アフガンへの空爆のあと、「次はイラクだ」といわれつづけてきたけれど、とうとうそれが現実化するようだ。
大きく感じるのは、国際社会の構造が変動しつつあるということ。1990年代の冷戦崩壊後の世界各地の混乱を経て、やっと世界秩序のあり方がくっきり浮かび上がってきたように思う――それもものすごく不気味な形で。国連を中心に、国際社会に「法の支配」を根付かせるという継続的で忍耐の必要な試みがほとんど風前の灯となり、「剥き出しの力」と「問答無用」的議論軽視病が勝利をおさめつつある。国際社会がマフィア化している。
政治というものは、経済的な利権や軍事的・地勢的な支配戦略など具体的な利害がからまりあっているものだけど、理念的な支えというものも無視できないだろう。ラムズフェルトらネオ・コンサバティヴを基軸に、アメリカの「普遍的にして絶対的な価値」たる「デモクラシー」を世界に押し広めるというという意志が、今のブッシュ政権の理念にあたるだろうか。
ところがデモクラシーは、根本において「力は正義ではない」というレトリックをもっている。人民の同意を正当性の根拠におく政体であり、その正当性にもとづいて法を形成するわけだから。もちろんこれはつきつめれば「レトリック」であって、デモクラシーを成立させる「力の一撃」は巧妙に隠蔽されている。しかしこの隠蔽は、デモクラシーが「普遍的価値」であるというためにも、なされなければならない隠蔽のはずである。剥き出しの力をこれほどまでに露出させるアメリカは、自らの行為によってデモクラシーのもつ良き価値を傷つけている。
かつて宗教戦争が吹き荒れたヨーロッパでは、絶対的な価値としての「神」にいかにご退場いただくかという議論がなされた。今、絶対的価値としてデモクラシーが物神化されつつあることは、異端を滅ぼすまで徹底的に戦いぬくというメンタリティを醸成してしまうだろう。そこには、寛容・協調・妥協といった要素の入り込む余地がない。剥き出しの力をコントロールする審級をつくることこそが、デモクラシーの良き価値であるはずなのに。