「ファルドゥム」の、世にも美しい願い事をした少女たち、空に消えたヴァイオリン弾きと山になったその友人、「アヤメ」の、失われた故郷を探す男の郷愁。切なさと儚さとが文字になって滲んでくるようだった。

グリューヴァイン

 知り合いの人からドイツみやげとして、グリューヴァインを作って飲ませてもらった。クリスマス市で売られているもので、一度飲んで見たいと思っていたのですごくうれしい。感覚的には神社仏閣の甘酒に近いらしい。赤ワインにハーブをまぜてあって、レモンの薄切りをうかべて飲む。一口のんで、すごく甘くてびっくりした。甘くて温かくて、これは寒い外で飲んだら美味しいだろうなあと思った。アルコール分が飛んでいるかと思ったら、少しするとクラッときてしまった。でも美味しくて味をしめてしまいそう。安物のワインらしいけど、自分で作れないかなー。どんな種類のハーブを漬け込んだらいいんだろう。

ichとdu

 昨日は忘年会だった。新しくできたお店で、鍋+飲み放題で3000円ほどと安くてうれしい。値段のわりにはそこそこおいしい。やっぱり鍋はいいなあ。メンツの一人が高コレストロールを気にしていて、彼が強烈に鍋を押してきたので、わたしも便乗。やっぱ揚げ物づくしは食がすすまん。
 ドイツ語のエッセイを読んでいたら、ドイツ人は自分を責めるときに「おまえはなんてバカなんだwie dunn bist du」と自分のことをdu(おまえ)と呼ぶとあった。これに対して日本人は「オレはなんてバカなんだ」と自分のことをich(わたし)と呼ぶという。いわれてみたら、わたしも自問自答するときはichで考えているようだ。
 モノローグなんだけどダイアローグの形式をとる、というのは、小説やマンガでも時折みかける形式だ。『カラマーゾフの兄弟』ではイヴァン・カラマーゾフの元を訪れて彼の言動を嘲笑うのはもう一人のイヴァンだったし、萩尾望都の『残酷な神が支配する』でも、自分自身を欺き納得させようとするイアンの偽善性をその都度突っつきまわすのは、もう一人のイアンだった。幸村誠の『プラネテス』でも、主人公の煮詰まる野望と孤独をひっかきまわすのはもう一人の自分だった。考えてみれば、新約聖書でのイエスを誘惑する悪魔の話は、これまたイエスと悪魔のダイアローグの形式をとったモノローグなのかもしれない。探せばもっと事例はあるようで、ちょっとおもしろい。

時計

少しだけ息抜き。ヘッセの『メルヒェン』を読む。ヘッセの小説は寒い季節に読むのが気分的に合うような気がする。空気が冷たいほうが、物語のなかに入りこみやすいのかな。最初の短編「アウグストゥス」はよかった。次のも読みかけたけど、疲れがでて寝てしまう。続きはまた別の機会に。
近所のカステラ工場の壁には、学校にあるような時計がかかっている。いつのまにか時計がとまっていて、いつのまにかはずされていた。壁にぽっかり時計の跡がずっとついていたんだけど、今日新しいものがかけられているを見た。相変わらず甘い香りを辺りに漂わせてて、ここの傍を通るのは楽しみの一つ。時計がついて、なんとなくお色直しというところかしら。

メモ

ほんとに12月?というくらいの暖かさ。でも木々の色づきは今が一番きれい。銀杏の黄色が鮮やかすぎる。枯葉の上をサクサク歩くのも楽しい。
とはいえ、当分お仕事モードです。なんか去年も同じような時期に忙しかったなあ。毎年同じことを繰り返している気がしてならない。滑車を回るネズミの気分。華やかな季節の12月は好きなのに、わたしの日常って華やかさのカケラもない。せいぜい珈琲・紅茶の飲みすぎで肌荒れしないように気をつけよう。

東京のホテル

 東京より帰阪。東京みやげは塩瀬饅頭とぬれ豆なっとう、あとお茶屋さんで柚子入りの日本茶を購入。どれも美味しい、が、柚子入りのお茶は京都福寿園の品であることが判明。こっちの方でも確実に入手できそうなのでがっくり。でもとても美味しかったので、探せばまた買えると思えばいいか。ぬれ豆なっとう、初めて食べたけどおいしいですね。ぴかぴかに光っていて、砂糖をまぶした甘納豆とはまた違う味わい。
 あたりまえだけど、東京のホテルは高い。友だちん家に泊めてもらうのが一番安上がりで楽しくていいのだが、今回はホテルに宿泊した。そこそこの値段のところに申し込んだつもりだったのに、やっぱりビジネスホテルで、部屋をみてがっかりする。ビジネスホテルってキライ。
 フロントで加湿器を借りてきて、一晩中加湿してたら、朝起きたら熱帯雨林のなかにいるようなかんじになっていた。自宅が安普請のせいか、一晩中加湿したところで結露などしないので、そのつもりでやってしまったらエライことになっていた。窓を開けようにも窓は開かないし、ドアを開けるわけにもいかなし、換気扇は回っている気がしないようなお粗末なヤツだし、もう知らん。朝食を食べて外から帰ってきたら、さすがに部屋の臭さが気になって、朝っぱらからナーバスになった。さっさと引き揚げた。
 なんかこう書いていると、だんだん腹がたってきた。腹立ちついでにもう一つ。ホテルのバイキング形式の朝食ってすごく好きなんだけど、何ゆえに日本のホテルの朝食は判で押したよーに一緒なの? そして美味しくない。とくにパンとシリアルとヨーグルトとデザートが。今回は珈琲すらも不味かった(有名ホテルのくせにっ)。自分で毎朝用意する朝食の方がうまいなんて何事だ。やっぱ不況だから予算を削っているんだろうか。こんなことなら、フツーに外でモーニングを食べたらよかったよー。ホテルの名前ゆえに朝食だけは期待してたのに。

おでかけ

今日はこれから東京行きです。なぜか帰りに買うみやげものばかり念頭にあるわたし。デパ地下による時間があるかなー、、、

ケーキ

 出先ついでに難波による。より道するのは気合がいる。久々の大型書店で本を物色。あっというまに時間がたつ。何冊か購入して、ダイエットが成功したら絶対食べる!と決めていたケーキ屋さんに向う。平日の帰宅時間はどこのお店もけっこう空いていて、客もまばら。おかげでゆっくりケーキと紅茶をいただけた。
 ケーキは白い生クリームがコーティングされたシンプルな洋梨ケーキ。スポンジはフワフワで、口のなかで溶けてしまうよう。ケーキってこんなに儚い味わいのお菓子だったの、とちょっと感激した。紅茶もつぎたしのお湯が一緒についてくるのがうれしかった。このヨロコビを糧に明日もがんばろうっと。