散歩

 見た映画の簡単コメント、以下に掲載。メモ書きってかんじなので、もう少しコンパクトにまとめたかったけど、難しいなあ。無駄に長い(しかも内容ない)。
 今日は隣町まで散歩がてらにパンを買いにいく。途中で古本屋さんで本を物色。サティのレコードを買う。秋の夜長にはいいかも。あとサイードの『遠き場所の記憶』を読みすすめる。すごくおもしろい。

散歩” に1件のフィードバックがあります

  1. kiryn

    読了。とても一言では言い表せないほど、重層的な意味をおびた作品。最後の、サイードが自分自身を受け入れていくあたりの描写が胸を打つ。
    「今では、「ふさわしく」あること、しかるべきところに収まっている〔・・・〕ことは重要ではなく、望ましくないとさえ思えるようになってきた。あるべきところから外れ、さ迷いつづけるのがよい。決して家など所有せず、どのような場所にあっても〔・・・〕決して過度にくつろぐようなことのないほうがよいのだ。」(339−340頁)
    「わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。堅牢な固体としての自己という概念、多くの人々があれほど重要性を持たせているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。〔・・・〕それらは〔・・・〕時に合わせ、場所に合わせ、あらゆる類いの意外な組み合わせが変転していくというかたちを取りながら、必ずしも前進するわけではなく、ときには相互に反発しながら、ポリフォニックに、しかし中心となる主旋律は不在のままに。これは自由の一つのかたちである」(341頁)

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