いろいろうまくいかないことが多く、こんなことはしょっちゅうだとはいえ、やはり浮上するにはそれなりの時間がいるらしい。普段は手に取らないけど、落ち込むときによくヴェイユの本をぱらぱらとめくる。彼女の考えに完全に同意できるわけでもないけれど、読んで目にとまった箇所は、多分そのときの自分を慰める言葉になっているのだろう。
いろいろうまくいかないことが多く、こんなことはしょっちゅうだとはいえ、やはり浮上するにはそれなりの時間がいるらしい。普段は手に取らないけど、落ち込むときによくヴェイユの本をぱらぱらとめくる。彼女の考えに完全に同意できるわけでもないけれど、読んで目にとまった箇所は、多分そのときの自分を慰める言葉になっているのだろう。
「真理を愛する人にとっては、実際にものを書くにあたって、ペンをもつ手も、その手と切り離せない肉体もたましいも、その社会的な外被をもすべて含めて、その重要性なんて、無限に小さいものにすぎません。等級などつけられないぐらいに無限に小さいものです。ですから、実際にだれが書いたかということなどは、それがわたしであろうと、またあなたであろうと、わたしの尊敬する作家のだれかれであろうと、せいぜいこの程度の重要性しか、わたしは認めることができません。」(ヴェイユからティボンへの手紙、『重力と恩寵』解題)
おお、シモーヌ・ヴェイユ。ゆっくり味わって読んだことがありませんので、手に取ってみようかしら。わたしもなぜか昨夜から女性哲学者を読んでいたのですよー。エディット・シュタインというシトでし。
メアリの低空飛行時ばなし:パルコの本屋で買い物をしてエスカレーターに乗っていたら「○○町のメアリ様、インフォメーションまでお越しください」すわ、なんか当選!?喜んで行くと「お客様、今ほど何かお忘れになりませんでしたか?」警備員室にたどり着いて質問攻めにあい、お財布を返してもらいましたとさ。ははは。
kirynさんこんばんは。
たぶん形は違えど誰にだってこういうことはあると思います。でも形が違うから、他人がどんな言葉をかけていいやらよくわかりませんね。
うーん、僕は経験から考えたのですが、そういうときって、とにかく耐えるしかないのですよね。時間が必ず解決してくれると信じて。
嵐が来ます。その嵐は、自分をどうしようもないところまで損ないます。その嵐を必死でよけようと努力します。しかし、その嵐は自分とまったく同じように体制を変え、さらに自分の体を蝕みます。なぜならその嵐は自分自身だからです。
こんなフレーズが村上春樹の小説にあったような。たぶんかなりアレンジしてると思いますが。
うーん、ごめんなさい。ぜんぜん慰めになりませんよね。ただ、無理しないでとにかく過ぎるのを待つという種類の苦しみもあるということが言いたいのです。
kirynさんの落ち込みがどの程度でどのような種類のものかわかりませんが、必ず光が差すときが来るので焦らないで無理しないでくださいね。
メアリさん、岡田さん、おはようございます。言葉を残してくれてありがとう。わたしのしょーもないプチ・ウツにつきあってくれて、、、うう、お二人ともやさしいなあ。
でもメアリさん、「なんか当選!?」って、それ発想がポジティヴすぎですよ〜(ワラエル)。
落ち込むときって、わたしはやっぱり活字人間なのか、本を手に取るようです。静けさと活字というのが一番のヒーリングになるようです。ま、根本的解決にはならないんですけどね。時間をまつにしても、とりあえず何かしてないとなあ、、、とか思っちゃう。
エディット・シュタイン、読んだことはないですが、たしかヴェイユと同時期くらいの人ですよね。ヴェイユの、あの自我を徹底的に無に等しいものにしていかんとする方向に、どこか心の底で惹かれるものがあるのかもしれません。
そういえば、このまえN○Kで山下りんのイコンについての番組みましたよ(司会者のコメントには「?」となることも多かったですが)。イコンを描くということは、信仰の歴史的厚みのなかに自分を溶け込ませることなのかなあと思いました。それはそれで大変だろうけど(山下さんもだいぶ悩んだみたいだし)、ある意味至福の一つの姿ではあるのかもしれない、などと思いました。
>イコンを描くということは、信仰の歴史的厚みのなかに自分を溶け込ませることなのかなあと思いました。
そうだねえー。私たちの日常にはない感覚だねー。
>山下さんもだいぶ悩んだみたいだし
りんちゃん、「今時の人」みたいだったんだねー。ニコライもプンプンしていたみたいだねー。りんちゃん個人には必要なプロセスだったんだろうねえー。でも出来上がったりんちゃんのイコンはイコンとは呼べない代物だけど、、、(りんちゃんが留学していた時代は、ロシアでもあのような西洋風のイコンだったんだろうにゃ)
こちらもさすがに暑くなってきました。そろそろ冷房しようかな。
>ニコライもプンプン
日記にばっちり書かれちゃいましたね。
にしても、出発前にもっとよく説明してほすぃかったわ。着いてまもないのに露西亜語で周囲ともめるところがまた非凡です、、、
>出発前にもっとよく説明してほすぃかったわ。
その頃は今と違って、「進歩」が当たり前に信じられていたからねー。今のように、現代美術がわけがわからなくなって、現代音楽もわけわからなくなっている状況だったら、りんちゃんも張り切って「再発見」され研究が始まったばかりの古典的なイコンを忠実に再現していたかもね、、、
あ、「再発見」されて研究が始まるのは、りんちゃんが帰国してからでしたね。
わたしがちょっとふらふらと魂の彷徨しているあいだに、また濃ゆい展開が始まっているのだわ、、、。
>りんちゃん、「今時の人」
>ニコライもプンプン(←呼び捨て?)
>露西亜語で周囲ともめるところがまた非凡
近代化で欧米化で個人主義化な時代にいきなり「自己を捨てよ」なんて要請にぶつかるわけですから、当事者は目がぐるぐるしそうな状況ですよね。でもあの時代って、いろいろ見切り発車してたんだろうなあとは思いました。文明化の時代ゆえに西洋に習えが目標になりはしたけど、それを生み出す精神的土壌まで理解するのは難しいですよね。今でもそうかもしれないけど。
>りんちゃんのイコンはイコンとは呼べない代物
ま、シロートながらわたくしめも「こーゆーのもイコンなの??」とは思いました。やはりそーなのか。りんちゃんが「模写」しかしなかったという点と、東北や北海道の正教会ではイコンとしての機能をはたしていた点でヨシとしようってことかしらん。
ちょっと気になるのでついでに。
この番組にでておられたS田さんて某大学のロシア語学科卒だそーですが、それ以外にはあまりロシアと関係ないよーな気がするんですけど、それでもこういうときにはロシアってことでお呼ばれされたりするんですか?(ほかにいないってこと?) 初期の作品ではたしかにソ連がでていたけど、サヨク系文学青年特有のセクシズムがプンプンであんまりいい印象ない、、、。
独りごとでした。
>(ほかにいないってこと?)
一昔前なら、五木寛之だったんだろうねえー。
>りんちゃんのイコン
大下智一『山下りん−明治を生きたイコン画家』によりますと、西欧化されたイコンにもいくつかタイプがあったようですね。
りんちゃんのイコンは全国にあって、私も近在で拝観しました。
また、現在のロシアでも、西欧化イコンは復活したビザンティン・イコンと並んでなかなか需要があるようです。(↓ロシアの聖器物工場)
http://www.oca.org/pages/ev…
>西洋に習え
明治初期、ロシアは西洋だと認識されていて、りんちゃんもそう期待したのでしょうね。
>見切り発車
ああ!私も見切り発車しないと、、、
こんにちは。
>りんちゃんのイコンは全国にあって、私も近在で拝観しました。
へ〜、そうなんですか。近畿にもあるのですね(ほとんどトリビア化しているわたし、、、)。ところで、正教会は東北や北海道に多く残っていると考えてよいのかしらん。
なにか土壌的にマッチするものがあるのかなあ。フォッサマグナ以北の世界は、なんとなく遠いところだったりするので、よく分からなかったりして、、、。
>ロシアの聖器物工場
豪華絢爛! イコンて工場(工房?)で製作されているのですねー。そういやりんちゃんの入った修道院も、イコンを描いている場所でしたね。ああ、なんだかとっても別世界。
>明治初期、ロシアは西洋だと認識されていて、りんちゃんもそう期待
「西洋化」という点では、日本よりはるかに西洋化していると考えてもおかしくないでしょうね。でも、西欧のイメージで捉えちゃうと、やっぱかなり違ったのかもねー。留学期間を切り上げて帰国だなんて、もったいないわー。でもソーセキ先生みたくウツっても大変だし、、、。見切り発車ゆえのドタバタなのかしらん。