友人と梅田で待ち合わせた。早めに行って買い物しようともくろんでいたけど、ぐずぐずしていてあっというまに待ち合わせ時間になってしまった。茶屋町に大きな雑貨屋ができていたのに、素通りになってしまう。残念。でも古本屋さんでスピノザの『エチカ』を半額で購入。当分積読になりそうだけど、新品同様だったのでうれしい。
友人とは梅田の某エスニック料理店で夕食を一緒にした。夜景が見れて良い席だったんだけど、ここの店はどうも好きになれない。居酒屋に文句をいっても仕方ないけど、料理の作りがぞんざいだし、店員の態度も雑。お子様むけだ。
この友人と会話をはじめたのはいいけれど、いきなり、バイト程度でロクに社会に出て働いたこともないわたしは「世間をしらない」ヤツなので、一度社会に出て働いてみるほうが人間的にマトモになる、みたいなことをいわれて面食らう。この手のことをいわれるのは初めてではないけれど、そういうことをいう人の「世間」って何?みたいに思う気持ちもあって、とりあえず反論する。でもこの「反論」がまた、ロクに「コミュニケーション」もできない「世間知らず」の印だというふうになって、わけがわからない。
結局彼女は、仕事上つきあいのある役所関係の人間が非常に横柄なのに腹をたてているらしく、そういうのを全部「世間をしらない」という形で解釈しているようだった。ロクに人に頭をさげたこともないわたし(そんなことはないのですが)も同じ「世間知らず」なので、こっちに矛先が向けられていたんだと思う。現場のことをしらないわたしは、現場で苦労している人間の気持ちなど分かるはずもない、と。そりゃそうだけど、じゃあ「世間」を知っているあなたは、別の(もっと条件の悪い)労働環境で働いている人たちの気持ちが分かるんだろうか。自分の置かれている立場やものの見方から、世界はそれぞれ異なったように現れているだろうし、話をすることでお互いにそれを「知る」しかないんじゃないんだろうか。
「議論」になるような話題をふっかけられて、「議論」しようとすると、「議論」しようとすること自体がわたしの主張を裏付けている、みたいにいわれたら、正直面食らいます。でもまあ、彼女とはそのあとも4時間くらい話をしていて、お互いが何を考えているかとか多少なりとも知ることはできたんだ、と信じたい。現場の人のはなしを聞くのは、わたしは大好きなんだけどね。
ただ、わたしは自分が「世間知らず」であることは客観的にみればあたっているので、わたしと話をする人のなかにはこれからもこういう言い方をする人がでてくるんだろうな。相手がどうでもいい人だったら、「そうですね」で終わらせるんだけど、ちゃんと付き合いたい人だと、どうしても減らず口がでてくる。でも、口当たりのいいコミュニケーションに終始するような人とだったら、忙しい合間をぬってでも会いたいとは思わない。だからこの友達とは、また会うと思う。