桜、桜・・・
桜がきれいに咲き誇っていた。毎年この時期には桜も散り始めるころなのに、寒さが長引いただけあって、咲き始めも遅かったようだ。ちょっと意表をつかれた気がする。春の真打登場です。おもえば今年は、沈丁花も白蓮もコブシもいまひとつ咲き方に勢いがなかったので、桜の存在もなんとなく忘れていた。今週末にお花見の予定が入っているけど、風が強くなければいいなと思う(花粉症気味だし、コンタクトだし)。
「エターナル・サンシャイン」を見てきた。映画館がどこにあるのか忘れるくらい、映画から離れていた。三月忙しかったものね・・・。売店のところからキャラメル・ポップコーンの匂いがおもいっきり漂う。あの匂いは嫌いじゃないけど、隣にすわった人があれを食べていたらちょっといやだなあ。ともあれ、「エターナル・サンシャイン」だけど、おもしろかった! すごくトリッキーな映画だった。近いうちにコメントをアプする、すべき、しなければ。いや、あまり気負うほどのものではないんですが。
お買い物
おいしいチョコレートを求めて三千里、というわけで、昨日はVillarsのブラックチョコレート、カカオ72%を購入。まだ封を切っていないけど、このチョコとの相性はどうでしょう。この間、いろんなメーカーのを食べたけど(名前忘れた、フランス語系)、Guborのチョコレートはなかなかおいしかったです。お値段高めのチョコレートを買うと、ちまちま食べ・ちょこっと食いしなくてすむからいい。あくまでも個人的な効用ですが。
それから、ハーブティも紅茶も切れていたので、毎朝用の安い茶葉とカモミールを買う。いちばん早く切れるのはいつも珈琲。珈琲>紅茶>ハーブティ>日本茶という具合に消費量が減っていくようだ。
あと、チーズケーキ・ファクトリーのチーズバーもまたもや買ってしまう。最近ハマっている。チーズクリームとサワークリームで作られてあって、味が濃厚で珈琲と合うんだよね。形もシンプル。スティック状なので、手軽に食べられるところもヨイ。オレンジピール入りのより、断然シンプルなチーズバーのほうがおいしいと思う。
あと、この冬履きつぶしたルームシューズを春用に買い替える。サイドをボタンで留める形で、ボテッとしたバレエシューズみたいな形。畳の部屋しかないのにルームシューズ。部屋の雰囲気とわたしの存在が合っていない気もする。めちゃくちゃだけど、やっぱ足元寒いしね。
バージョンアップ
三月から本の整理をはじめ、デスク周りをずっと整理していて、PCも新しいものに替えた(といってもお古だけど)。スクリーンセーバー、壁紙、アイコン、メイラー、ぜんぶ新しいものに入れ替える。Firefoxを使っていたわりには、メイラーは惰性でまだbeckyを使っていた。このさいThunderbirdに替えてしまう。まだ途中だけど、アドレス帳もブックマークも整理するつもり。リンク切れも多いし、カテゴリーも考えなおしたい。筆記すべきは無線LANを導入したこと。ぐちゃぐちゃになっていたコード類がスッキリして、これは精神衛生上かなりヨイ。
デスク周りがきれいになったら、つぎは自分をキレイにするぞ〜と、春用コートを購入。トレンチが流行っているっぽいので、トレンチを探してお店をはしごする。何着か試着したけど、色がいまいちだったり、襟のデザインがいまいちだったり。結局、シンプルなベージュのロングコートを買った。無難な選択だけど、服を選ばないデザインなので末永くお付き合いできるはず。ハンガーにかけて飾ってある新品のコートを見ると、沈んだ気分も吹っ飛ぶというものよ。
それから美容院にいって髪型を変える。まだ今のままでもいいかな、と思っていたんだけど、気分を変えたいというノリで髪形を変えた。新しい服は気分が高揚するけど、新しい髪形というのは馴染みがなくて、(やめときゃよかった・・・)と後悔することが多い。思えば昔からそうだった。数日たてば馴染むと思うので、それまであまり鏡はみないことにしよう。
春先はなにかと気分が沈みがちになるのだけれど、周囲と自分をバージョンアップすることで乗り切りたい。いうならば、アタシがキレイならそれでいいの!というノリです。でも、買い物依存症にならないようにしなきゃね。
・・・さっきhotmailをチェックしたら、これまでのメールがぜんぶ消去されていた! えー信じられない、30日以上ログインしていなかったっけ? そりゃ忙しかったけどさ、ここんとこ。hotmailむかつく、なんなのあの高飛車なシステムは〜。
字体のはなし
紙や本の整理をしていると、だんだんイライラしてくる。本の帯がちぎれたり、硫酸紙が破れたり、はさんである広告の紙や栞がバサバサ落ちたり、とにかく、イラッときたら即行ゴミ箱に捨てる。それから手や指に細かい切り傷がいっぱいできる。お風呂に入ると痛いくらい沁みて、こんなに傷ついているのかと溜息をつくくらい。お風呂上りにハンドクリームを塗って手当てをするけど、とくに指先のガサガサはなかなか治らない。 だいたい、指紋の彫が浅いのか、一枚一枚紙をめくるのも苦手なほうで、ハンドクリームはあちこちに常備している。今回は、ハンドクリームの減りが著しい。紙は潤いを奪っていくものらしい。気分のささくれだつ要因はほんとにたくさんある。
ところで、本棚をさらっていると、昔の自分が書いたノートもたくさんでてくる。あまりじっくりみてもいないけど、字体って同じ人間でも変わるものなんだなあと妙に感心している。最近はもっぱらPCで書いてプリントアウトだから、字を書くこともめっきり減ったけど、それでも、今書く字体と昔の自分の字体は、見た印象がずいぶん違う。筆跡の鑑定者がみると、同一人物の手と判断するのかもしれないけど、性格診断とかは違ったものになるんじゃないだろうか。
本の整理
ひきつづき、掃除の話。
本棚をひっくり返していると、梅棹忠雄氏の有名な『知的生産の技術』がでてきて、ついつい読みふけってしまった。だいぶ昔に買ったようで、読んだ記憶はあるんだけど、読んだだけだったんだと思う。あらためて読み直してみると、とくに第5章の「整理と事務」など、今まさにわたしが求めていることだーと、妙に感動してしまった(よーするに、紙の山をどうするのか、どこに何があるのかちゃんと把握できているのか、という問題)。
本棚の整理も、この本を読んでもういっぺんやりなおして、背表紙がそろっているとかいう見栄えにこだわらずに、テーマごと、著者名ごとに並べ替えてみた。ぐちゃぐちゃだけど、なんとなく賢そうな本棚になった。でも「本を横にしてはいけない」という提言を守るのは難しいなあ。世の中の蔵書家に比べればぜんぜんたいした量じゃないんだけど、それでも、見やすい・取り出しやすいを優先すると、本棚のスペースがあっというまに足りなくなる。結局、すきまに本を押し込んでいる。
ともあれ、この本も、前に読んだはずなんだけど、あまり内容を覚えていなかった。自分の必要性がなければ、本の内容も生きてこないものなんだなあと思った。本自体は家庭内コンピュータが一般化する前の時代に書かれたものだけど、カード式の記録の話なんて、コンピュータにダイレクトにつながる話ではある。でもこの本を読んでいると、自分がいかにコンピュータなどいろんなスキルを使いこなしていないかがよく分かる・・・。
お片付け
雪のちらつく寒い春の一日、花粉症を気にして窓もほとんど開けず、本の処分にあけくれた。でもため込んでいるのは本だけじゃない。服もあるし、葉書・手紙類もあるし、写真・ネガの類もあるし、よくわからない雑貨もたくさんある。とにかくあまり考えずにガンガンすてる。年末のときに大掃除をしていなかったから、ほんとにたくさんゴミ袋ができた。
去年祖父が天寿まっとうで亡くなったのだが、独り住まいで跡継ぎもいないので、家そのものを処分した。とにかく大変だったと母から聞いた。物が多すぎて。おすそ分けということで、ものすごく古い石鹼とか、カチカチに固まった洗剤とかもらったのだが、こういう日用雑貨もやまほどあったらしい。
どれだけ自分が愛着をもつ品でも、死んでしまえば、人からすればただのゴミの山だよなあとつくづく思った。生きている間から死人のように暮らす必要はないんだけど、適度に物は処分しながら溜め込みすぎないようにするほうがいいと思うようになった。服は一着買ったら一着処分するとか、数年使っていない/着ていないものは処分するとか。自分なりにルールを決めて実行していこう、とゴミ袋の山をまえに誓った(反省した)。
本の処分
ひとつひとつはたいした分量ではないけれど、数・量がふえるととんでもなく圧迫感を増してくるのはなーんだ? そうです、答えは紙です。本・雑誌の類にプリント・資料の類。ついつい机のなかだの本棚の奥だのにつっこんで、そのまま何年も放置してしまう紙の束。ときどき本棚の底が抜けたり、床が抜けたりするくらいには重量を増してしまう紙の山(つい最近珍事件がニュースになってましたね)。気がつくと、快適な生活からもシンプルライフからも遠くかけ離れてしまい、過去の自分の集積とともに生きている生活。こんな生活はいやだーと最近とみに思う。というわけで、現在、掃除モードに入りつつある。
今回は思い切って処分の方向で考えている。問題はその処分の基準。自分なりにいくつか基準をつくってみた。
1.雑誌は捨てる。
特集がいいと思って取っているんだろうけど、今なっては古くなってて、懐古的価値しかない。あたりまえか。おまけに雑誌の切抜きとかスクラップとかも結構あるんだよねー。昔の自分ってほんとヒマだったのだな、と思う、、、てゆか、基本的に捨てられない性質なのね。
2.文庫本は選別して処分。
a.いっぺん読んだ、でももう二度と読まないであろう本
b.現代作家の本。存命中が基準。
c.古本で手に入れた本、装丁がぼろぼろになっている本。
逆に捨てられないものって、この作家には愛着を感じると勝手に自己呪縛しているやつだなあ。もう二度と読まないだろうに、それでも捨てられない本たち。いずれもっと圧迫度が増せば、この自己呪縛も解かねばならないときがくるかもしれない。
3.マンガも選別して処分。
マンガはできるだけ買わないようにしていたのだが、それでも増えている。しかも愛着があるものしか買ってないから、捨てられない! 文庫本より捨てにくいことが判明。うう〜。
4.辞書の類も捨てる。
とくに、かぶっているやつね。ドイツ語の辞書なんて、わたし何冊もってるの? 独日、英独、独独、、、ほとんどCD-ROMの辞書しか使ってないってのにさ。広辞苑もある。でも国語辞書はネット辞書しか使ってないし、ここ数年、広辞苑開いたことないぞ。捨てよっかなー。六法全書もあるなあ、これもいざというときはネットを頼ることにして処分するか。
残るはハードカバー系。これはちょっと厳しい、処分基準も難関コースだ。圧迫度しだいで検討することにしよう。それより、問題はどこに捨てるかだ。
1.ゴミとして処分。
2.叩き売りでブックオフ。
3.アマゾンにだして気長に売れるのを待つ。
1、2あたりが現実的ですかね・・・。アマゾンも買うばかりで、売ったことないしなあ。これってどうなんだろう。掘り出し物的なものはネットにあげたほうがいいのかなあ。しかしそれを判断して選別するのも面倒だなあ。うーん、とにかく、ちゃっちゃとやってしまおう。
食な話
東京みやげに虎屋の懐中もなかをいただく。懐中もなかって、食べるのはじめて。ワクワクしながらお湯を注いで作ってみた。瞬間的にもなかの皮の部分の香ばしい香りがして感動したんだけど、ふやけた食感がイマイチ。それよりなにより、おしるこが甘すぎる! 餡の風味はたしかに旨いのだが、甘すぎるので、あとからあとからお湯で割って食べた。これって一個で二人分ってことないよね? 老舗の味とかいうので、砂糖多めの昔基準の甘さなんだろうか。
散歩ついでに本屋によったら、『あまから手帖』にうちの近所がプチ特集されていてびっくりした。たしかにこの近辺は旨い店が集中しているし、物価は安いし、商店街は活気があるしで、ヘタに街中で食べるよりずっと安くて美味しいのが食べられる。今日は新しいお寿司やさんが開店していた。おいなりさんが美味しそうだったので、今度買ってみようっと。ファーストフード、チェーン店系居酒屋はこなくていいけど、こじんまりとがんばるお店はぜひもっとたくさん来て欲しい。でも個人的には、もっとおいしいパン屋さんがきてほしい。パン屋ケーキ屋系の舶来系粉物はイマイチなのよね・・・。
最近どこのスーパーでもお酒を買えるようになった。便利になったけど、小売の酒屋さんは大打撃だろうなあ。ビールの量販では太刀打ちできなくなるだろうから。いつも買っていた酒屋さんものぞいてみると、日本酒特集コーナーを急遽作って、ヴァリエーションで勝負しているようだった。そうするしかないだろうし、こっちとしても種類が豊富なほうが選びがいがあっていい。つぶれないようにがんばってほしい。