Soraris
1972 年 ソ連
監督: アンドレイ・タルコフスキー
出演: ナタリア・ボンダルチュク
ドナータシ・バニオス
ユーリー・ヤルヴェト
スタニスラフ・レムの原作は読んでいないので、どこまでがタルコスフキーのオリジナルなのかは分からない。ただ、かなり難解な映画だ、とは思う。
以下、ストーリー紹介とかなり長めのコメント。
某国において、惑星ソラリスを研究するというプロジェクトがあった。だが、ソラリスに向かった熟練飛行士や科学者がおかしくなってしまうという問題が起こり、地上では、このプロジェクトにこれ以上予算をつぎ込むべきかどうかが議論されていた。ソラリスの〈海〉が高度な知性をもっているのではないか、という仮説はすでに唱えられていたが、それは実証もされなければ否定もされないまま、ただ年月だけがすぎていた。宇宙コロニーに現在残っているのは3名の科学者だけ。主人公のクリス・ケルビンはこの計画の中止を伝える者としてコロニーに送り込まれる。
クリスはそこで、荒んだコロニーの内部とスナウトやサルトリウスの奇妙な行動にとまどい、友人だったギバリャンが鬱病のために自殺したことを知る。彼はクリスに「これは幻覚ではない。良心の問題だ。わたしは自分で自分を裁く」という謎めいたメッセージを残していた。コロニーには彼ら以外の存在がいた。クリスのもとにも、死んだ妻〈ハリー〉が現れる。ソラリスの〈海〉が、人間の心の奥にあるイメージを具象化して送り込んでくるというのだ。
最初にクリスがとった対応は、〈それ〉を宇宙空間に追い出すというものだった。彼は冷静に科学者として行動する。だがそれは無駄な行為だった。なぜなら、〈それ〉は異質な生命体などではなく、自らのうちに潜む「良心の問題」の具象化だったからだ。つまり、クリス自身が抱え込んできた問題を解消しないかぎり、〈それ〉は何度でも現れる。
科学者たちは自分たちの使命として、ソラリスがもたらすこの現象を解明する義務を負う。けれどもこの現象は、科学者個人の「良心」や「罪」に関わるものが具象化するという形で現れている。科学的義務が道徳の問題に交差してしまうために、かれらはきわめて深刻な精神的危機にたたされていた。この問題に対して、サルトリウスは科学者としての自分を全面に押し出し、〈それ〉を研究対象としての単なる異質生命体と見ようと努める。スナウトは科学的義務と良心の具現の狭間に立たされて、混乱と憂鬱のなかに引きずり込まれている。ギバリャンは、良心の呵責に向き合い、そして己れを恥じて自殺する。
クリスは〈ハリー〉を前に、ギバリャンと同じ、「良心」に従う道を選ぶ。10年前に妻は自殺した。彼は自分では気づかないうちに、彼女を追い込んでいた。おそらく、ハリー自身の神経過敏さ、クリスの少しばかりの冷淡さ、妻と母との関係がうまくいかなかったことなど、ちょっとしたひびが重なって、最悪の結末にまでいたってしまったのだろう。
クリスは目の前の〈ハリー〉をもう一度愛そうとする。異質な生命体ではなく「妻」として。〈ハリー〉は、彼の「罪」を告発しにきたものにも、それを赦すものにもなりうる。ギバリャンは己の罪に耐えかねて自殺した。だがクリスは妻との関係を再構築していく。かつてなら見捨てたであろう妻の発作的な行動をも、心の底から見守ろうとする。彼の贖罪ともいえる行為は、〈ハリー〉に人間としての命を与え、クリス自身にも新しい命を吹きこむ。奇跡が起こった、といえるのかもしれない。〈海〉とのコンタクトが成功し、「ソラリス問題」は一応の終結をみる。
クリスはソラリスの〈海〉を見ながら、「人間は自分や家族を愛することはできても、人類を、地球を愛したことはなかった」と呟く。ソラリスの〈海〉の混沌とした渦を前に、クリスは「人類愛」のむずかしさに思いを至らせる。
結局、ソラリスの〈海〉が表象しているものは何だったのか。われわれに「謎を投げかける」ものというしかないだろう。科学という知のレベルを超えて、人間の存在そのものに、あるいは集合体としての人類そのものに「謎」を投げかけてくるものだ、と。そしてその「謎」とは、ソラリスの〈海〉が知りたがったこと、つまり、人間の「良心」に関わる領域に潜んでいるのだ、といえるかもしれない。
(December 20, 2001)
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