ブロークバック・マウンテン

brokeback mountain
2005年、米
監督:アン・リー
出演:ヒース・レジャー
ジェイク・ギレンホール
ミシェル・ウィリアムズ


 主人公のイニスとジャック、さらに彼らの周囲の人々の細かな心理描写が生きていて、ある愛の形を描いたものとしては見ごたえある出来栄えだったと思う(監督自身も、普遍的な愛をテーマに作りたかったとの趣旨を述べていた)。とくに、彼らに関わった女性たちの心理描写や些細な演技がなかなかうまかったので(カメラワークなども)、わたしは最初この映画は女性が撮ったものだとばかり思っていた(原作者が女性らしい)。ただ、ここで描かれているのも一つの愛の形だといわれたら、別にそのことを否定はしないまでも、何かオブラートに包まれて気がして落ち着かない。
 カウボーイの荒々しい男気が賞賛される社会で生れ育ち、そのハビトゥスを身に着けることは、男が男に惹かれるのは女々しく嘲笑に値することだという価値観を学ぶことでもある。強烈なホモフォビアが支配している社会では、「女々しい男」は文字通り直接的な暴力の標的ともなりうる。ある人たちにとっては、それがどれほど残酷なものとなりうるか――この痛々しさがどうしても胸につかえて、わたしは「一つの愛の形」という(多分)メインストーリーに、どこか入り込めないままだ。それは分かるけれど、でもそんなに物分りよく主張できない、というかんじなのだ。
 イニスは幼い頃、父によって、「男同士で牧場を経営している胡散臭い男」の虐殺死体を教訓として見せられた。この経験は、イニスをずっと縛り続ける。彼に比べると、ジャックはまだ、自分の気持ちを素直に表現することができる。それは彼の両親が、息子の性志向をうすうす知っていながらも、彼に愛情を注ぎつづけたからかもしれない(隠すことがヘタだったことが、逆に彼の命取りになってしまうのだが)。
 素直なジャックに対してイニスは、暴力の恐怖に裏打ちされた「規範」とジャックを求める自分の気持ちに引き裂かれて、決定的な行動に出ることができない。密会を重ねてもジャックの希望をかなえることはできないし、妻が絶望していることにも気づかないし、好意を寄せてくれる女友達にも「何を考えているのか判らない」と泣かれてしまう。ジャックと出会ったことは、生きることに意味を与えてくれることでもあっただろうが、同時に苦しみを抱え続けることでもあったのだろう。もがき続けるその不器用さ、どうにもならない恋と寄り添っていくその生き様に胸を衝かれる思いがする。
 イニスもジャックも、もっと幸福であってよかったのに、ダブルバインドに引き裂かれる人生を強いられることはなかったのに、という苦々しい思いや悔しさの入り混じった感情が後に残った。
(19.apr.2006)
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