2046

2004年、香港・中・仏・伊・日
監督:王家衛
出演:梁朝偉
章子怡
王菲


 今のところ、この映画の醸し出しているデカダンに思考回路が麻痺している状態である。映像は細部にいたるまでとても美しい。みているあいだ、ずぶずぶにはまりこんでしまった。デカダンの感性をもった監督としてヴィスコンティをおもいだしたりしたが、ヴィスコンティの場合、背後にはまだ規範的なものや規律的なものがあって、そこから堕ちていくところに頽廃美を見いだしているように思う。けれどもカーウァイの場合、そうした規範性はすでになく、ひたすら浮遊し越境し拡散していくような、イメージそのもののもつ美の力に殉じている気配がある。ヴィスコンティのもつマチズモを嗅ぎとってしまうから、どうもわたしはあの世界には入り込めないんだけど、カーウァイの映画はどっぷりはまってしまうヤバさを覚える。
 主人公チャウと彼のまわりに現れる女たちの艶やかでありながら猥雑な姿態、恋に戯れながら痛々しく傷つき、蝋燭の炎が一瞬強く燃えるように性的な匂いを放ちながら、すぐさま儚く消え去ってしまう脆さ、チャウの描くSF的未来に織り込まれたアンドロイドの少女的中性的な美――「2046」という記号の世界から列車は未来へとつきすすんでいるはずなのに、作家の視点はつねに過去へと向いつづける。彼の過去においてきた失意の恋の記憶は、未来の物語のなかでひたすらに美しく反芻されつづける。主人公が現実の世界でなんらかの選択肢の前にたたされると、かれはつねにそこから離れ、現実に捉えられることを避けていく。現実との折り合いをはぐらかし、イメージの世界をつくりあげてそこに浮遊する彼の姿に、タナトスに近づいていく感覚が浮き彫りにされているようにも思った。
 トニー・レオンも渋いが、チャン・ツィイーの痛々しい美しさや、フェイ・ウォンの儚げで人形のような姿態、折れそうな細い肩などにはもう理屈ぬきで見とれてしまった。ああもういちど見たいと麻痺した頭で思ってしまうような美しさ。ただし、一点だけ難癖をつければ、アンドロイドの恋の相手としての木村拓哉には違和感をいだいた。彼の醸し出す雰囲気がカーウァイの映画とまったく合っていない。木村自身にデカダン的なものが欠如しているからではないかと思うが、かなり重要な場面だっただけに不満が残る。
(19.nov.2004)
おまけのコメント


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