ゼロ・シティ

Zero City
1990年 ソ連
監督:カレン・シャフナザーロフ
出演:レオニード・フィラトク
オレーグ・バシラシビリ
ウラジーミル・メニショフ
 不条理な作品といわれるものは多々あるが、その「不条理さ」がどの程度のものであるかは、現実の社会の混乱度を如実に反映していると思われる。
 シャフナザーロフ監督の「ゼロ・シティ」は1990年の作品である。1991年のソ連崩壊直前の発表で、すぐに国が消滅したということになる。とにかく、ソ連末期の相当な混乱状況のなかで制作されたのだろう。この事実を念頭におかなければ、理解の手がかりがないような映画である。
 社会の腐敗や混乱を風刺しているとか糾弾しているとか、そんな風にいえるようなエネルギーすらもはやなくなっていて、みんなわけのわからない世界に振り回されている。主人公のヴァラーキン(レオニード・フィラトフ)はこの世界からいくら逃げ出したいと思っても、そんな彼の意志などおかまいなしに、泥沼にはまっていくように、ナンセンスな状況にからめとられていく。
 仕事で訪れた事務書の秘書は、なぜか素っ裸でタイプライターを打っているし、レストランに入ると、デザートとして自分の首のケーキが運ばれてくる。給仕が首ケーキに頭からさっくりナイフを入れて、頭4分の1を切り分けてくれるの見て、ヴァラーキンは人並みに抗議するが、逆に、ケーキを食べないとこれを作ったコックが自殺すると脅される。ふざけるなと席を立とうとすると、例のコックがいきなり後ろでピストル自殺。しかもこのコックは、かつてこの町ではじめてロックンロールを踊った人物であり、そこには陰謀らしきものが隠されていて、ヴァラーキンはコックの息子として町のロックンロール大会で挨拶することになる……とここまで読んで、何を言ってるのか分かる人はいないでしょう。
 わたし自身、連日の疲れがたまっているせいか、ついついロシア語睡眠学習をしてしまい、ストーリーを見失ってしまっていた。もう一度巻き戻して見るんだけど、巻き戻してもこれがぜんぜん分からない。もう電波系映画だから仕方ないと、途中であきらめた。
 ヴァラーキンの首ケーキもすごかったけど、彼が町から逃げ出そうとするなかで、森の中の郷土博物館に行き着いてしまうシーンがある。この郷土博物館がすごい。地下25メートルくらいのところまでわざわざ下りていくと、蝋人形(まさかホンモノの人間?)で見る町の歴史という企画が展示されている。どれもこれも「オイオイ」てかんじの作品だけど、一番最後に出てくるのは絶句モノだ。等身大の人形が三層になって、しかも2台並んで高速回転している巨大な謎の物体を見たときは、思わず心のなかで「ハラショー!」と叫んでました。これは必見かも。
 話の展開はとにかくワケがわからないけど、このナンセンスさは、ある意味つきぬけたものがあって、あっけらかんとしているとも思った。最後に主人公はボートに乗ってとにかく脱出を試みるんだけど、どこに行くのかはぜんぜん分からない。先行きがあまりにも見えないと、「なるようにしかならん」とふっきれるのかもしれない。


se