ベンヤミンが語る、夢についての話。
「夢を朝食前の空腹のときに語ってはいけない」
「朝食前の空腹の者は、あたかも眠りのなかから語るように、夢を語る」(「一方通行路」〈朝食室〉より)
朝目覚めたとき、人はまだ夢の圏内にとどまっていて、夜の世界と昼の世界の区別がついていないのだという。昼と夜の断絶は胃に食物を通すことによって起きる。昼間のリズムや法則にのっとって、見た夢を語ることはよい。けれども、まだうつつとした状態で夢を語ることは、夜の世界と昼の世界の境界を撹乱する行為となる。その余裕のない行為は、夢の世界からの復讐を招く、すなわち、自分自身を裏切ることになるのだという。
わたしは自分の見た夢を、昼の世界の言葉で語ることはほとんどないような気がする。目覚めたときには、見ていた夢の感触に、怖かったとか楽しかったとか悲しかったという感情を反芻するのだが、どんな夢を見ていたのかは、朝食を食べるころには忘れている。なにかの夢をみたという痕跡だけが残っていて、でもどんな夢だったかを語ることはできない。だからわたしは人にも自分自身に対しても、自分の見た夢を語ることはほとんどない。
ベンヤミンの話を踏まえるならば、夜の世界の事柄は、そのまま夜の法則に任せておいてもいいのだろう。
こんにちは。
興味深いです・・・ベンヤミン、いつか読んでみたいと思いました。
夢占いとかも最近よくあるみたいですけど、どうなんでしょうね〜・・・
Keikoさん、こんにちは。
ベンヤミンはときどき読み返したくなります。エッセイとか、すごくいいですよ(やたら難しいのもあるけど・・・)。こういう文章書きたいな〜という憧れの気持ちと、「あ〜何言ってんだコイツ」ってツッコミたくなる気持ちが交錯します。
夢の世界の話はちょっと気に入ったのでメモがわりに載せました。現実と幻想や夢の区別があいまいな話が好きみたいです。
こんにちは。
夢には、自分自身で登場します?
それとも意識だけとか、
あるいは他人の視点だったり・・・?
自分じゃないこともないですか。
めりのさん、こんにちは。
わたし、夢ってほんとに記憶に残ってないんですよ。今思い出そうとしても、もやもや〜ってなる。多分、自分の意識が出ているんだろうけれど、、、
他人の視線っておもしろいですね。他人の気持ちになって自分を見ている、ということ? めりのさんはそういう夢を見られるのでしょうか。
夢に出てくる「自分」は、私じゃないこともありますよー。
性別も年齢も国境も越えてたり、無国籍な感じだったりもします。
ああ、SFっぽいとか。
デ・キリコやエッシャーやエルンスト、デルヴォーやモネの庭、はたまたルソー。
エルンストやムンク、ああ、ふしぎの国のアリス的な世界観かも。
映画や絵画、小説の影響をうけるのでしょう。
どこか別の次元で繋がっているのか過去の私なのか未来の私なのか。
白くハレーションしていたり、濃く深い森の中だったり。
ちょっと人工的・・・
Kiryunさんだったらさぞ面白い、興味深い夢をご覧になってると思うんですが・・・。
枕元にノートとペンを!
自分だと思ってるけどそれは私じゃなくて西洋の男の子だったり。
時代がかっていたり。