中島敦『南洋通信』を読む。
中島が1941年に南洋庁の官吏として赴任したパラオから、おもに妻にあてた手紙。ハイビスカスやバナナやパパイヤやレモンやジャスミンが実る自然、波もたたず真青に透き通った海に泳ぐ熱帯魚の姿、そして島民たちの素朴な生活といった、南洋の美しくも気だるい風景を写し取りながら、文面には強い望郷の念、残してきた妻と幼子への思い、本土での四季折々の生活に対する追憶、そして遠いところに来てしまったことへの後悔の念がにじみでている。
戦前の日本政府がとった大東亜共栄圏という、今のわたしたちにとってはあまりになじみの薄くなってしまった政策がなお意味をもっていた時代に、中島が植民地の宗主国側の人間として南洋に赴いていたという事実に軽いショックを覚える。あらためてこうした書簡類を読むと、彼について抱いていたイメージの修正をうながされるようなかんじだ。日本政府の南洋政策の無意味さを指摘する箇所が散見できて、これはこれで非常に興味深く思った。
もともと好きな作家だけど手紙を読んだのははじめてだ。おかしな話だけど、読んでいくうちに、まるで自分がその文章を書きつづっているような不思議な感覚になった。読んだことはない文章のはずなのに、すでに読んだことがあるような感覚。自分の感覚にひどく馴染む文体なのだろう。おこがましくはあるが、もし自分が彼の立場に置かれたとしたら、きっと同じようなことを感じ同じようなことを考えるのでないかと、そんな気がした。