イエスタディ、ワンスモア

yesterday once more
龍鳳鬥
2004年、香港
監督:ジョニー・トー
出演:アンディ・ラウ
サミー・チェン
ジェニー・フー


 とにかく何にも考えずに、ひたすら甘い映画が観たいと思って観にいった。そこそこ甘くて、しかも飽きさせない作りのおもしろい映画だった。原題の「龍鳳鬥」は「王者同士の頭脳合戦」という意味だそうだ。推して知るべし。しかし、「鬥」の字が読めないぞ。
 アンディ・ラウとサミー・チェン演じる超セレヴなトゥ夫妻は、盗みが趣味という点で、同士でありライバルでもある関係。トゥ氏は、妻が本当にすきなのは夫なのか宝石なのかを知ろうと試み、妻もまた夫が何を考えているのか探ろうとする。お互いなかなか本心は明かさないので、ひたすら駆け引きの連続。何かを聞き出すときは、かならず賭けをやって勝った上でという条件がつく。トランプ、競馬、ドッグレースと、とにかくしょっちゅう賭けをしている。スリリングな駆け引きを本気で楽しむことができる相手はそうそう見つかるものでもなく、騙し騙されする駆け引きという行為そのものに、共依存的な関係が成り立っている。平たくいえば、一人でいるより二人でいるほうが数倍楽しいの!というのを延々見せられるというか……何か書こうと思っても、実際のところ、ルパン三世と不二子ちゃんの実写版という感想しか出てこなかったりします。
(31. jan.2006)

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歯医者さん

 最近歯が痛くて、今日しぶしぶ歯医者さんに行った。歯石とりとか着色取りとかいろいろやってもらって、口のなかがずいぶんさっぱりしたけど、痛い歯のところは当分通いになった。落ちこむ。今度は歯が痛くなる前にちゃんとケアしてもらおう。歯痛って強制的ダイエットだよね・・・、できればこういう食べられないダイエットはイヤなんだけど・・・。もう間食やめる、チョコやめる。なのにもうすぐバレンタインデーとかで、チョコが街中に氾濫してるなんて!
 ムッカーついでテレビの報道にもムッカー。らいぶどあとか、まんしょんぎそうもんだいとか、メディアの報道の裏読みしなきゃならないなんて、ここは旧共産圏か? メディア自身が思いっきりメディア操作されてて、それに開き直っているかんじ。見るに耐えん。俗物図鑑を見ていると思えばいのだ、それこそが社会なのだ!とかって、知り合いの兄さんなら言いそうだけど、わたしはあんまりその辺にワクワクするタイプではないのだなー・・・、あ、歯が痛い・・・。気分が殺伐とするよ。

寒天でトロリン

 お正月をすぎたこの時期は、毎年ダイエット・モードに入る。とはいっても、摂食するダイエットはつらいし、リバウンドするし、自分に合っていないので、運動+食べ方に重点を移している。でも運動もたいしたことないのだよね・・・。とりあえず、歩数計とステッパーと体重計が三種の神器で、あとは散歩とストレッチくらい。どう考えても、食べる量>運動量だなあ。
 先日知り合いとごはんを食べたとき、わたしがいかに「早食い」か見破られてしまった。ついでに、「大食い」であることもバレてしまった。いや別に隠してはいないのだが、「早食い」は体にもよくないし、ゆっくり噛んで食べたいと思っているのに、なかなか治せないのが悩みの種なので、指摘されてがっくりきた。「大食い」のほうも、「早食い」を直せば結果的に食べる量が減るはずなので、これも指摘されてがっくりきた。落ちこむわたしに、「トロトロ食べられるよりはいいよ!」とか「食べられなーい、とか言われるよりいいよ!」と、まわりは慰めてくれたけど・・・でもやっぱり治したい。
 で、このまえの某テレビ番組で、間食がやめられないアナタへという特集を組んでいた。わたしのことかと、もうカブリツキで見ましたともさ。おなかって空きすぎてもダメらしい。おなかの空き具合をゆっくりさせるのがコツ。ま、そうかも。でも油モノがカロリー高いのは分かっているし、そんなに好きでもないから、今まで以上に摂りたいとは思わない。海藻類はもとから好きなので、こっちにする。
 そんなこんなで、今ハマりつつあるのは、寒天で飲み物をトロリン化させること。これ楽しいねぇ。ちょっと葛湯みたいなかんじになるし、おなかが空いたころに寒天入り飲み物を飲むと、入っていない飲み物より腹持ちする気がする。当分寒天業界に投資する!

コットンのシャツ

 今日は久しぶりに美容院にいって髪を切った。といっても、毛先を切りそろえたぐらいに終わったので、ほとんど変わり映えはなし。予定より早く終わったので、バーゲンをしているモールに買い物にでかける。小春日和で暖かかったせいか、セーターなど分厚いものを買う気になれず、春先まで着れそうな薄手のシャツを買った。
 肌に合わないので、アクリルやポリエステルが入っているものは極力避けたい。重ね着で上に着る分にはまだいいけど、インナーや皮膚に直接あたる部分は、なんか痒くなってくるんだよね。だから値札とともに、素材のチェックに怠りない。安くてかわいいデザインにとびつくと、ほとんどアクリルが入っている。綿100%やウール100%の服って、少ないなあ。
 迷いに迷って、コットン100%のシャツを二枚買った。透け感のある白いシャツと、首もとの上のほうまでボタンで留める襟元にアクセントのある紺色のシャツ。安くなっていたし、使い勝手もよさそうなシャツなので、重宝しそう。一人で買い物して、気の済むまで迷って、それなりにストレス解消。明日からまたがんばろう。
 
 

日常再開

 年末に仕事モードから新年お祝いモードに頭のスイッチを切り替える作業、あきらめの悪いわたしはいつもグズグズしてしまう。いやいやこういうときの切り替えこそが大事なのだよkirynくん、と自分にいいきかせて、すべてを忘れてお祭りモードに。そして、年明け、お祭りモードから仕事モードに切り替える作業がやってくるわけですが、これがまた難儀で・・・。そのためのスケジュール管理なのに、そのためにいろいろ小細工しているのに、ことごとく怠け者な自分が顔を出しては邪魔をする。
 お正月、ぼーとテレビで『アザー・ファイナル』という映画をみた。映画というよりドキュメンタリーか。2002年のワールドカップのときに、世界最下位を決定するということでブータンとモントセラトという国の試合をつづったもの。コンセプト一発!みたいな映画だった。またコメント書くかな? ちょっと保留。

映画評(ヘルツォーク)

 2006年最初の映画は、わたしの大好きな監督ヘルツォークの『神に選ばれし無敵の男』だ。最初例によって酔っ払って見始めたが、導入のあまりのおもしろさに、このまま朦朧とした頭で見るのはもったいなさすぎる!と思い、むりやり中断、日をあらためて見直した。
 ヘルツォークの描く主人公たちには、どこか不敵な匂いがあって、神か悪魔か、何か大きく形容しがたいものに楯突いていく物狂しい側面がある。多分わたしは、そうした狂気じみたところに惹かれるのだと思う。今回の映画も、実話と寓話、現実と夢がいいがたく結び付いていて、なかなか文章に書きづらいのだけれど、その配合具合がなんともいえずよかった。
 新年そうそう暗くて不思議で重みがあって狂った感のある、要するにわたし好みの映画が見れて満足です。幸先よいかも。

神に選ばれし無敵の男

invincible
2001年 独・英
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
出演:ヨウコ・アホラ
ティム・ロス
アンナ・ゴウラリ


 この映画は最初から最後まで、いいしれぬ不安と破滅への予感に満ちている。
 1932年――ナチスが帝国議会選挙で多得票を獲得し、ドイツ国内での存在感を高めつつあったころ、ひいては、ヒトラーが33年1月に政権を掌握する直前というのが、設定された時代状況である。
 三人の主要な人物がでてくる。一人は謎めいた予言者ハヌッセン(ティム・ロス)。ポーランドのゲットーで鍛冶屋の息子として生きる、やさしさと力をあわせもつジシェ(ヨウコ・アホラ)。それから、ハヌッセンに幼少のころ拾われたという無国籍者のピアニスト、マルタ(アンナ・ゴウラリ)。
 原題のinvincibleは辞書的に直訳すれば「無敵」となるが、これはもっと含意をもつタイトルだと思う。むしろ、不安や混迷や混乱や破局に対して、「迷わざる者」「迷いなき者」「揺ぎなき者」「揺るがざる者」「確信者」といったニュアンスでとるべきではないか。「無敵」と訳すと映画の筋といまひとつ合わない気がする。
 ハヌッセンとジシェは、両者ともその意味でinvincibleな男である。ハヌッセンは、皆が見ることのできない賽の裏の目を見ることができる。自分の生れ落ちた時代・与えられた属性が、この時代のなかでどのような運命をたどらざるをえないかをはっきりと見据えていた彼は、ナチス政権に取り入ることで自分の運命を打開しようとする。ハヌッセンは、この時代の、ロシアまでも含むヨーロッパに生きたある種のユダヤ人に特有の性質をもつ。彼はユダヤの共同体から逸脱し、マジョリティの共同体からは排除され、根無し草的かつコスモポリタンな性質を帯びざるをえなかった人々の一員である。
 それから、ジシェ。自分に与えられた人並み外れた強さを、神は何のために与えたのかと彼は自問しつづけている。ユダヤ共同体の強い絆のなかで生れ育ち、何が正しいかを知っている「義しき者」たる彼は、ハヌッセンとマルタと出会うなかで、自らの使命を悟っていく。ユダヤ民族を襲う未曾有の悲劇を予見した彼は、その悲劇から自分の仲間を守ることが自分の使命だと確信している。その確信はinvincibleなものでありながら、人々にそれを伝えることは難しく、彼の力は空回りして、ついには自らを傷つけてしまう。
 マルタは、不思議な女性だ。豊穣な豊かさを秘めた肉体と類稀なピアノの才能をもちながら、両親も知らなければ自分が何人かもしらない見捨てられた存在であり、見るからに不安げな眼差しをこちらに向けてくる。ハヌッセンもジシェも彼女に惹かれている。思うに彼女は一つの時代の象徴という面をもちあわせていたのではないか。ハヌッセンが彼女を支配し服従させたのは、自分が時代を支配することと同義だったように思うし、ジシェが彼女の才能を鼓舞し、その夢を実現させようとするのは、自分の力が沈黙を余儀なくされ見捨てられた者たちを救うためにあると信じたことの結果だったように思う。
 最後、ジシェの夢。海岸を埋め尽くす真っ赤な蟹の大群のなかを、ジシェは、もっともかわいがっいてた弟ベンジャミンを抱き上げながら歩いていく。彼が守りたかったベンジャミンは最後、ジシェの手を離れて空へと飛んでいく。寓話的な終わり方ではあるが、どうしようもなく、暗い予兆をはらんでいた。
 invincibleな者を描きながらも、映画にはぬぐいがたい不安感が通底している。先が見えているのであれば、自分だけは時代に飲み込まれないよう常に先取りして出し抜いて生きていくか、それとも、後に残る大勢の人々に向き合って、流れに抗するよう声を張り上げるか。それぞれの流儀で流れに抗する姿と、それでも時代の波に飲み込まれていく姿――この両義的な側面が、尋常ならざる主人公たちのその平穏ではない人生によって浮き彫りにされていた。
(02.jan.2006)
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prosit neujahr 2006!

あけましておめでとうございます。
去年このサイトを訪れてくださったみなさま、どうもありがとう。今年もぼちぼちサイトを続けていきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

スケジュール帳2

 「火の用心」の掛け声と拍子木の音が、戸の外から聞こえてくる。ストーブでは黒豆を煮ている最中で、豆の匂いがかすかに漂っている。掃除と買出しに追われて、いかにも年の瀬の一日を送った。
 昨日新しいスケジュール張を購入した。リーフを探していたけれど、本屋さんとか雑貨屋さんには意外とリーフは置いていないようで、結局一年分のノートにした。見た目、ブックカバー、青いゴムで角っこをぱちんと留めるようになっていて、なかなかかわいらしい。
 早速分かっている分だけの予定をマンスリーに書き込み、次にウィークリーを開いてみる。さてどうしたものか。マンスリーに書いた分の時刻にあわせて予定を書いてみたものの、空白部分も多い。使ったことのない形式なので、当分試行錯誤が続くかも。
 今年使っていたマンスリーの薄っぺらいスケジュール帳をぱらぱらめくってみると、あたりまえだけど、おおまかな予定しか書き込んでいない。ウィークリーを充実させることができたら、来年の今頃は何らかの達成感を味わうことになるだろうか。そうなるといいな。