マックス・クリンガー(1857―1920)の名前を知ったのはずいぶん前で、一度まとめてその作品を見たいと思っている作家の一人だった。ドイツの美術館で彫刻を何点か見たか、エッチングを数枚みただけで、彼の作品は断片的にしか見たことがなかった。今回、国立西洋美術館で、彼の作品のうち「イヴと未来」「ある生涯」「ある愛」をまとめて見ることができた。これも一部でしかないのだけれど、それでも満足している。
作品はどれも1880年代から90年代にかけてのものだった。一瞥して、19世紀末のドイツ語圏知識人のメンタリティを代弁しているという印象をもった。とくに「イヴと未来」の作品は、楽園を追放されるまでのアダムとイヴの物語に、暗い未来の予兆が交互に差し挟まれるもので、当時の人間が共有したであろう根源的な不安が描写されていたように思う。まだ楽園にいたときのイヴも、無邪気な眼差しをもってはおらず、どこか沈んだ不安げな表情をして佇んでいる。
「ある生涯」と「ある愛」もまた、19世紀末の女性が置かれた根本的に不安定な状態を写し取っている。どちらもブルジョワ社会の欺瞞や救いの無力さを描いていて、女たちに無意味に近い生を余儀なくさせた社会への痛烈な皮肉という観点が見出せる。ただ、騙されて娼婦になった女が、黒い翼をもった虚無の天使に抱えられて生命を終える最後の一葉などを見ると、社会批判的な側面だけでなく、やはり、生の無意味さや虚無感を寄り添わせた暗い情念が垣間見える。
ニーチェの「神は死んだ」という宣告が衝撃力をもって受け止められた時代の精神とは、こういうものではないかという気がした。
(02.jun.2005)