先週、京都にカンディンスキー展を観にいった。
カンディンスキーという人物はなかなかクセがあって、そう簡単に解釈させてくれない。無謀を承知で以下感想など。
カンディンスキーはもともと国民経済学とか勉強してる学者で、30歳すぎたあたりで絵描きになろうとしたらしい。学者肌ももちあわせていたせいか、彼のミュンヒェン時代の作品は、芸術を科学化しようという試みに見える。もしくは絵画で表現した「芸術社会学」? 人物や風景のもつ具象性をひたすら純化していくことで、対象のもつエネルギーや本質を浮かび上がらせる、ということか。20世紀初頭のドイツは、社会科学や人文科学の領域においても、自然科学に負けない科学性が追求された時代だから、その知的ムーブメントにカンディンスキーも位置づけられるだろう。
ただ、理論に走ればモンドリアンやデ・スティル方向の抽象絵画になるんだろうけど、カンディンスキーはそういう方向に行くわけでもない。彼らよりもう一枚二枚上手のところで思考していたのではないかと思わせる。彼の作風をあえていうならば、「永久に停止しない」ことではないだろうか。晩年にいたるまで、スタイルの確立はない。あえてそれをはぐらかし、ずらし続けていたように思える。
バウ・ハウスという工業製品化に熱中する人々のなかで教鞭をとりながら、カンディンスキーは絵画での表現に徹する。あたかも物理学に対する数学のようなものとして、絵画を想定していたのだろうか。けれども、そういいきってしまうのも自信がない。彼の絵画に現れるロシアの息吹はどこか土着的で神秘的で、ついつい、ドイツ・ロマン主義とロシア神秘主義の混在した要素にひきずられてしまうからだ。かといって、彼は、ロマン主義や神秘主義に傾倒しきった人物にもみえないのだな。このあたり、ほんとうに一筋縄ではいかないと匙を投げたくなる。
モスクワへの愛着を抱きつづけたカンディンスキーにとって、1905年革命、1917年革命の政治的激動が彼の人生に深く刻み込まれていないはずはないだろう。けれども、その困難さを、ダイレクトに絵画に表すような素直さはない。革命や戦争という一瞬で世界が変わるような体験をし、西から東へ、東から西へと亡命をくりかえした、そんなカンディンスキーという人物が見た人間世界は、極限にまで分解されることでしか表現できないものだったのか。彼の作品をみていると、20世紀という時代に人間がたどった運命を、あらためて考えさせられる。
ともあれ、「コンポジシオン」シリーズとモスクワ時代の作品が見れて満足している。ベルリンの美術館とミュンヒェンのレンバッハ美術館には足を運んであるので、これで彼の有名な作品の多くを生で見ることができたかなと思う。
(05.Jul.02)