アルヴォ・ペルトの「ARVOS」というレコードを持っている。これが好きでずっと聴いていた時期があった。でも、どこになおしてしまったのか分からなくなっていた。天袋を探し回ってやっと見つける。なつかしい。レコードをかけて、ああそう、こういう音だった、と記憶が戻ってくる。同時に、このレコードの存在を忘れていたのに、とつぜん、再びこれを聴いてみようと思った自分が不思議にもなる。
昔このレコードを買ったときは、わけもわからず、宗教音楽っぽいミニマル・ミュージックとして聴いていたけど、今これを聴きなおすと、自分の関心の流れからして、必然的にここに戻ってきたのかな、とも思う。
アルヴォ・ペルトは1935年生まれのエストニアの作曲家で、80年にオーストリアに亡命。60年代には東方教会の聖歌に〈啓示〉を受けている。音楽的なことはわからないけれど、彼の音楽は〈祈り〉に近い、という印象をうける。神を賛える聖歌に作曲家の固有名詞が不要なように、ペルトの音楽も「アルヴォ・ペルト」という固有名詞をもちながら、ほとんどその「名」は消失してしまっているかのようだ。
「悲しみ」や「苦しみ」といったものが、ペルトの音楽には織り込まれている。聴いてると、心が静まりかえっていくような気がする。シモーヌ・ヴェイユの文章を想いだす。彼女の文章は、彼の音楽と根本的なところで共鳴しているのではないかとおもう。ヴェイユはいう、「ただわたしたちの悲惨が、神を映す影である。わたしたちは、自分たちの悲惨をじっと見つめれば見つめるほど、神を見つめていることになる」(『重力と恩寵』、ちくま学芸文庫、201頁)、と。わたしは特定の宗教の信者ではないから、「神」という言葉をたやすく使うことはできない。けれども、「悲惨」を「悲惨」のままに捉えようとするヴェイユの態度には、強く心を揺さぶられる。
24日、たまたまつけたテレビで、NEWS23が「幸福論/戦争論」の特集を組んでいた。よくできた特集だったと思う。「自爆テロ」を取っ掛かりに、パレスチナの自爆者の家族にインタヴューするところから始まり、パキスタンのイスラム原理主義者の学校でコーランを読むこどもたち、アメリカの白人中流階級の家族、アフガニスタンの国内難民、そして最後に、一筋の希望として、ユダヤとアラブのこどもたちが対話を重ねる試みが、順番に紹介されていた。
9・11のテロ事件は、この世界が20世紀から遠く離れてしまったかのような印象を与えたけれど、ペルトやヴェイユら20世紀が残した作品は、今のこの状況にまったくそぐわなくなった、などとはとてもいえない。その逆ではないか、とも思えてくる。もちろん、彼女/彼らの作品に接したところで、なんら「答え」が与えられるわけでもない。ただ、歴史を通じて、同じような「状況」がくりかえし起こり、「問い」がたてられてきた、ということに思いを馳せることができるだけだ。なぜこれほど悲惨なことがわたしちに降りかかるのか、なぜこのような苦しみがわたしたちに課せられるのか――。有史以来、おそらく人間は、「悲惨」や「苦しみ」に対して、その「意味」を必死に考えてきたのだ。
そして今、9・11をめぐって、さまざまな物語がひしめいている。アメリカの物語、パレスチナの物語、イスラエルの物語・・・。
物事に対して理由を与えるということは、それを解釈し意味を与えることで、自分たちの内部の物語に回収することである。苦しかったこと、悲しかったことに意味を与えることで、それは意味ある「苦しみ」「悲しみ」となる(たとえば、かれらの死は無駄ではなかった、という語り方)。
けれども、意味などけっして与えられない「苦しみ」がある。物語に回収などされえない「悲しみ」がある。それに触れた者ができることは、もはや〈祈り>でしかないのではないか?
ヴェイユは、苦しみの理由はときあかすべきではない、という。ペルトの音楽も、けっして「癒し」と捉えるべきではない。
2001年のクリスマスに。そして、2001年をふりかえって。
(25.dez.01)