100本ということで、ちょっとオアソビ。チャート式っぽく、これまで観た映画の傾向と対策など。
【ナショナリティ別で監督のラインナップ】
米:ムーア、リンクレイター、ソダーバーグ、ゴンドリー、ギブソン、マンゴールド、ジョーンズ、ストーン、キューブリック、スピルバーグ、ノートン、サンド、タランティーノ、ツワイゴフ、スミス、ウォシャウスキー、パーカー、ミッチェル、ズウィック、ファレリー
独:ヘルツォーク、ファスビンダー、ベンダース、ムルナウ、ヒルシュビーゲル、ストローブ=ユイレ、ティクヴァ、アドロン、ヴェンダース、ラング
伊:ベルッチ、ビスコンティ、タヴィアーニ、アントニオーニ、ロージ、ゼフィレッリ、グリッフィ、フェリーニ
仏:ルコント、ロメール、カラックス、ポランスキー、ゴダール、レネ、ラブノー、ベルリネール、アノー
英:ウィンターボトム、カニエフスカ、ポッター、ギリアム、ハドソン、フリアーズ
露:タルコフスキー、シャフナザーロフ、パラジャーノフ(グルジア)
(旧)ユーゴスラヴィア:クストリッツア、ケノヴィッチ、シヤン
西班牙:アルモドバル
葡萄牙:オリヴェイラ
波蘭:ホランド
丁抹:トリアー
豪州:カンビス、カンピオン
瑞典:ハルド
越南:トラン・ユン・アン
印度:ラヴィクマール
コロンビア:ナランホ
中国:王家衛、陳可辛
韓国:クァク・ジェヨン
日本:鈴木清純、蜷川幸雄、黒澤明、是枝裕和、森田芳光
ナショナリティなのか映画の製作地なのかブレるけれど(パーシー・アドロンはドイツ人だけどアメリカで製作しているとか、ストローヴとユイレはフランス人だけどドイツで製作しているとか)、切りがないし、ワケが分からなくなってきたので、適当に大まかに放り込みました。
こうしてみると、北米・欧州の映画に偏った見方をしているなあ。それも市場ルートにのってくるものがほとんどだから、アメリカの大学とかでひっそり上映しているような映画とか、観たくても観られないのも多い。たまに美術館で「ウォーター・メロン・ウーマン」みたいな映画を上映してくれたりするけど、、、よっぽどアンテナをはっておかないと見逃すことも多い(てゆーか、見逃してる)。マイナーな映画はなかなか観る機会がなくて残念です。
【レヴューを書くつもりで観たけど書けなかった映画】
・キューブリック「時計仕掛けのオレンジ」
・クストリッツァ「アンダーグラウンド」
これ双璧ですね。書けない! あとは、
・坂本順治「この世の外へ クラブ進駐軍」
・田壮壮「春の惑い」
などでしょうか。
こちらは書きそびれた感があります。「春の惑い」の中国語「美しき青きドナウ」の場面はすばらしかったです。
【昔見たけど、もう一度みたい映画】
・タヴィアーニの「カオス・シチリア物語」
・ヴィクトル・エリセの「ミツバチのささやき」や「エル・スール」
・鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」ほか
・ルイ・マルの「地下鉄のザジ」
・ベルトルッチの「ラスト・エンペラー」とか「暗殺の森」
・張芸謀や李孝賢の映画…etc.王家衛の「ブエノスアイレス」もう一度観たい!
ここにあげた映画は、印象的な場面がいくつも記憶に残っているもの。「エル・スール」では、バールで父親が手紙を書いているところを、娘がそっとガラス窓の外からのぞくシーンとか、「ミツバチのささやき」のアナ・トレントが現実と夢の区別がつかず、熱をおびてうなされているシーンとか、「暗殺の森」のダンス・シーンとか、「カオス・シチリア物語」の青い空と白い砂浜のシーンとか。あげていくと切りがないですね。
【観たけどコメント書くほどでもなかったという映画】
ウォシャウスキー「マトリックス」
大島渚「御法度」
ま、ほかにもいろいろ・・・。
【これからどんな映画が観たいか】
・まず、ロシア圏、東欧圏の映画をもっと観たい。
・南米の映画もいいです。「赤い薔薇ソースの伝説」とか「ラテン・アメリカ/光と影の詩」、印象的でした。棺おけが洪水で遺族のもとに流れてくるとか、不思議な映像だった。
・あと日本の映画、意外と観てないのよね。小津とか黒沢とか溝口とか、一時期がんばって見た覚えはあるのだが、、、。日本映画の日本語を聞いていると、なじみのない言葉のように聞こえてくるから不思議だ。最近の日本映画も観るべきでしょうねー。日本にかぎらず、中国語圏・韓国の映画も観ていこう!勢いあるしね。
・イスラム圏、アフリカ大陸は皆無ですね。この辺の映画はほんとに知らない。開拓の余地あり? あ、イランのキアロスタミあたりの映画ならいくつか観れるのか。
傾向と対策になっているのかな? 観るものが多くて選ぶのも大変です。ともあれ、ちょっと一息。わたしは明日からソウルに行ってきます!数日で帰ってくるので、次はコリア・レポートの予定。
映画&お買い物
昨日は一日中雷が鳴っていて、不安定な天候だった。今日は一変していい天気だけど、暑いー。
無理やり時間を作って、「ヒトラー、最後の12日間」を観てきた。映画館混み混みで、立ち見になってしまった。人気あるんだなーこの映画。前のほうに陣取って座って観た。3時間近くあったのでおしりが痛くなったけど、据わり観でもけっこうちゃんと観れた。いざというときのための簡易クッションとかあるといいなあ。映画館、用意してくれないかな? ふつうにパイプ椅子とかさー。
というわけで、記念すべき映画100本目はドイツ映画の「ヒトラー」でした。政治色の強い映画が続いているねー。
映画のあとはお買い物。わたしってほんとスーツが似合わない。体にボリュームがないせいか、スーツに着られてしまう。試着した姿が悲惨すぎる。店員のほめ言葉に惑わされずに、ちゃんと「似合ってない」と判断できる自分はエライわ、、、。結局、いろいろお店をはしごして、かちっとしたシャツを買った。胸元でリボンを結ぶから華やか感もあるし、なかなかいいと思う。何買うにしても、サイズにはいつも苦労させられるなあ。
ヒトラー、最後の12日間
Der Untergang
2004年、独
監督:オリバー・ヒルシュビーゲル
出演:ブルーノ・ガンツ
アレクサンドラ・マリア・ララ
コリンナ・ハルフォーフ
第三帝国の終焉をヒトラーを中心に描いた作品。昨年ドイツで公開されて、かなりの動員数を記録したと聞いて、日本で公開されたらぜったい観にいこうと思っていた。
1945年4月下旬、ソ連軍の砲弾を至近距離で浴びせられ、瓦礫の山と化していく陥落寸前のベルリン。被弾するつど映画館も地鳴りし、物語りが進む間も背後で爆音が響き続けることに、最初、不安な気分にさらされた。ただ、1時間も見ていくと、次第にそうした状況にも身体が慣れていくのが分かった。もちろん、映像と音声だけの体験だから、慣れといっても映画的な慣れでしかない。現実はそんなものではないのだろうと思いたいけれど、たとえ現実であったとしても、人間は異様な状態に慣れていくものかもしれない。慣れというより麻痺に近い。どれほど悲惨で醜悪で異様な事態であっても、それが長引けば、最初のショック状態からなんとか回復して、思考回路を閉ざして、生き延びるために身体は勝手に現状に適応しようとするのだろう。
映画では、司令部にいる人間の思考回路の麻痺と状況打開不可能なまでの硬直性が描かれる。権力者の気宇壮大な妄想が決断の根拠になるため、司令部からは実行不可能な命令が下されるばかりで、指令系統は事実上崩壊している。何一つ状況は打開せず、無駄に死者の数を増やすだけという目を覆いたくなるような状況が露呈する。冷静にやるべきことをやろうとする軍人たちが出てくるにせよ、SSは赤狩りと称して民間人をリンチ殺害していくし、司令部にいる人間は乱痴気騒ぎやアルコールに浸っているし、その間も容赦なく爆弾は人間を殺していく。もはや手の施しようのない現状とおそるべき精神の荒廃状況とが、被弾音の地響きのなかで描かれる。
この映画の「人間ヒトラーを描いた」という振れ込みも、あまり好意的に表面的に受け取るべきではないと思う(ヒトラーの「人間臭さ」なるものは、描くことがタブーだったかもしれないが、描くこと自体は難しいことではないだろう。その先に何を読み取るか、が問題だと思う)。映画界では悪の記号として、ときには戯画化された形でしかナチズムは扱われてこなかった。その点、この映画は単なる「悪の記号」ではないナチズムを描いている。何を読み取るかは人それぞれ多様であろうが、わたし自身は、滑稽で滅茶苦茶で悪夢的な状況に翻弄される個々の人間たちが、その状況のなかで思考回路も精神も麻痺させて生き延びることはできても、「目を開く」ことはいかに難しいことであるかという問いが突きつけられているように思った。
実在の人物だという主人公の秘書ユンゲの「純粋さ」、もしくは思考回路の凍結状態はとてもリアルだ。最後に年老いたユンゲ自身がでてきて、次のように告白する。ナチスがユダヤ人に対してやったことを聞いて慄然とした、でもわたしは長い間、ヒトラーの秘書だった自分とその出来事を結び付けることができなかった、と(重要な場面だと思うのだが、「付け足し」感が強く、映画の内容とリンクしきれていないのが残念)。一人一人の人間は誠実で、忠誠心も高く、それなりの良心ももつ普通の人間で、悪魔や野獣のような存在であるわけではない。ただ、自分自身の人生の軌跡と、組織的な殺戮も含めての大量の人間の死という事実を、直接の被害者ではない大半の人間は重ね合わせることができない。自分の責任として引き受けることができない。いやむしろそれ以前に、理解できない。ユンゲのように。そしてわたし自身も含めて、大半の人間がそうなのだと思う。
派手な作りである分衝撃的な印象はあるが、見る人によって評価が分散するだろうし、けっして分かりやすい映画ではない。骨太な作りではあるが、やりきれない思いが残る作品でもあった。
(7.aug.2005)
この映画のコメントはこちらに続きます。
for myself 4
you don’t think what you could’t do.
you should reflect back on your accomplishment and accumulation.
映画評&避暑
「家宝」の映画評を挙げておきます。ストーリーは今回は端折りました。こういう映画は手に負えないなー。思ったことの全部が書ききれない。
今日で7月も終わり。蒸し暑い日々が続くけど、今週半ばは、避暑地でリフレッシュしてきた。アスファルトと排気ガスに囲まれた日常を脱して、山の空気を吸ってきた。山頂では蜩が鳴いているし、気温も涼しいし、なんともいえない心地よさ。
ヘッセの『青春は美し』を持っていって読んだ。旅先でヘッセを読むのはけっこういいなと思った。
家宝
o principio da incerteza
2002年 葡・仏
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
出演:レオノール・バルダック
レオノール・シルヴェイラ
リカルド・トレパ
オリヴェイラの映画、三本目。この監督の映画は観れば観るほど嵌まり込んでいく気がする。決して派手ではない、抑制が効いた作風には職人芸的な安定感があるし、何より構成や構図の巧さには舌を巻く。
今回の映画は構成の巧さがひときわ際立っている。オリヴェイラお得意の二項対立を複数設定しているのが基本構成なのだけれど、これら対立項のフォーメーションを展開させることで、物語を進めていくのだ。力量のある監督が采配したサッカーの試合や、数式で証明問題を解いていくような美しさがある。しかも物語は物語として十分見ごたえのある内容をもつので、とにかく堪能の一品。室内装飾の重厚な暗さと窓から入るポルトガルの陽光の明るさが、画面を引き締めているし、ポルトガル語の響きがまた美しい。パガニーニの音楽が、場面場面で効果的に使われているのもいい。ワインが飲みたくなること必至である。ブドウ畑も映し出されることだしね。
さて、ここに出てくる二項対立を挙げていくと切りがないので(複雑に人間関係が展開していくからいくつでも作れてしまう)、少しだけ取り上げることにする。
なによりも、主人公カミーラ(レオノール・バルダック)と女中セルサ(イザベル・ルト)の対比が興味深い。カミーラの守護神がジャンヌ・ダルクで、セルサの守護神が聖母マリアというのもそれぞれの役柄を象徴していておもしろい。セルサの行動とその胸の奥にしまいこんだ秘密は「母」がキィワードになるものだった。カミーラはもっと複雑で、作中でジャンヌ・ダルクが「二面性をもつ女」と捉えられているように、彼女自身も複雑な二面性をもつ存在として描かれている。可憐な容貌をもつカミーラは、周囲の人間からは不幸な結婚に耐えるかわいそうな女性という評価がなされているが、彼女自身は必ずしも自分をそうとはみなしていない(「わたしは汚い人間だ」と述べるように)。実際映画を観る者には、彼女が冷静な分析力と決断力と備え、ときには冷酷でさえある一面をもつ女性であることも知らされる。カミーラとセルサは根本的に対立する関係にありながら、自らの欲望を貫徹する意志の強さと頭のよさをもち、さらには秘密を抱え込んだ者として、似た者同士でもある。犯罪を犯しても、絶対に人に洩らさず、良心の呵責にすら耐え切れる存在だろう(セルサがそうだったように)。
ともあれ、カミーラの謎めいた性格はかなり魅力的だった。あと、狂言回しとして出てくるロペール兄弟もいい。この兄弟も運命共同体のような不可思議な存在だ。ダニエル役のルイーシュ・ミゲラ・シントラは『神曲』で「預言者」役をしていた役者さんだが、今回もすごくいい味を出している。一度みたら忘れられない人だ。
(31.jul.2005)
『賭博者』
オリヴェイラの「家宝」を見た。すばらしかった。構成が見事すぎる。見終わると、とにかくポルトガル・ワインが飲みたくなった。探してみたが、近所で手に入るのはスペインのワインだったので、それで我慢することにする。ちゃんとしたコメントはまた明日以降に書くことにする。
ワインの酔いが醒めるまで、ドストエフスキーの『賭博者』の続きを読む。最初から異様な人間関係ゆえに引き込まれる話だったが、中盤、モスクワから「お祖母ちゃま」が登場するあたりから、スラップスティックな状況に展開して、さらにおもしろくなる。ルーレットにのめり込む賭博師の狂気が描かれる場面など、異様な熱気が充満している。主人公と彼が恋焦がれるポリーナの関係は、奇怪な心理戦を伴う主従関係で、そのあたり、とてもドストエフスキーらしい。あと、主人公は、カラマーゾフの長兄ドミトリの前身のようにも思えた。
遅読のわたしにしては、あっというまに読み終えてしまった。
もうすぐ100本目&パンやさん
このサイトはいちおう映画評のサイトなのだが、そのレヴュー数がどうも100本に接近している模様。のんびり書いてきて、ただいま98本目(でも数えているうちにワケが分からなくなってきて、ちょっと自信ない・・・)。100って区切りがいいよねー。100本目には何を見ることになるんだろう。ちょっとワクワク。
今朝は本町paulのパンで朝ごはん。なかなか本町あたりまで行かないから、たまにしかここのパンは食べられないのだな。昨日の夜から今朝の朝食が楽しみでしかたなかった。paulのビニール袋を見ながらニンマリしていた。明日は梅田に出るついでに、パンを補充しよう。手堅くアンデルセンのビール酵母で発酵させたとかいうパンは押さえておくべきか。
パンが好きといっても、わたしは食べつくすタイプではなくて、気に入ったパンばかり買うタイプ。ほとんどのパンやさんは、菓子パンの比重が高くて、それがすごく残念。なんでこんなに菓子パンばかり売るのだ? 売れるからといわれたらそれまでだけど。やはり日本人の感覚では、パンは「おやつ」なのかなあ。どの店にも置いてある食パンも、わたしはほとんど食べない。だから、街中にパンやさんはたくさんあれども、行きつけになる店はほんとに少ない。もっと食事用のパンを充実させてほしいなあ。
ドイツ映画情報
さっき某ドイツ語番組に、「ヒトラー、最後の12日間」の宣伝でブルーノ・ガンツが出ていた。ほんとにおじいちゃんになってるー。ドイツ語喋れるようになるといいですねー、みたいなこと語っておられました。大阪は7月30日から梅田ガーデンシネマでやる模様。忘れないようにしよう。
あと、「青い棘」という映画もおもしろそう。1920年代のドイツの若者を扱ったものらしい。上映するのかな?? あ、オフィシャルサイト発見。上映は秋ですか。
、、、うーむ、妙になまめかしい感じが、、、耽美系か?
映画
「エグザイル・イン・サラエヴォ」を観た。
予想どおりの重厚な内容だった。記憶の鮮度が落ちないうちにコメントを載せておくけれど、正直、書いたことに自信がないなあ、、、。リアルすぎて重いです。
解説にアルマ・シャバースのインタヴューが載っていて、当時サライェヴォ市民のうちに、「神は存在するのか、存在するとしたらなぜこんな状況を許しているのか」という問いが交わされたと述べていた。興味深く思ったので、メモしておく。