「GO」

 なんだか久々に日記です。
 といっても、あまりに殺伐とした日々なので、書いても愚痴しかでてこなさそう。愚痴は書いてもつまんないので、他のネタで。
 ・・・といっても、たいしたものがでてこない。日記を書くのも勢いがいるってことだろうか。
 そういえば、昨日テレビで「GO」(行定勲監督)を観た。帰ってきてお風呂入ってテレビつけたらやっていた、なので、残念ながら途中から。でも途中からでもぜんぜん気にならないくらい、映画のなかに入りこめた。杉原(窪塚洋介)が桜井(紫咲コウ)と出会うあたりの前くらいから観たのかな。花魁の高尾(だっけ?)の落語を重ねながら、クラブのなかで桜井を登場させる演出が、けっこうおもしろかった。前半もまたきちんと見たい。
 不思議系美少女の桜井が、杉原を自宅に呼んだ時、桜井のお父さんが出てくるんだけど、映画のなかではこの父親がいちばん気持ち悪かった。自分がどれほど特権的な位置にいるか考えたこともないエリート臭さが漂っておりました。まあ、考える必要がないっていうのが、「特権」なんだけどさ。後半の伏線には、十分なっていたけれど。
 桜井が、在日だとうちあけた杉原を「血が汚い」と拒絶するシーンは、とても重要な場面だろう。それまで互いに下の名前を教え合っていなかった二人が名前を教えるシーンで、あまりにも日本人すぎる名前だから教えたくなかったという桜井に対して、杉原は、あまりにも外国人すぎる名前で教えたくなかったといいかえす。
 言葉は傷つけあう道具になってしまうけれど、そうしてはじめて、次のステップがみえてくる。もちろん、見えてこない場合もあるけれど、それでも、「何も知らない」よりはずっといい。言葉を交わせる距離にまで近づいて、やっと目に見えない境界線があるということに気付ける。映画のなかだけの話じゃないね。
 映画の主張がストレートすぎて、わたしとしては面食らう部分もあるけれども、この分かりやすさは今の時代状況には必要だと思う。重くなりがちなテーマだからこそ、エネルギッシュにスマートに物語られるほうがいい。