フィツカラルド

Fitzcarraldo
1982 年 西独
監督: ヴェルナー・ヘルツォーク
出演: クラウス・キンスキー
クラウディア・カルディナーレ
ホセ・レーゴイ


 「アギーレ」につづき、今度は「フィツカラルド」について。ストーリーは、南米のジャングルにオペラハウスを建てるという夢を抱いた男の話。オペラハウスに必要な資金を集めるため、フィツカラルドは、金になるゴムの木を求めて未開の土地探しに乗り出す。そのために購入した巨大な船が、アマゾン川の支流を昇っていく。姿を見せない原住民の威嚇の音楽が暗い川面にこだまするなかで、フィツカラルドは蓄音機からオペラを流して対抗する。これだけでもかなり異様な光景なのだが、その後、「船が山を登りだす」というトンデモナイ場面にでくわすのだ。
 フィツカラルドが、支流と支流を結ぶ陸のラインを船で乗り越えるという計画をたてたから、というのがその理由なのだが、山の木々を原住民に伐採させ、ダイナマイトで土地を平らにし、木々を組み立てて巨大な船をひっぱりあげる装置を作り出し、無数の原住民を使ってその装置の歯車を回していくシーンを大画面で延々観ていると、アタマのなかがぐるぐるしてくる。
 メイキング・オブにもなっている「キンスキー、わが最愛の敵」を見たとき、この部分はほんとうに船が動かず、スタッフが監督に見切りをつけ監督は2週間孤立したというエピソードになっている。そういうことを知ってしまうと、映画のほうも、もはや一種のドキュメンタリーとしてみたほうがよかろうと思ってしまう。
 話を元に戻すと、船は山を登り、フィツカラルドの計画は最大の難関を突破する。だが彼の計画は結局のところは失敗してしまうのだ。彼に船を売った男にフィツカラルドは次のような謎めいた話をする。ナイアガラの滝を見てきた人間が、故郷に帰ってナイアガラの滝のことを人に伝えようとするが、誰も信じてくれない。証拠は?と聞かれてその男は、私がそれを見たことだと答える――フィツカラルドはこういう話をして、それから、本来実現しようとしていたオペラ座をあきらめる代わりに、ただ一回限りの水上オペラを上演して、沿岸から歓声をおくる人びとにオペラを聴かせるのだ。
 彼があの航海を通じて「見た」ものは何だったのか。運命だったのか、崇高さだったのか、神だったのか、人間のちっぽけさだったのか――彼が何を「見た」かは、わたしたちにはつまるところは分からない。だが、彼はそれを一回かぎりの水上オペラという形に変換して、人びとに何かを投げかけるのだ。
 アギーレの語る言葉は人びととの一切のつながりをもたない性質のものであり、それゆえに彼は「狂気」を体現していた。ジャングルにオペラ座を立てるという夢を抱いたフィツカラルドもまた狂気すれすれのところにいる。だが、彼は最後にもう一度、世界に向かって何かを投げかけるのだ。この点でアギーレとフィツカラルドはまったく対照的な姿を見せている。つまり、世界との断絶を表象していたアギーレとは対照的に、フィツカラルドはもう一度、世界とのコンタクトを結ぼうとするのだ。船上オペラが上演されるなか、観客は彼を喝采で迎えて、映画は幕を閉じる。
 観終わっての感想。ヘルツォークという監督は、理性とファナティックさが同居していてなんだか得体の知れない人物なのだが、この二本の映画にはかなり魅了されてしまった。
(Sunday, April 30, 2001)


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