仕事のペルソナ

 ひとつ抱えていた仕事が一段落ついて、ほっとしている。でもまたすぐ次の仕事に取り掛からなくてはならない。
 こう書くと、なんだか忙しい人みたいだが、わたしごときを「仕事人間」とはとても呼べない。ただ、仕事がないと、ロクでもないことしか考えないということがやっと分かってきたのだ。ヒマだとほんとに何もしない。忙しいほうがかえって、隙間時間をつくって、映画でも見ようかという気になるようだ。だから、ウソでもいいから、仕事人間のペルソナをかぶることで、無気力の泥沼に落ちないようにしたいのだな。・・・ちょっと脅迫的だなあと、われながら思うが、「仕事のない状態」というのは、精神衛生上かなりツライというか・・・。「ニート」という曖昧模糊とした言葉があっというまに流通してしまったけど、時代の空気にはマッチした言葉だったとは思うしね。
 ヒマだと、「わたしって何?」みたいな考えがどうしても湧いてくる。でも、だからといって、「自分探し」をしてもたいしたものは出てこないというのが、わたしの個人的な実感ではある。何か「確たる自己」があるというのも幻想でしかないと思う。その発想はどこかクローズしていると思う。「自己」を確認する手がかりは、他人のなかにしかないんじゃないかという気がしている――とても朧げなものしか映さないにしても。
 仕事の相手とは、お互いにペルソナをかぶった関係だから、距離をおいた付き合いになる。その距離を通して、「仕事らしきものをしている自分」の姿がぼんやりと感じられる。いい仕事ができれば、自分は捨てたものではないと思えるはずなのだ(逆もあるけど)。そういう風に考えると、先がどうなるか分からないし、どう転ぶか分からないし、わたし自身がコケる可能性もあるんだけど、とにかく来た仕事はできるだけ引き受けるほうがいい。自分は捨てたものではないと思えるチャンスは、そこにしか転がっていないような気がするから。