ichとdu

 昨日は忘年会だった。新しくできたお店で、鍋+飲み放題で3000円ほどと安くてうれしい。値段のわりにはそこそこおいしい。やっぱり鍋はいいなあ。メンツの一人が高コレストロールを気にしていて、彼が強烈に鍋を押してきたので、わたしも便乗。やっぱ揚げ物づくしは食がすすまん。
 ドイツ語のエッセイを読んでいたら、ドイツ人は自分を責めるときに「おまえはなんてバカなんだwie dunn bist du」と自分のことをdu(おまえ)と呼ぶとあった。これに対して日本人は「オレはなんてバカなんだ」と自分のことをich(わたし)と呼ぶという。いわれてみたら、わたしも自問自答するときはichで考えているようだ。
 モノローグなんだけどダイアローグの形式をとる、というのは、小説やマンガでも時折みかける形式だ。『カラマーゾフの兄弟』ではイヴァン・カラマーゾフの元を訪れて彼の言動を嘲笑うのはもう一人のイヴァンだったし、萩尾望都の『残酷な神が支配する』でも、自分自身を欺き納得させようとするイアンの偽善性をその都度突っつきまわすのは、もう一人のイアンだった。幸村誠の『プラネテス』でも、主人公の煮詰まる野望と孤独をひっかきまわすのはもう一人の自分だった。考えてみれば、新約聖書でのイエスを誘惑する悪魔の話は、これまたイエスと悪魔のダイアローグの形式をとったモノローグなのかもしれない。探せばもっと事例はあるようで、ちょっとおもしろい。

ichとdu」への4件のフィードバック

  1. Nori

    忘年会シーズン到来ですね!
    kirynさんの好きなお酒は何ですか?
    僕はキーンと冷えた辛口白ワインが好きですが、宴会の席で飲むと酒が進んで悪酔いするので、ワインは自宅飲みに限定。普段はビールか焼酎です。
    ドイツ語のエッセイ、勉強になりました。
    自分のことをduと呼ぶ事は、映画の台詞などで漠然と「カッコイイ」と思っていましたが、その裏に、ヨーロッパの個人主義が客観的な視点を必要とする背景があったなんて。言語は、歴史と文化の集大成である事を再認識しました。

  2. kiryn

    Noriさん、こんばんは!
    >僕はキーンと冷えた辛口白ワインが好きです
    わたしは最近もっぱら赤ワイン党です。冬だしビールってかんじじゃないし。意外と低カロなのでそのヘンも気に入ってます。しかし飲みすぎますよね、ワインは。
    自分のことを「おまえ」と呼ぶなんておもしろいですよね。もしかしたら、du呼ばわりの日本人もいるのかもしれないけど、どうなんでしょうねー。逆になんで自分はichで考えているのかも、不思議です。
    >言語は、歴史と文化の集大成
    結局そのとおりなんでしょうね。知らぬまにそういうものになっている・・・。du文化のほうが思考を極端なところまで突き詰めていきそうですよね。

  3. nozaki

    たぶん関連している現象だと思うけど、モノローグじゃないときもduを使っていることがありますね。他人に自分の状況を説明するとき、たとえば、「日本では近所づきあいもしなければならないし、率直に自分の考えを表現するのがドイツにいるときよりも難しい」というような文をいうとき、主語としては自分のこと、あるいは一般的なmanを念頭においているのに、duを使います。もちろんichやmanを使っても、間違ってないのですが、日本人にはこのいい方がどうしてもできませんね。それにそういうときは、たとえ対話の相手が敬称で話しかければならないような相手であっても、失礼にはならないみたいです。外国語はわからないことが多いです。

  4. kiryn

    >モノローグじゃないときもduを使っていること
    これはおもしろいですね。まだモノローグのときのduならば、理解の範疇ですが、これはたしかに日本人にはできない技かも。ichとSieのダイアローグのなかに、du呼ばわりのichが登場するってことですよね。第三者としてichがそこに登場するかんじなのかな? 小さい子が自分のことを「わたし」ではなく名前で呼んでお喋りするような感覚が、そのまま根っこにあるのかしら? 知らないことばかりだわー。

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