買ってしまった、イオンスチーマー・ナノケア。乾燥する季節ではなくなってきたけど、ネット通販で送料込みでお値段8千円弱、安いかな?と思って、おもいきって購入。水道水より精製水を使ったほうがよさげなので、精製水も買ってきた。
さきほどスチーム初体験。ちょっと匂いが気になったけど、使い初めだしそのうち慣れるでしょう。温かいスチームをぼーと浴びていると、たしかに気持ちいい、たしかに癒される。さて効果のほうはどうだろう。一ヶ月先ぐらいに期待しよう。
これは顔だけでなく、髪にも使うつもり。GW中にデジパをあてたので、髪の痛みが気になるから。こっちにも効果がでるといいなあ。皮膚より難しそうだけど。
今の髪形は、くるくる巻きを維持するために、乾かすときにはかなり手間がかかってしまう。でも、くるくるにするのはなんか楽しいね。
新しい髪形ついでに髪留めも買いに行った。アンティークな雰囲気のある髪留めが気に入ったのでそれを買う。それ以外にも福袋を千円で買った。あけてみると、バレッタとかピンとか飾りつきのゴムとか、使えるものがたくさん入っていて、当たりの福袋だった。合計が1万円強分だったので、ずいぶんおトク感がある。普段定価でちまちま買っているのがばからしくなるなあ。
そんなこんなで、GWは美容特化週間でした♪
「杉本博司展」 at 国立国際美術館
国立国際美術館で開催されていた「ベルギー王立美術展」と「杉本博司 新収蔵作品展」を見に行く。
今回の目的は杉本博司展。ご本人が展示プランに加わられたとのことで、どんな風になっているのかも楽しみだった。
展示の部屋に入ると、広いスペースの壁面をほとんど使っていないのにまずびっくりする。建築空間を模したのか、かなりボリュームのある柱が等間隔で室内の真ん中に置かれている。その柱を一方の方向からみると「建築」シリーズの6点が、他方の方向からみると、「観念の形」シリーズ5点が一列に並んで浮かび上がるようになっている。とにかくプレゼンの上手さに感心した。洗練された空間の使い方を見れただけでも、満足(ただ、「肖像写真」シリーズは一枚しかなくて、それがぽつんと壁面に飾られてあったのは蛇足のような気がした。ま、美術館もせっかくお買い上げになったものだから、展示したかったのかもしれないけど)。
作品の素材は「建築」と「数学」で、有名な建築群と三次関数の数式を立体化した模型が写真に収められている。何度か写真集で見たことあるものだけれど、セッティングされた空間のなかに配置された写真を見るとまた別の趣がある。
これらの作品をみるつどに疑問に思うのが、建築家や数学者がこれらの作品を見ればどう思うんだろう?ということ。・・・でも多分、何も思わないんだろうな。建築家や数学者がみたいもの/みせたいものは、あえて撮られていないから、面食らうといったところか。仏像や骨董品を撮るように数式立体模型や建築群を撮っているから、言うなれば、これらの写真は「コレクション」なのだなと思った。
ベルギー展のほうは、とりたてて目をひくものがなくてイマイチだったかなあ。出口を出たところでベルギー物産展をやっていて、そこでビールグラスを買い込んだ。デュベルのチューリップ型グラスと、オルヴァルの聖杯型グラスね。デパ地下かどっかでベルギービールを買い込むんだ〜と思ったら、今輸入物すっごく高いんだよね、、、結局、「北新地ビール」とかいう大阪の地ビールを買った。これがまたイマイチで・・・。
春感ないね
今日は雨もふりやまず、冬のように寒い一日だった。暖房器具や加湿器もいったんしまいかけたけど、いまだに活躍中。厚めのジャケットやマフラーも今日は必需品になってしまう。おまけに風邪が長引いてなかなか治らず、再び病院に行って薬をもらってくる。アレルギー症状も同時に起こっているようで、どうにもこうにもさっぱりしない状態。桜もいつのまにか散っていたし。・・・嗚呼なんてショボくれた文章。
夜の難波
安くて美味い店ってほんとにあるんだなあ、と思ったのがこの「串かつにしき」。満員であってもおばちゃんが入ってくる客を逃がさないため、次々と席を寄せられぎゅうぎゅう詰めになっていく。調整のための席替えもバンバンやられる。それもまた楽しい。おでん、また食べたいなー。
ヴィタメールのケーキ
携帯カメラで撮った写真から。ヴィタメールのプティ・ガトー。
マカロンは最近のお気に入りで、見かけたら買っている。ヴィタメールのはすごくおいしかった。しっかり甘くて、しつこくない。余韻が楽しめるマカロンだった。ちなみに、フランボワーズとマンゴー、あとはピスタチオだっけ? フランボワーズはリピしたい!
抹茶とチョコレートのケーキ。抹茶とチョコはあわせるのがすごく難しいと思う。香りや味がぶつかり合うのか、口のなかでヘンな味になる。抹茶もチョコも好きだけど、合わせるのは勘弁と思っていた。でもこのケーキはその点をクリアしていてびっくり。チョコレートを押さえ気味にして、抹茶に重点をおいているのかな。これまたしっかり甘いんだけど、抹茶の風味で相殺されてか、重厚な味わいの一品でした。これもまたリピする〜。
あ、ちなみにうしろはチーズケーキ。スフレタイプでやさしい味だった。おいしかったんだけど、抹茶のケーキのインパクトに圧されてしまって印象が薄れてしまったよー。
エスカルゴ料理
近所にあるフレンチ食堂が、最近もっぱらお気に入り。昔からお店を開いていたけど、店主がいったん店を閉じてフランスに修行に行ったとかで、昔よりパワーアップしてるのね。料理に野性味があるというか、淡白じゃないのですよ。
ここはエスカルゴ料理が有名らしいのだけど、エスカルゴってこんなに美味しいんだ〜と開眼してしまった。カタツムリの映像をみてヨダレが出そうになっている自分に、ちょっと待ってそれ違うから!とあわてて理性で打ち消す羽目に。ロックフォールと、カレー味と、きのこと、ガーリックの4種類があって、コンプリートした。ロックフォールのちょっと塩辛いチーズ味が好きで毎回注文するのだけど、カレー味も予想以上にイケる。もともとそんなにカレー風味が好きでもないので、意表をつかれた。もうね、フランスパンに残った汁をバンバンつけてバクバク食べて、メインの料理がくるまでに満足してしまってるのね。カロリーとか気にしてたら味わえないよ〜。そのかわり、晩ごはんは控えめにするけど。とにかく、ここの店に行くときは気合が入る。食べてきたとこなのに、また食べたい。
ケーキの思い出
チーズケーキとガトー・ショコラはわたしの二大・大好きケーキ。作り方も簡単だし、味がシンプルで、重厚にも軽快にもできるところがよい。あたりまえだけど、素材をいいものにすればするほど、味は良くなるものなのね。チョコレートを変えたり、チーズの種類を変えたりすると、味が変化するのも楽しい。あと焼き時間もかなり味を左右する。普段はカロリーセーブのために低脂肪牛乳を使うのだけれど、先日は奮発して生クリームを使った。コクが出てやっぱり美味しかった。
パンもそうだけど、ケーキも、軽くてフワフワしているものより、ずっしり濃厚な味の方が好き。あとデコレーション用の生クリームがたっぷりついているのは苦手。見栄えはいいけどね。好みに関する自分ルールが出来上がると、お店でケーキを選ぶときに、迷わなくなるのでラクチンだったりする。
子どものころのケーキの思い出は、誕生日などに買ってもらうか、友達の誕生日会で食べたくらいで、思い出そうとしてもあまり出てこない。ケーキは存在自体が華やかなものだから、出されるとうれしいんだけれど、食べて美味しいと思ったことはなかった。美味しいどころか、生クリームだかバタ・クリームだかのコッテリ感に、たいてい胸焼けして気持ち悪くなった記憶しかない。まあ、洋菓子屋チェーン店くらいしか、ケーキ屋さんってなかったし。個人経営のケーキ屋さんも似たり寄ったりで、開眼するほど美味しいものって食べたことなかったなー。ケーキってこんなもん、とあまり期待をしなくなった。
まあ、ケーキ屋さんが悪いのではなくて、わたしのなかのケーキに対する好き度が低いってだけなんだけどね。多分、日常とは違うハレの食べ物、という刷り込みがあるのに、食べるとたいしておいしくないという経験の積み重ねが、ケーキのイメージを落としたんだなー。
パフューム
2006年、独・仏・西
監督:トム・ティクヴァ
出演:ベン・ウィショー
レイチェル・ハード=ウッド
アラン・リックマン
小説を読む限りでは限界のある自分の想像力も、この映画は補ってあまりあるほど豊かに小説の世界を表現してくれた。18世紀半ばのパリの下町の活気ある様子、調合師の仕事に必要な道具、橋の上に密集する高層の建物(これが崩れるシーンもすごかった)、匂い立つような美少女たちの容姿など。 何より、最後に主人公が処刑されるはずの広場にぎっしりと人々が集まっている場面は圧巻だった。民衆や司教や裁判官や処刑人等々、この時代の公開処刑が都市の中心部(広場)で催されるエンターテイメント的な装置であることが伝わってきたし、何よりクライマックスの場面でもあるので、すごくおもしろかった。とにかく引用される知の豊かさに酔いしれることができる映像だった。
映画と小説の違いとして一点気になったのが、映画では、自分が無臭の人間であることに気付いた主人公が、匂いを作り出すその類稀なる能力によって、「普通の人間」になろうと努力し、その果てにあの連続殺人につながっていくという部分が今ひとつ描ききれていなかったように思う点だ。
人びとは無臭の人間である彼を忌避しつづけるが、奇蹟を起こす最高の香水を作り出すことで一転して彼にひれ伏する。しかし、最高の香水をもってしても、人々は彼自身を崇めたのではなく、彼の放つ香りの向こうに理想の何かを見つけてひれ伏しただけで、結局彼自身は相変わらず「空」な存在であり続ける。最高の香水ですら、彼にとっては無価値なものでしかない。−−小説を読んだときに感じたこの空虚さ・無意味さは、映像になると、主人公が最後にこぼす涙と追憶によって、どこか人間味や切なさを感じ取れる表現にも思えた。
(2007.03.11)
ついでに。昔書いた書評の再録。
もしも人間に体臭がなければどうなるか。あの人はいい感じの人だとか、いやな感じの人だと判断するとき、わたしたちは普通、その人の容貌や見栄えや服装などから判断しているのだろうか。
パトリック・ジュースキント『香水――ある人殺しの物語――』(文藝春秋、1988年)は「無臭」の男の物語である。無臭の人間とはどういう意味か。ひとに認めてもらえない、それどころか、その存在そのものが人を落ち着かなくさせるために誰からも忌避されるということだ。だから男はずっと一人だった。孤独がなんなのかも分からないくらいに一人だった。
無臭の男は、絶対的な嗅覚をもっていた。かれは匂いで世界を感じ取った。ありとあらゆる匂いを感じ取る嗅覚をもっていた。それで男は香水調合師になった。調合師になった男は、自在に匂いが作り出せた。匂いを操れるということは、つまり、なりたい人間になれるということだった。男は香水をつけることによって、人からどう見られるかどう思われるかを自在に操作できるようになった(だからこの本によると、あの人はいい感じの人だとか、あの人はいけすかない、とか普通わたしたちが視覚的に判断しているような事柄は、実はその人自身の発する匂いで判断していたということになる)。
男は最高の香水を作りたいという欲望をもった。最高の香水は、絶世の美少女の体臭から作り出されなければならないと考えた。最高の香水を手に入れるために男は犯罪に手を染める。天才調合師の手によって作り出された香水の効き目は絶大だった。彼はいまやなろうと思えば、神にさえなれただろう。だがそうはなれなかった。
一切の人間的なつながりをもたずに育った男が、香水によって、人々の好意や悪意を操作することで世界とのつながりをもとうとした。自分が操作するという形で、不器用におずおずと人間世界に入りこんでみた。だが関われば関わるほど、世界は憎しみの対象でしかありえないことが分かってくる。世界との距離を人工的に埋めようとして失敗した男は、世界に呑み込まれるように、この世ならぬ最期を迎える。いや、世界に存在することに倦怠した彼は、自らをその香水によって消滅させてしまうのだ。
最後までこの男が何を考えているのかはよく分からないし、親近感を抱くのも難しい。だが、世界を鼻から知るという設定は奇抜で驚かされるし、読み物としての楽しさを十分に堪能できる作品である。
「パフューム」みてきた
「パフューム」を見てきた。エンターテイメントとしては非常に完成度が高い作品だった。久々に映画の醍醐味を堪能した。原作をもう一度本棚から引っ張り出して読みなおそうかな、と思う。コメントはまたあとでまとめることにする。
話題のマンガ作品で、1巻を買ってみてすごくおもしろいと思い、一般に評価されているだけあるなあと感心するにもかかわらず、2巻目以降買う気にならない、ということが多い。けっしてつまらない作品だったわけではないので、なんでどうでもよくなるのかなあ〜と思っていたのだが、友人から、それは世間の評判にしたがって選んだだけで自分の好みではなかったというだけのことだ、といわれた。ホントそのとおりだわ、とちょっと目から鱗がおちた。
でもそれってストライク・ゾーンが狭いってことなんだよね・・・。
タカラヅカ観劇
関西に住んでいるなら一度は行ってみたいと思っていたタカラヅカの公演に、先日いきおいで行くことになった。宝塚までは遠いと思っていたけれど、大阪からだと阪急で30分強ほどで行けた。意外と近くてびっくり。
見てきた演目は「明智小五郎の事件簿 黒蜥蜴」。江戸川乱歩原作ということで、主人公たちも(おそらく原作には濃厚であろう)頽廃感をにじませたメンタリティをもっている風に描かれていたが、そこはやはり「清く正しく美しく」がモットーのタカラヅカ、あまりに露骨な路線には走れないみたいだ。ただ、舞台にはまったく疎いわたしにとっては、演出はすごく楽しめた。それに、男役の人たちの伊達っぷりはまさに型の美学で、独自の文化だなあとつくづく思った。
劇はおもしろかったのだけれど、そのあとのショーは、なんか盛りだくさんで食傷気味になってしまった。途中で寝てた。でも最後のどデカイ羽をしょって、吉本顔負けのギラギラスーツとドレスで主役の人たちが歩み出てくるのは、これぞまさしくヅカ!な場面で、面食らうけどおもしろかった。